「幻の名車がついに復活」縦置きVツインエンジンは健在…モト・グッツィ“新型 V7 SPORT”がこの春登場!の画像一覧

幻の名車モト・グッツィV7 SPORT(スポルト)は1967年に最初のモデルが誕生しました。V型エンジンを縦置きにしたユニークなレイアウト。国産車やハーレーダビッドソンに見られる横置きこそが主流であり、車幅を狭く抑えることができるので2輪というオートバイの特性を活かせる王道です。それなのに、なにゆえにモト・グッツィは縦置きという奇策に出たのでしょうか。その理由を知ってしまうと、新型V7が欲しくなってしまうかもしれませんよ。

歴史的に世のオートバイメーカーと異なる方向性


モト・グッツィの歴史を見ていくと、奇異なエンジンレイアウトを開発するブランドというイメージを持つ方も多いかもしれません。第二次世界大戦前までは空冷単気筒エンジンのオートバイを製造販売していたモト・グッツィ。


単なる空冷単気筒エンジンならば、その時代的にはメインストリームだったかもしれませんが、一般的な単気筒エンジンはシリンダーが垂直。しかしモト・グッツィは垂直にレイアウトしていました。この時点で、すでに世のオートバイメーカーとは方向性が大きく異なっています。

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オートバイの歴史

オートバイの誕生は1873年。ウィーン万博のときにフランスの発明家によって発表された蒸気機関の二輪車でした。それから長きにわたってオートバイの主燃料、ガソリンによるエンジンを開発したのがドイツのゴットリープ・ダイムラー。いまやメルセデスベンツの親会社「ダイムラー」の前進となる組織の創業者です。

1894年にはドイツのH&Wによってオートバイが量産化され、1903年にアメリカで単気筒エンジンを搭載した二輪車が開発されました。アメリカ初となるオートバイを手掛けたのは、ウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビッドソン、アーサーの兄であるウォルター・ダビッドソンの3人。

そして1909年にこの3人はVツインエンジンを搭載したハーレーダビッドソンを製造、量産化します。そのVツインエンジンの原型に大きな変化はなく、100年以上経ったいまでもハーレーダビッドソンに採用されているのだから、いかに完成度が高かったことがうかがえます。

20世紀初頭はオートバイ業界の黎明期。オートバイが2台あれば、どちらが速いのか、誰が一番速いのかを競いたくなるもので、当然ながらレースも活発でした。そんな背景の中、たくさんのメーカーが生まれ、そして消えていきました。モト・グッツィが誕生するのは1921年のことです。多くのメーカーがレース活動に力を注ぎ、スポーツモデルに重点を置くのに対し、モト・グッツィはレースに参加しながらもツーリングモデルを手がけていました。


モト・グッツィは1957年にレースの世界から撤退しますが、1965年にV型エンジン搭載のV7が量産化され、1967年にはスポーツモデルの初代V7 SPORT(スポルト)が発売され、歴史的名車となるのです。