小泉今日子「私の青春時代の恋はいつも秘密だった」…18歳から好きになったドライブ中に、キョンキョンが“不意打ちのキュン”をくらったヒット曲とは

1982年3月21日に『私の16才』で歌手デビューした小泉今日子。今年の4月からは中井貴一とのダブル主演で“月9”ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)もスタートする。そんな彼女の恋に関する素敵なエピソードを紹介しよう。

運転しながら音楽を聴くのが好きだったキョンキョン

1983年に雑誌のインタビューで、「もうすぐ誕生日だけど、18歳になったら何がしたい?」と聞かれた小泉今日子は、「車の免許が欲しい! で、ホンダのステップバンを買いたい!」と答えたという。

その言葉通り、18歳になってすぐに教習所に通うと、小泉今日子は念願だった普通自動車運転免許証を手に入れた。

憧れの赤いステップバンについては、所属事務所に強く反対されて断念したが、そこから運転歴が始まった。

エッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』には、自分で運転するようになってからドライブが好きになったと記している。特にひとりで運転しながら音楽を聴くのが好きだった。

若い頃はボーイフレンドが選曲してくれたカセットテープをちゃんと差し込んで聞いていた。レコードから好きな曲をダビングして作ったオリジナルカセット。インデックスも手書きで、男の子らしい雑な文字が並んでいた。
A面とB面が切り替わるちょっとした無音の時間が切なかった。私の青春時代の恋はいつも秘密だった。こっそりとひっそりと温めるしかなかったから、貰ったカセットを聴いているときは、そばにいるように感じられて嬉しかった。

ロンドンのニューウェイヴ・シーンから1970年代後半に派生した音楽ジャンルである「ニューロマンティック」は、スティーヴ・ストレンジが主宰していたクラブで開催されていた「デヴィッド・ボウイ・ナイト」が発祥と言われる。

そこからスティーヴが率いるバンドのヴィサージ、スパンダー・バレエ、デュラン・デュラン、アダム&ジ・アンツ、カルチャー・クラブなどが登場してシーンが形成された。

サウンド的にはシンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップが中心で、ルーツとしてはデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックから続く、グラム・ロックの流れだったと言われている。

中でも1980年にデビュー・アルバムを出したスパンダー・バレエは、ヴィジュアル系のバンドとして登場して人気を博した。

そしてデュラン・デュランやカルチャー・クラブがいち早くアメリカに進出して成功を収めたことから、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗ってアメリカ進出を試みた。

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「四十四歳になった私の胸までキュンとさせる」

ロンドンのデザイナーと組んで、ファッションショーと組み合わせたライブを行うなど、スパンダー・バレエはファンク色を強めたサウンドになっていく。1983年にはソウルやモータウンに接近したアルバム『True』を発表し、アメリカでも大きな成功を収めることになった。

タイトル曲の『トゥルー(True)』は、歌詞の中に「一晩中マーヴィン・ゲイを聴く」というフレーズがあるように、1960年代のモータウン・ソウルへのオマージュ的な作品で大ヒットした。

この洗練されたサウンドが夜のドライブにピッタリだと、『トゥルー』は当時の日本でもヒットした。

小泉今日子は20数年後に書いたエッセイで、この曲に不意打ちをくらったときの体験を記している。

平日、午前11時の東名高速は案の定渋滞なしの快適ドライブ。FMからスパンダー・バレエの「トゥルー」が流れている。一九八三年のヒット曲は、二〇一〇年、四十四歳になった私の胸までキュンとさせる。
ラジオを聴いていると、こうやって不意打ちを食らうこともあるよね。一瞬であのインデックスの文字まで頭に浮かんでくる。でも、このキュンはもはや恋心ではなく、ただの思い出だ。時が過ぎるってそういうことだ。

音楽は普段から人間に多くの影響を与えているが、「記憶を呼び戻す」ことに関しては特に力がある。

小泉今日子のエピソードで、手作りのカセットテープの「文字まで頭に浮かんでくる」というところは、いかにして音楽が人の記憶と結びついて、タイム・トリップさせてくれるかを如実に表している。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/『Celebration』(1984年12月5日発売、ビクターエンタテインメント)

参考・引用
小泉今日子著「黄色いマンション 黒い猫」(スイッチ・パブリッシング)