トプカプ宮殿のハレム、ハレムには多くの女性が住んでいた / credit:Wikimedia Commons
ハーレムというと権力者の男性が女性たちを大勢囲って作る楽園、というイメージを持つ人が多いでしょう。
中国の後宮、日本の江戸幕府の大奥などが、その代表として思い浮かぶと思いますが、ハーレムという言葉の語源になったのはイスラーム世界にかつてあったハレム(Harem, حريم)という制度です。
これは現代の酒池肉林のような単純なイメージのハーレムと異なり、複数の役割と階層を内包した、極めて複雑な構造をもつ制度でした。
この記事ではイスラム社会にかつてあったハレムについて、大奥と比較しつつ紹介していきます。
なおこの研究は、後藤裕加子(2019)『サファヴィー朝宮廷の女性たち ─近世イスラーム王朝女性史研究の展望─』お茶の水史学62巻,p.215-228に詳細が書かれています。
目次
多くの女性が住んでいたハレムハレムを支える男たち
多くの女性が住んでいたハレム
トプカプ宮殿のハレム、ハレムには多くの女性が住んでいた / credit:Wikimedia Commons
オスマン帝国のトプカプ宮殿を思わせる、壮麗な宮殿の一角に設けられたハレムは、初めは王の移動に伴い、旅の途中で設置される臨時の宿泊施設に過ぎませんでした。
しかし、時を経るごとにその役割は拡大し、王宮内部に恒常的な一大組織として固定化されていったのです。
だが、このハレムという存在は、単に「女性が隔離される場所」という単純なものではなかったのです。
むしろ、そこは王の側近としての女性たちや、貴族の子ら、そして奴隷や奉公人が、各々の役割を持って暮らす小宇宙でした。
例えば、サファヴィー朝のある時代には、ハレム内には300名から400名の女性が、さらに100名余りの宦官や200名の侍従とともに、その巨大な組織を形成していたといいます。
女性たちはその身分に応じ、『ベグム』『ハーヌム』『ハートゥーン』といった呼称で呼ばれていました。
彼女たちの地位や役割は微妙に階層化され、まさに一国一城の縮図をなしていました。
また、ハレムは王が移動する際に同行することが通例であったため、固定された存在というよりは、むしろ王の旅に合わせて動く流動的な存在でした。
前期には戦闘に備えてハレムと王が別行動を取ることもあり、地方都市には滞在用のハレム施設が整備されるなど、その運用は非常に柔軟でした。
ときには、未婚の女性王族が私邸に住むなど、一筋縄ではいかない多様な運命を辿っていたのです。
そして、ハレムの物語は、単に華やかな内装や組織の壮大さだけでは語り尽くせません。
中には、医療や宗教、さらには音楽や舞踊に従事する働く女性たちの存在もありました。
イスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿の宴会では、彼女たちが奏でる旋律とともに、異国からの使節たちをも魅了したといいます。
だが、その裏側では、出自も運命も定められぬ女奴たちが存在していました。彼女たちは売春宿と結びつく形で、ハレムと市中の生活との境界を曖昧にし、哀愁を帯びた現実を生み出していたのです。
このようにハレムは大奥と非常に似ている面がありますが、異なっている点もあります。
ハレムでは、女性は奴隷的な立場から入り、皇帝との法的な婚姻は認められず、子を産むことで地位が上昇する仕組みが特徴です。
例えば、皇帝の母となれば「ヴァーリデ・スルタン」となり、正式な妻ではなく側室であっても絶大な影響力を持つ存在となりました。
一方、大奥では、採用者は生け花や裁縫の実技試験や面接を経て選ばれるため、より制度的かつ比較的自由な出入りが可能な環境が整えられていたのです。
またハレムは、政治的権力の象徴として固定された閉鎖空間であり、皇帝の権威や後継者問題と密接に結びついた厳格な序列が存在しました。
対して大奥は、将軍家の私的な奉公機関として機能し、主に文化・芸事の面が重視され、短期間で在籍する者も多いなど、より流動的な性格が際立っています。
このように、ハレムは皇帝権力の専制と結びついた閉鎖的な階層組織であるのに対し、大奥は選抜の制度と流動性が特徴で、出身や在籍期間にも違いが見られるといえるでしょう。
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ハレムを支える男たち
ハレムの宦官、イスラム教では去勢をすることが禁止されているということもあり宦官は黒人や白人といった異人種が多かった / credit:Wikimedia Commons
さらに興味深いのは、ハレム内を動かす男たちの存在です。
元来、黒人宦官がその中心に据えられていたものの、後にグルジア人など白人の宦官も導入され、彼らはシャーやハレムの女性たちとの連絡役として、あるいは時には政治的な影響力を振るうまでに成長したのです。
こうして、華やかな美貌を誇る女性たちと、彼らを取り巻く男性たちとの複雑な相互関係が、ハレムという制度の奥深さを物語っているのです。
宦官という去勢された官吏の存在は何もイスラーム世界に限ったものではなく、中国の歴史にもしばしば登場します。
しかし中国におけるそれは、ハレムの宦官とは似て非なる存在であったのです。
ハレムの宦官は先述のように黒人や白人といった異人種や奴隷から採用されることが一般的でした。
また時として政治的な影響力を持つものが現れることはあっても、基本的には役割や地位はハレム内部に限定されており、表向きは政務への参加を禁止されていました。
それに対して中国の宦官は、異民族の出身者もいたものの、基本的には自国民が採用されていたのです。
また時代によって宦官の裁量は異なるものの、しばしば皇帝の信任を背景に公然と宦官が強権を振るっていたのです。
このように、両者はそれぞれの宮廷制度や文化的背景に根ざした役割分担や運用方法に大きな違いが見られ、単に「去勢した男性」という点では共通しているものの、政治的影響力や採用される背景などにおいて明確な相違が存在しています。
森の中の秘密基地のように、一見すると閉ざされた世界と思われがちなハレム。
しかし、その実態は、移動する王朝という大河の流れとともに変容しました。
内部の役職や身分制度が細やかに編まれた、極めて多面的な一大組織であったのです。
栄華と共に栄え、時にはその重荷が国家の足枷となることもあったものの、何よりもその中で生き抜いた女性たちの哀歓と栄光は、今なお歴史の一ページに色濃く刻まれています。
参考文献
お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション “TeaPot”
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/42626
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部