当時の新聞にも載った『サムライトルーパー』の二重放送事故。ネガティブだけではない、意外な影響もあった?



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制作現場も寝耳に水だったアクシデント

「放送事故」。いまではSNSを賑わせる話題ですが、自分のような昭和世代にとっては、放送中に「しばらくお待ちください」という文字が数分間映っている、なんてことがけっこう頻繁にありました。これは厳密には放送事故ではないのですが、さまざまな部分を人の手が担っていたからこその、いま思えば「微笑ましい」ミスがほとんどだったのだろうと想像します。

 とはいえ、数分間待つというレベルではなく、視聴者を驚かせる事象がときおり起こったのも事実です。

 例えば、当サイトの他コラムでも話題になった、私にとっても縁浅からぬアニメ『鎧伝サムライトルーパー』の重複放送があります。前の週と同じ話数を翌週も放送してしまったという新聞にも載った珍事でした。

 そのため制作会社だったサンライズ(現:バンダイナムコフィルムワークス)としては、制作予定だった本数を1本減らさざるを得なくなったのです。

 かつてのアニメ番組はフィルムに撮影されたもので、TV局側はそのフィルムを映写機で写して放送していました。これがビデオシステムに移行しても、人の手で専用の機械にセットし放送電波に乗せていたので、ああしたミスも起こるのです。

 しかし、そんな事情とは無関係に、本来の作品意図とは違った放送状況になったものもあります。特に昭和時代には、局によって番組の放送時間の長さが違ったり、時には放送そのものが都合で切られてしまったりすることも、視聴者になんの告知もなく行われていました。

 いまならネット等での追従配信もありますが、当時は地上波のTV放送が全てです。TVで放送してくれない限り切られた部分は見ることができないので、数年後の再放送でやっと見られた、別の地方に行った時に違うバージョンを見て驚いた、というのも珍しくなかったのです。

 例えば東京地区等でも『デビルマン』(1972~1973年、制作:東映動画)は、地方局より放送時間が1分短かったためにエンディング部は無し、最終回も放送されずに終了しました。そのせいで、東京地区の視聴者は、再放送があるまでエンディングの存在も、もう一本あったことも知りませんでした。

 他社のことなので子細は分かりませんが、基本的に番組は契約時にキー局基本で制作本数や映像時間が決まります。『デビルマン』のこの地方局との差は、基本契約後に加わったことかもしれません。

 とはいえ『トルーパー』のようなアクシデントはまさに寝耳に水です。が、運良く制作現場のスケジュールは順調だったので、重複によって放送話数が1話分減ったことへの対応も可能だったのは幸運でした。

 ただ、話はこれで終わりません。



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二重放送事故の意外な影響

 40代以上の方はご記憶でしょうが、『トルーパー』が放送されていた1989年1月、昭和天皇が崩御。TVはこぞって通常番組放送を自粛してしまいました。そのため、今度は1月7日に放送されるはずだった32話が翌週の14日にずれてしまったのです。

『トルーパー』は2月いっぱいで放送終了予定の番組。1月ともなれば最終話も含め最終部分の実制作作業たけなわです。それなのに、いまから最後の盛り上がりのなかから1話分の内容を縮めることなど不可能です。

 しかし「そういえば重複放送されたことがあったよね。ならば、減ってしまった1本分、本来の放映期間からはみ出して放送してもらえない?」……という会話があったかどうかは知りませんが『トルーパー』の最終話は、通例に反して月を越えて3月4日に放送され、このズレはことなきを得ます。

 一方、局側も、重複放送の翌週の放送のなかで視聴者への謝罪を明示し、その素直さが返って視聴者やファンに好印象与えたのか、クレーム等が続いたという話は耳にしません。

 逆に重複放送が新聞などに取り上げられたことで『トルーパー』は全国的知名度を高め、これをきっかけに番組を見始めてくださった方もおり、視聴率が上がったと聞きます。

 まさに番組的には重複放送は「災い転じて福となす」だったわけです。

 放送事故は無いに越したことはありません。しかし世の中、なにが幸いするかなんて分からないものです。特に「人」が介在することであれば、そこには必ず「人の想い」が重なります。

 そのときは驚いたり慌てたりしたことも、いつしか「懐かしい思い出」として共有されて行くのですから。
アニメ
【著者プロフィール】
風間洋(河原よしえ)
1975年よりアニメ制作会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。
2017年から、認定NPO法人・アニメ、特撮アーカイブ機構『ATAC』研究員として、アニメーションのアーカイブ活動にも参加中。