高学歴元保育士グラドルが炎上「早稲田出てても身体を売らなきゃならないの絶望でしかない」とのポストの声に波崎天結(24)が思うこと

卒業式シーズンがやってきた。卒業という岐路に立ち、新社会人たちは春からそれぞれの道を模索しながら歩いていく。早稲田大学在学中に撮影会デビューし、“令和の美脚クイーン”の異名をとる人気グラビアタレント・波崎天結さんもその一人だった。在学中は「福祉」について学んだものの、卒業後は「芸能」との2つの進路で揺れたと話す、彼女の特異な生い立ちとは。

「福祉」と「グラドル」正反対の道のように見えるが…

今年2月、波崎さんのXのポストが2300万インプレッションを超え、話題となった。アップロードしたのは、2年前に早稲田大学を卒業した時の記念写真と、グラドルになってからの現在の写真を2枚並べたもの。

当然、肯定的な意見も多くあるが、なかには〈早稲田出てても身体を売らなきゃならないの絶望でしかない〉〈早稲田出たのに脱いで稼ぐ道に進んでんの可哀想〉などとグラドルになったことを揶揄するコメントも散見される。

大学時代は児童福祉について学び、在学中に保育士資格を取得している波崎さん。「福祉」と「グラドル」は一見正反対の道のように見えるが、どうして「グラドル」の道を選んだのか。

その熱意の源泉は高校時代から生い立ちまで遡る。

「高校時代は、水泳部に所属していました。もともとシンクロが好きで、水泳部でも楽しんでシンクロに取り組んでいました。

順調に部活動を楽しめていたあるとき、部員の怪我をきっかけに、シンクロを全面的に辞める方向に決まってしまいました。私は本当に悔しかったのですが、さまざまな人の立場や気持ちを考えて、やり場のない自分の気持ちを誰かに表現することができませんでした。これまであまり他人に自分の気持ちを打ち明けてこなかったからかもしれません。

それ以来、しばらく暗い気分ですごしていました。気分が変わったきっかけは、保健室の先生が優しく私の話に耳を傾けてくれたことでした。そのとき、『人に話を聴いてもらうことでどれだけ救われるのか』を知りました」(波崎天結さん、以下同)

高校時代の自身の体験をもとに「社会で困っている人の役に立ちたい」と思うようになった波崎さん。そのためには、まず社会的に弱い立場にいる人の声に耳を傾ける必要があると考えるようになった。

一方で、高校時代の波崎さんはなぜ、他人に自分の気持ちを打ち明けられなかったのか。その理由がわかると、問題の解決に「福祉」を思い浮かべた彼女の思考がよりクリアに理解できる。

「私の家族は父、母、姉、妹の5人家族でした。すごく簡単に言うと、父は子どもが好きではない人です。何か子どもがワガママを言ったりすると、すぐに怒って椅子やリモコンが飛んでくるのが日常茶飯事でした。

他方で、母は子どもに対して過剰なほど守ろうとする人でした。だからいつも、母は『父を怒らせないように』と生活していたと思います。

私が小学校中学年くらいのとき、精神疾患を患った父が入院したことがありました。退院してからは特に攻撃的な性格になっていて、天真爛漫な姉や妹と違って、私は『怒られたくない』という意識があったため、言葉遣いにはより気をつけていました」

当時から誰かに気持ちを打ち明けられなかった自分の性格の原点を、波崎さんはこう分析する。

「父に怒られたくない気持ちと、母から過剰に心配されたり迷惑をかけたりしたくない気持ちが噛み合って、あまり自己主張しない性格になったのではないかと思います。

高校時代のことも、もっと軽い気持ちで家族に愚痴れたらよかったのかもしれませんが、私はいつも親に話すのが怖くて顔色を伺っていたようなところがありました。

時間が経ってから、母は私に『家族のいろんな緊張関係のなかで、ストレスをついあなたに向けてしまうことがあった』と言っていました。私が大学1年生のときに心身に不調をきたしたとき、母は部屋から動かない私をずっと怒っていました。

もっとも今は、母がつらい状況のなかで立ち回っていたことを理解できます。その母も徐々に変わっていって、今では親身になって私のことを考えてくれるようになりました」

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どちらも“生きやすさを与えてくれるもの”

波崎さんの生まれ育った環境は、孤独で苦しいものだった。そんな彼女が福祉を学びつつ、芸能の世界に足を踏み入れたのは、こんなきっかけだという。

「とあるオーディションを受けたときに『応援してもらえるっていいな』と感じたことでした。もともと表には出さないものの、何者かにはなりたかったのかもしれません。

そして実際に活動していくなかで、ファンの方に温かい声をかけてもらうことやSNSで応援のメッセージをあげてもらえることによって、気持ちが救われていくのを感じました」

これまで福祉の道にまっすぐ進んできた彼女が芸能に活路を見出した背景には、こんな考え方の転換がある。

「大学生になって、より深く福祉について学んでいくと、『悩んでいる当事者』だけが悩んでいるわけではないことが理解できました。誰にだって、福祉に駆け込むほどではなくても、悩みは必ずある。

だとすれば、より広い範囲の、より多くの人たちに気持ちを届けることができるものはなにか考えたとき、その答えの1つが芸能ではないかと思えたんです。

ファンの方たちに応援してもらうことで私は救われましたが、ファンの方からは、『応援する側も応援することで活力をもらっている』と伝えてもらったこともあります。

社会において、福祉はもちろん大切な役割を担うものです。しかし、その段階までいかなくても、人は気分が落ち込んだり、やる気になれなかったりするときがあります。そこに手を差し伸べる身近な存在が芸能であり、エンターテイメントなのではないかと私は考えているんです」

波崎さんが心揺れた、「福祉」と「芸能」という2つの道。彼女は今、この2つの道をどう見ているのか。

「福祉というと堅いイメージで、芸能というとポップなイメージがありますから、全然別のものに思えるかもしれません。

でも私は、そのどちらも、人間が人生を歩んでいくうえで“生きやすさを与えてくれるもの”ではないかと思っているんです。深刻な悩みを持つ人だけが悩んでいるわけではないし、むしろすべての人が悩みの軽重にかかわらず健康な心を維持できる社会にしていくために、どちらも必要不可欠でしょう。

私にとって芸能は、ありのままで生きていける世界です。ファンの方たちがいてくれる限り、どこまでも自分の魅力を磨いてお返ししていこうと思っています」

その生い立ちから、かつて自己開示ができず悩んだ波崎さんの笑顔には、今一点の曇りもない。自らを支えてくれる人たちを支えていく。その決意を胸に、彼女はあるがままの姿で羽ばたく。

取材・文/黒島暁生 写真/本人提供