
二〇一九年に小説家デビューを果たし、以降、俳優業と執筆活動と二つの創作の現場に身を置いてきた松井玲奈さん。
上梓された新作『カット・イン/カット・アウト』では、自らも俳優として携わる演劇界を舞台に、そこで葛藤し、自らの道を模索する人たちの光と影を鮮やかに浮かび上がらせました。
二〇一九年に小説家デビューを果たし、以降、俳優業と執筆活動と二つの創作の現場に身を置いてきた松井玲奈さん。
上梓された新作『カット・イン/カット・アウト』では、自らも俳優として携わる演劇界を舞台に、そこで葛藤し、自らの道を模索する人たちの光と影を鮮やかに浮かび上がらせました。
今の自分だから、できること。そして、書いていきたい世界。
表現者として抱く「本音」を、かつて俳優・松井玲奈を導き、書き手としての彼女にも大きな期待を寄せる作家・演出家の鴻上尚史さんとの対話からひもときます。
構成/大谷道子 撮影/高木健史(SINGO) スタイリスト/井阪恵(dynamic)(松井さん分) ヘア&メイク/MISU(SANJU)(松井さん分)
出会ったときから、君は大人だったよね
鴻上 おー、すごく久しぶりだなぁ。いつ以来だろう?
松井 ご無沙汰しています。舞台『ベター・ハーフ』(*1)では、本当にお世話になりました。
鴻上 確か、その少し後にラジオドラマ(*2)にも出てもらったんだよな。どっちにしてもコロナ禍前か。皆で飯にも行ったよなぁ。出演者四人と俺とでワイワイと。
松井 共演者の皆さんとは、いまだに連絡を取り合ってますよ。密なコミュニケーションをとりながらつくっていけた過程がすごく楽しくて、私にとっては今でもとくに思い入れの強い作品です。
鴻上 あのとき玲奈と引き合わせてくれたのは舞台を共催したラジオ局のプロデューサーなんだけど、「絶対に鴻上さんのお眼鏡にかなう俳優ですから」と言うので会ってみたら、これが本当に大人で。
松井 本当ですか? 私が出演させていただいたのは再演で、ほかの方々は初演からだったのですが、鴻上さんから「ひとりだけ初参加だけど心配しなくていいよ」と言っていただいた記憶があります。
鴻上 あの厳しいアイドルのシステムで鍛え抜かれてきたわけだから、当時からプロ根性があったよね。それに小説! 新作、大したもんだよ。おもしろかった。
松井 ありがとうございます! 編集さん以外の方からはじめていただいた感想なので、すごくうれしいです……。
鴻上 まず、第一話の最後のパンチラインで「おぉ」と思った。人気アイドルの代役として急遽きゅうきょ舞台に主演することになった五十二歳の俳優という設定、玲奈はずいぶんしんどいカードを引いたもんだなぁと。でも彼女……脇役から急にスポットライトを浴びることになったマル子こと、アイドルのももちゃんとの対比が、実によかったんだ。
松井 実は、マル子さんにはモデルがいるんです。私が舞台で出会った方なのですが、稽古中に相手役の台詞せりふやお芝居を全部覚えるスーパーな方で、いつかこの方の物語を書きたいなぁと。
鴻上 そんな人、現実にはほぼいないよね。でも、本当に舞台が好きで演じることが好きでっていう人の中には、実際にそんな人がいるのかもしれない。そういえば去年、『朝日のような夕日をつれて2024』(*3)をやったんだけど、長く第三舞台でやってきた役者を入れ替えて、新しいメンバーになったのね。その中のひとり一色洋平っていう俳優は『朝日〜』研究家で芝居も台詞も全部入ってると言ってて、稽古中にある役の代役を頼んだら、「わかりました。何年(上演)版をやればいいですか?」って言ったんだよ。
松井 すごい! 私なんて相手の台詞は「ん?」ってなっちゃう(笑)。まったく覚えてないわけではないですけど。
鴻上 演技って、何回稽古して何十回ステージやっても「今、はじめてこの台詞を言った」って感覚を持っておかなきゃいけないわけですよ。そのためには意識して忘れることも大事で、相手の台詞が脳内で鳴り始めると自己対話にしかならないから……良し悪しだよね。でもさ、俺、この第一話の最後を読んで「ちょっと待て、いつだ?」って思ったんだ。初日三日前に代役に決まったって書いてあるけど、それから稽古やって、本番前日までにお客さんにお知らせのメールを出せるのか? 大丈夫か、計算合ってるかって。
松井 あれ? (混乱)えっと、本番までにあと二日あるから、翌日の朝に演出家がメンバーに発表して、翌々日の本番前日にお客さんに配役変更のメールを送って、その夜がゲネ(*4)、次の日が本番……。
鴻上 そうか、それならいけるか。
松井 あー、ドキッとした!
鴻上 文系って、こういう数学的な整合性が苦手なんだよ。俺もよく編集者に「ここ、日にちが合わないですけど?」とか言われて「えっ?」ってなる。
松井 私も、いつも助けていただいてばかりです(笑)。
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「玲奈はどう思う?」と訊きいてくれる優しさに感動
鴻上 そうそう、作品に出てくる野上のがみっていう演出家のモデルは誰なの?
松井 フフフ、誰だと思います?
鴻上 演出を細かくつけるっていうのは、間違いなく(劇団☆)新感線のいのうえ(ひでのり)さんだね。玲奈、新感線に出たことあったよね?
松井 はい、一度(*5)。でも、いのうえさんだけではなくて、今までお会いした演出家の方たちをミックスしています。
鴻上 確かに、いのうえさんはあんなに親身にならないな(笑)。彼はビジョンを提示するタイプだから、内面をフォローして歩み寄る演出家といえば俺でしょう! 自分で言うのもなんだけど。
松井 アハハハ! 鴻上さんの要素も、確かにありますね。
鴻上 でも、俺は野上みたいに役者を追い込まないよ? 彼は、たぶん結果を出そうと焦ったあまりに相手に自分のやり方を押し付けてしまったんだろうな。俺も四十年演出していて、若い俳優を見ていて「この子は今回、この川を渡れないかもしれない」と感じる場面って、普通にあるんですよ。でも、そういうときはしょうがないと思うしかない。作品全体の質は下がるかもしれないけど、その責任は演出家が引き受けないといけないもの。いちばんつらいのは、舞台の最中に役者が崩れ落ちてしまうことだから。
松井 そうですね。鴻上さんは、ご自身の中で答えは決まっているはずなのに、まず最初に「玲奈はどう思う?」って必ず訊いてくださったんですよ。私の考えを聞いたうえで答えに導く。自分の意見を出しているから私も納得しやすいし、胸にストンと落ちるんです。演出を受けていて、その優しさに感動しました。
鴻上 導いてくれてると気づくのが、もう賢いわけですよ。中には、俺がさんざん言ってきたことを「自分はずっとこう思ってた」とか言っちゃうヤツもいるんだから(笑)。まあ、幕が開いたら演出家にできることなんて、せいぜい役者の滑ったギャグに大笑いして客席をあっためることくらい。あとは、うまくいくよう祈るしかありません。
松井 この小説、もっと広く芸能界の話にもできるとは思ったんです。でも、なんとなく舞台というところに、私が強く惹ひかれていて……その日、その場所でしか起きていなくて、見た人にしかわからない、事実はそこにしかない。そういうクローズドな部分がおもしろいと思って、舞台を中心に書き進めていきました。