
全世界で約16億人が利用し、特に若い世代から圧倒的な支持を集めているSNS「TikTok」。その中でも近年、急速に注目を集めているのが、生配信サービス「TikTok LIVE」だ。そんなTikTok LIVEで、直近1年間に14億円以上のギフトを獲得したライバー・夢幻氏。過去には多額の借金を抱えていたという彼は、どのようにして大金を稼ぐライバーとなったのか。
“世界2位”の男が語る、壮絶なTikTok LIVEの裏側
「TikTok LIVE」とは、“ライバー”と呼ばれる配信者がリアルタイムで動画配信し、視聴者は“ギフト”と呼ばれる投げ銭を送る——シンプルながら熱量の高い仕組みが特徴のTikTokでライブ配信を行える機能のことだ。
「僕はNGなしなんで(笑)」——そんな言葉とともに、今回のインタビューを快諾してくれたのは、ライバーとして活躍する夢幻(むげん)氏だ。
直近1年間で「TikTok LIVE」上に投げられたギフトの総額は、なんと14億円以上にのぼるという。
さらに、昨年12月17日から22日にかけて開催された世界規模のTikTok LIVEイベント「LIVE FEST 世界最終決戦」では、“全世界2位”という快挙も成し遂げている。
――夢幻さんはTikTok LIVEイベントで“世界2位”の称号を得たとのことですが、これはどういったイベントだったのですか?
夢幻(以下、同) このイベントは、世界各地域で選ばれた代表ライバーが集結し、配信期間中に獲得した投げ銭ポイント(課金金額)で順位を競うものです。僕はその期間中、約5億4,100万ポイントを頂くことができました。
1位は中東・北アフリカ代表として出場したイラクのライバーで、トップ10には日本代表のプリンスこうやさん、ユウベイビーさん、ATAOKA会長さん、明日花キララさんもランクインしています。
イベント期間は5日間。僕に投げられたポイントを日本円に換算すると、ざっくりですが2億円ほどになります。ギフトの種類によって1ポイントあたりの金額は多少変わるので、あくまで目安ですが……。
ここまでの結果を出せたのは、日頃から応援してくれているファンの皆さんのおかげであることはもちろんなのですが、世界大会のような大舞台になると、「日本人を応援したい」という気持ちでギフトを送ってくださる方も多いんですよね。
普段は巨人ファンと阪神ファンに分かれていても、WBCのときはみんな日本代表を応援するような……。リスナーさんいてこそのライバーなので、本当に日々感謝です。
――ライバーの仕事をする以前は何をされていたんですか?
配信者になる前は、地元・徳島でバーを経営していました。始めたのは25歳くらいの頃で、最初は小さな店舗だったのですが、経営もそれなりに順調だったんです。
ただ、「僕とスタッフがとにかくお酒を飲む」というスタイルで営業していたので、体力的にかなりキツくて……。
何か変えようと思い、同じフロアにあった別の物件を借りて、間の壁をぶち抜いて大型店舗に拡張しました。小さなアットホームな店から、大学のサークルやコンパなどでも使ってもらえるようにと狙いを変えて、総工費2,000万円ほどかけて大改装したんです。
そしたら、これが大失敗で……。改装から2年も経たずに経営難に陥ってしまいました。
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借金1200万、プレハブ小屋生活からの逆転劇
――その後、お店はどうされたのでしょうか?
銀行からフリーローンを借り入れて、従業員の給料を払うという自転車操業になってしまい、最終的には29歳で店をたたみました。残ったのは、1,200万円の借金だけでした。
実は、そのお店が入っていた3階建てのビルは、母親が所有していたものなんです。でも母はかなり厳しい人で、店を閉めたあとは助けてくれるどころか、ビルから追い出されてしまって……。
仕方なく、同じビルの3階にあった水道しか通っていないプレハブ小屋に隠れるようにして住み始めました。生活費は、友人のバーで働きながらなんとか捻出して、地道に借金を返していく日々でした。
実は僕、19歳のときに結婚してすぐに子どもが生まれたんですが、その半年後に離婚していて。以来、ずっとシングルファザーです。
プレハブ小屋での生活中は、母が子どもの面倒を見てくれていましたが、僕自身はしばらく子どもと離れて暮らす状況が続きました。
――その後、転機が訪れたのは……?
30歳のときに、プレハブ小屋にご飯を届けてくれていた祖母が引っ越すタイミングで、「一緒に住むか?」と声をかけてくれたんです。古い1LDKのアパートに住まわせてもらって、そこから自転車で知人のバーに通って働く生活が始まりました。
そんなある日、祖母が突然「あんた、借金ばっかり返して、楽しみの1つもなかったらアカンだろ」って言って、僕が前から欲しがっていたiPadを買ってくれました。それをきっかけに、「どうせiPadでゲームするなら、配信してみよう」と思い立ったんです。
――配信者になってからは、すぐに結果が出たのでしょうか?
そうですね。2019年に配信を始めてから、約半年で公認配信者に選ばれました。実は僕、ライバー活動をする前はもともとYouTubeで「荒野行動」というゲームの“公認実況者”として活動していたんです。日本ではわずか5人しかいない、ゲーム配信会社直属の実況者でした。
しかし、それでも当時はまだ借金が残っていて、驚くほど狭い家から配信していたんです。あまりにもスペースがなくて、台所の食器棚の上にパソコンを置いて、そこから毎日配信していました(笑)。
借金生活からようやく抜け出せたのは、31歳の頃です。この頃から収入が伸びていき、ゲーム配信者として活動していた最後の年には、年収が約4,600万円になっていました。
――その状況を見て、お祖母様は何か言っていましたか?
今はもう亡くなってしまいましたが、祖母はとても理解のある人でした。僕がゲーム配信をしているのを見ても、「ゲームしているだけ」とか否定するようなことは一切言わず、いつもそばで応援してくれていました。
ただ、公認配信者になってからは案件などで忙しくなり、僕は東京へ引っ越すことになったんです。祖母とは離れて暮らすことになったんですが、そのときに「やっと人様の前に出られる仕事になったな」と言ってくれましたね。
その後、祖母の体調が悪くなったタイミングで、僕も徳島に戻りました。そのとき、娘に「お父さんと一緒に住もうか?」と聞いたら、喜んで「うん」と言ってくれて。
離れていた期間も頻繁に会っていたので、距離感や壁はまったく感じませんでした。この頃から、母とも少しずつ関係が修復していって、徐々に仲よくなっていきましたね。