『新世紀エヴァンゲリオン』序盤では冷静沈着な科学者に見えたリツコですが、物語の進行とともに母親との複雑な関係性と、それに引きずられる葛藤が明らかになります。彼女の生々しい人間性こそが、『エヴァンゲリオン』の隠れた魅力のひとつでもあります。
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【画像】えっ、スタイル良すぎんか…こちらが“全裸尋問”された『エヴァ』赤木リツコのビジュアルです(4枚)
母親と同じ道をたどった?
庵野秀明監督作品『新世紀エヴァンゲリオン』(以下エヴァ)は、人類の存亡を巡る壮大なスケールのSFであると同時に、ミニマムで等身大の親子関係のドラマを描く作品でもありました。
主人公の「碇シンジ」をはじめとした14歳の少年少女とその親に対する葛藤が物語の中心でしたが、親とのこじれた関係をひきずっていたのは、子供たちだけでなく、大人たちも同様でした。
理知的でクールな大人に見えた「赤木リツコ」も例外ではありません。子供っぽい部分を持つ「葛城ミサト」とは対照的で、大人のしっかり者の女性キャラクターとして序盤は描かれていましたが、彼女もまた母親との複雑な関係を抱えた存在です。
そんなリツコのあり方は、母のようには生きたくないのに、引きずられてしまうという生々しい人間の姿が体現されており、『エヴァ』という作品の魅力の一端を担っていたようにも思えます。
しかし、なぜリツコは母を憎みながらも同じ道を歩むことになったのでしょうか。
※本稿では、「TVシリーズ」「旧劇場版」における赤木リツコについて考察します。
リツコと3つの母の人格
リツコは、『新世紀エヴァンゲリオン』物語の序盤では、理性的で合理性を重んじるタイプのキャラクターとして描かれます。直感的で大胆な発想をするミサトに対して、作戦立案の際にも計算を重んじ理論立てて提案をするのが印象的で、時に冷たい印象を与えることもありますが、ミサトにはない冷静さが頼もしくあり、子供の目にも立派な大人に見えます。
そんなリツコを中心としたエピソードがあります。第拾参話「使徒、侵入」です。この時、敵である使徒は、コンピューターウイルスのような形態を取っており、NERV本部のシステムを司るスーパーコンピューター「MAGI」を侵食していきます。
これまでとは異なる形態の使徒に対して、ミサトはMAGIシステムの破棄を提唱しますが、リツコはこれを拒否、技術部の力で使徒を撃退すべくMAGIシステムの中枢に入り、これを殲滅することに成功します。
このエピソードでMAGIというコンピューターはリツコの母「赤木ナオコ」の人格が移植されていることが明らかになります。MAGIは3体のコンピューターシステムで成り立っており、それぞれがナオコの科学者としての人格、母としての人格、そして女としての人格が反映されているとリツコは語ります。
システムに侵入した使徒は、科学者と母としてのナオコを司る「メルキオール」と「バルタザール」を侵食しますが、最後の女としての部分が反映された「カスパー」は侵食しきれず、リツコの尽力もあって食い止めることに成功。このことで、リツコは「最後まで女でいることを守ったのね、ほんと、母さんらしいわ」とつぶやくのです。
また、このエピソードでリツコの母親に対する複雑な感情が吐露されます。「科学者としては尊敬していた、女としては憎んでさえいる、母親としては分からない」と引き裂かれた想いを抱いているのです。
こうした、引き裂かれた想いが、リツコの人生を決定付けてしまい、彼女自身の人生をも引き裂いたように思えてなりません。
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科学者、女、そして娘としてのリツコ
なぜなら、リツコもまた、「女である」ということから逃れられない人生を送っているからです。後に、リツコは「碇ゲンドウ」の愛人であることが明かされますが、それは母のナオコが辿(たど)った道でもあります。そのせいでナオコは破滅の道を歩み、リツコは女としての母を憎んでいるとすら言っているにもかかわらず、同じ男を愛して利用されてしまうのです。
愛人にしているのみならず、ゲンドウはリツコを綾波レイの身代わりとして、ゼーレの尋問に差し出したりもしています。そこで全裸にされて恥辱を味あわされてもなお、冷静に対応するリツコですが、自分がレイの身代わりだったことを知ると表情に変化があります。その後、「憎いから」と称して、レイのクローンのバックアップを破壊するという行為に出るのです。
これまで、理性的な行動が目立ったリツコの、非合理的で情念的とも言える行動に視聴者は衝撃を受けることになりました。普段冷静で合理的なキャラクターだからこそ、こうした行動は意外性もあり、衝撃も大きくなります。
こうした一連の行動を振り返ると、リツコもまた、母のナオコと同じく3人の自分がせめぎ合っているのではないかと思えます。科学者としての自分、女としての自分、そして、母を憎みながらも愛情を求めている娘としての自分。
リツコは、最後にゲンドウへの復讐を試み、銃を向けます。その時、母の分身ともいえる存在のMAGIを使ってNERV本部を自壊させようとするリツコですが、女としての母が反映されたカスパーがその命令を拒否することで、リツコの目論見は潰えます。
女としての母に裏切られたようなかっこうのリツコですが、NERVを破壊するのにMAGIを用いようとする辺り、本当は母親に助けてほしかったという想いが見え隠れしているような気がします。この時、リツコの「母さんは、娘より、自分の男を選ぶのね」というセリフにそういう気持ちが込められています。娘である自分を、なんだかんだ母は最後には助けてくれると信じていたのではないでしょうか。
最後にリツコはゲンドウに撃たれてしまうわけですが、彼女の最後のセリフは笑顔を浮かべた「うそつき」というセリフ。この時、ゲンドウが何を言ったのかは、映像作品でははっきりと明示されませんが(マンガ版には描写あり)、うそとわかっていても彼女にとって嬉しい一言だったのでしょう。
物語終盤のリツコの行動は、序盤の彼女の印象とは異なり、合理的なものではありません。むしろ、極めて非合理的ですらあります。しかし、理知的な科学者としての側面とは別の面、女や娘としての側面とのせめぎ合いがあったのだとすれば、色々と理解できる部分があるように思います。
一番身近な同性である母の背中を、科学者としても、女としても追いかけることになってしまった彼女の悲劇は、生々しい人間としてのリアルさがあります。こうした生々しさもまた『新世紀エヴァンゲリオン』という魅力ひとつだと改めて思うのです。