〈山口組分裂抗争・最終局面へ〉「一般の市民にはご迷惑お掛けしました」山口組幹部らが警察に“終結宣言”の前代未聞…「10年戦争」の行方は?

日本最大のヤクザ組織を巡る分裂抗争がいよいよ最終局面に入った。2015年8月、六代目山口組(司忍組長)から複数の傘下団体が離脱し、新組織「神戸山口組」(井上邦雄組長)を結成したことに端を発する抗争は4月7日、六代目山口組の幹部が兵庫県警本部を電撃訪問したことで終局に向けて大きく動き出した。ただ、警察当局は「六代目山口組が神戸山口組に突きつけた一方的な終結宣言」(捜査関係者)とみており、火種はくすぶったままだ。これまで多くの抗争を繰り広げてきた山口組の歴史の中でも「前例のないやり方だ」(暴力団関係者)ともされ、裏社会に大きな波紋を広げている。 

兵庫県警本部に高級ミニバンで乗りつけた執行部の最高幹部

「六代目山口組の幹部3人が兵庫県警に行くようだ」

暴力団関係者らの間で、こんな情報が出回ったのは7日午前のことだった。名前が挙がった六代目山口組の幹部とは、森尾卯太男本部長、津田力若頭補佐、安東美樹若頭補佐の3人。

組長、若頭に次ぐ「ナンバー3」の実力者である森尾本部長はじめ、いずれも「プラチナ」と呼ばれる執行部の最高幹部だ。

続けて、2017年に神戸山口組から脱退した後、「任俠団体山口組」から「任侠山口組」、さらに「絆會」へと名称を変えて活動していた組織の幹部が六代目山口組傘下の有力団体を訪問したとの情報も飛び交った。

「抗争終結に向けた動きのようだ」「移籍の話か」などと憶測も広がり、緊迫の度はさらに増した。

その数時間後、兵庫県警本部に乗りつけた高級ミニバンから降り立つ幹部の姿が報道陣のカメラに捉えられ、裏社会でのざわめきはどよめきへと変わった。

「県警本部を訪問したのは、名前が挙がった森尾氏、津田氏、安東氏の3人でした。その場で『全国の任侠団体の申し出により山口組は抗争を終結する事にした』などと書かれた『宣誓書』が県警に示されました。

その際には、神戸山口組の井上邦雄組長、元神戸山口組の副組長で宅見組の入江禎組長、同じく神戸側から離脱した池田組の池田孝志組長ら敵対組織の幹部の名前も挙げています。さらに、絆會の織田絆誠会長とも『今後一切揉める事はしません』と明らかにしました。

『一般の市民にはご迷惑お掛けしました』と結び、六代目側のナンバー2・高山清司若頭と執行部一同の総意であることも明言したのです」(在阪社会部記者)

電撃的な「終結宣言」に至るまでの予兆はあった。発端は3月、六代目側とも関係の深い関東の有力団体・稲川会の幹部の動きだった。

「稲川会の幹部が六代目山口組と神戸山口組の抗争を終わらせるための『連判状』を作成するために全国の組織を回っているとの情報が出回りました。さらに4月に入ると、この『連判状』に関東の主だった団体が同意し、六代目山口組と敵対する絆會も歩み寄りの姿勢を見せたとの話も出回りました。

この『連判状』は、要望として稲川会と住吉会が六代目山口組側に渡したとされました。ただ、肝心の神戸山口組を率いる井上組長が、この『連判状』の中で抗争終結の条件とされた引退を受け入れなかったとも伝えられ、先行きは不透明なままでした」(同前)

六代目山口組の幹部による電撃訪問は、こうした流れの中でのものだったため、驚きをもって受け止められたという側面もある。 

さらに、抗争相手との「手打ち」や明確に雌雄を決することもないままでの一方的な終結宣言は、数々の抗争を重ねてきた山口組の歴史の中でも、異例ともいえる対応だったという。

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優勢に立つ六代目山口組側が抗争終結を急いだ背景

六代目山口組、神戸山口組の双方の事情に詳しいある暴力団幹部は、「かつても抗争終結を宣言したことがあったが、ここまで一方的な終結宣言は聞いたことがない。たとえば明友会と揉めたときも、大阪戦争のときも、向こう側が先に事実上降伏してしまっていた。一和会とのケンカでは、向こうの組を解散させた。

今回は井上(邦雄組長・神戸山口組)や入江(禎組長・宅見組)らも首を縦に振ってないまま。その段階で『こちらから何もしない。仕掛けることはない』と警察に伝えるというのはこれまでになかったことじゃないか」と驚きを口にする。

この幹部が例示したのは、1960年に大阪を本拠とする暴力団「明友会」と三代目山口組との間に起こった「明友会事件」、1975年から3年あまり続いた三代目山口組と二代目松田組との「大阪戦争」、四代目跡目問題をきっかけに組織を離脱した一和会との84年から89年にかけての「山一抗争」の各抗争である。

いずれの抗争でも山口組側が抗争相手を圧倒する形で“いくさ”を収束させ、その戦果として組織をより強固に拡大させていった経緯がある。

抗争が始まってから10年近くが経ち、離脱した神戸山口組の結成当初の中核組織だった山健組が六代目山口組に復帰するなど、近年は組織力の低下が顕著になっていた。

1月には井上組長の自宅が襲撃を受けて放火されるなど、劣勢に立たされていたのは明らかだったが、優勢に立つ六代目山口組側が抗争終結を急いだ背景には、暴力団組織を取り巻く環境の変化が影響しているともみられる。

「2020年から24年にかけて、神戸山口組や六代目山口組、池田組、絆會がそれぞれ『特定抗争指定暴力団』に指定された。この影響で、警戒区域が広がったほか、組織の集まりなどもこれまで以上に制限されるようになりました。抗争では優位に立つ六代目山口組ですが、いまでは本部がある神戸のほか中核団体である弘道会の本拠がある名古屋でも会合が持てなくなってしまいました。

現在、組織の集まりは、警戒区域から外れた静岡県の傘下団体の関係先で行なわざるを得なくなっていると言います。抗争が長引けば長引くほど、組織が疲弊していく状況であることは間違いありません」(前出の記者)

警察当局の締めつけは、六代目山口組や神戸山口組といった抗争の当事者のみにとどまらず、暴力団社会全体にも及んでおり、こうした時代の趨勢が、今回の終結宣言の端緒ともなった「連判状」を求めた他団体の動きにつながっているとも言えよう。

8月で10年の節目を迎える抗争は果たしてどんな終局を迎えるのか。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班