
新年早々、1月6日に自己初となる日本武道館での<単独公演「焔」>を成功させたキズは、それから2ヵ月も経たないうちに、今度は日比谷野外大音楽堂で堂々たるライブパフォーマンスを披露してみせた。
いずれもこのバンドの現在の充実ぶりが伝わってくる素晴らしい内容だったが、そこでひときわまばゆい存在感を放っていたのが「 R/E/D/ 」と題された最新曲だった。今回は、このバンドの首謀者である来夢に、これら2本の象徴的な公演を経てきたからこその、今現在の心境を聞く。いきなり余談だが、どうやら彼は、この季節には花粉症に悩まされるのが常であるらしい。そしてこの日の会話も、そこからスタートすることになった。
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◾︎自分を全力で表現することで人を楽しませる
◾︎そういう芸術をやりたい
──本日のテーマは「ミュージシャンと花粉症について」です。もちろん冗談ですが。
来夢:あはは! このまえの野音も花粉、強かったですね。
──好天には恵まれたものの、逆に花粉はたっぷり飛び交っていましたよね。
来夢:キツかったですね。呼吸が辛いというのもあるし、僕の場合、野外で歌うのがちょっと苦手なのかもしれない。ホコリを吸い込みがちな傾向があるんです。人よりも大きな声を出してるわけで、そのために一回に吸い込む空気の量も多いんですよ。だから一発で喉が破裂しちゃうみたいなところがあって。
──しかも前日にも同じ野音で出し惜しみのないライブをやっていたわけですもんね、しかもDEZERTとの対バンで。
来夢:そうですね。やっぱ対バンとなると自分を抑えきれなくなるじゃないですか。ワンマンとはペース配分も違ってくる。というか、対バンの時はペース配分ができないんです、僕の場合。もちろんそういう癖を直さなきゃいけないという自覚もあるんですけど、コントロールできなくなって、やらかしちゃうんです(笑)。以前からそうなんですけど、僕、喉を壊すのってたいがい対バンをやった時なんですよね。「あそこで無茶しなければ、次のライブにも全然支障なかったはずなのに」みたいなことが過去にもありました。しかも以前は、その後で半日も寝れば完全に治ってたんですけど、今は2~3日かかったり、1週間ぐらい長引いたり……。
──年を取ってくると、二日酔いをそんな感じで引きずるようになりますよ(笑)。それはともかく、3月2日の野音でのライブの際は、喉の面では万全ではなかったわけなんですね? 観ていてそんなふうには全然感じませんでしたが。
来夢:だったら良かった(笑)。でも実際、まったく万全ではなかったんです。お恥ずかしい話ではありますけど。ただ、もちろん日頃トレーニングとかはしているので、自分の最低ラインが底上げされてたというのはあるのかもしれない。

──同時に、自分が気にしているほどみんなはそこを気にしていない、というのもあるはずです。
来夢:そうなんですよね。だから僕、ライブの自己評価というのをやめようかなと思っていて。自分が思ってることとみんなが思ってることが、まったく違うなと思わされることが最近よくあって。それこそ武道館もそうだったし、野音もそうだったし、「これは自分で評価するようなものでもないのかな?」と思うようになっちゃったんです。ただ当然、自分なりのベストコンディションで全力を発揮できるようであろうってことは意識してますけど。
──自己評価をやめようという考えに至ったのは、おそらく来夢さんが自分自身に対して厳しくなりがちなのを知っているからだと思うんですよ。甘やかすのではなく。
来夢:それはあると思います。でも、歌っていて「これは上手くいってないな、伝わってないな」と感じることも実際あるんです。ただ、ライブというのは自分が楽しむためのものじゃなく、みんなに楽しんでもらうためのものだから、自分は自分として最大限の力を出し尽くすことだけを考えればいいのかな、と思うようになってきて。だから余計なことは考えずにおこう、と。自己評価し始めると、やっぱりいろんなことが気になってきて、本質を忘れがちになるというか。
──何のためにやっているのか、わからなくなってきますよね。
来夢:そうなんですよ。しかも特に対バンの時は。

──野音の話に戻りますけど、<雨男>という公演タイトルとは裏腹に、まずまずの好天でした。当日の朝は、ホッとしたんじゃないですか?
来夢:ホントに安心感をおぼえましたね。起きた時点では曇ってましたけど、これなら大丈夫そうだな、と。
──当日、会場に集まった人たちの多くは天気のことも気にしてたはずですけど、それ以上に「武道館公演を経てきたキズがどんなものを見せてくれるのか?」と思っていたはずです。来夢さん自身は、どんなライブにしたいという意識で臨んでいたんでしょうか?
来夢:自分の中では当初、武道館の手応えというのが「そこそこできたんじゃないか?」という程度のものだったんですね。ところが周りからの反応がめちゃくちゃ良くて、「あれ? 自分が思ってる以上にヤバいライブしちゃったのかな?」という感覚もあったんです。それもあって、野音が近くなってきた頃に武道館での映像をパッと見てみたところ、自分でも「確かにちょっといいライブしてるかも」と思えて、次の瞬間、なんだかブルブル震えちゃって(笑)。というのも「これの次にできることって何かあるのかな?」というプレッシャーを感じたからなんです。なにしろあれ以降、何もリリースしてないですし。今は「 R/E/D/ 」という新曲を掲げて頑張ってる最中ではありますけど、「武道館の次の展開を見せる」という意味ではすごく難しいライブではありましたね。
──しかも実際問題、スケール感は武道館を遥かに下回ることになるし、野外会場だけに演出面でできることにも限りがある。ただ、結果的には映像や照明の使い方の大胆さも印象に残ったし「野外でここまでできるのか!」と思わされましたよ。
来夢:ああ、それは嬉しいです。ただ、僕自身は演出面についてはほとんど何も意識していなかったし「とにかく派手にやる」ということぐらいしか考えていなかったかもしれないですね。野外では特別なことなんか何もできないから、自分たちが全力で表現するしかないというか。そんな中で今回は生カメ(=即時対応の映像カメラ)を結構入れてもらって、自分たちの表情を見てもらう形にはなってたと思うんですけどね。実は僕、もうあんまり演出のことに口を出してないんですよ。そこはドラムのきょうのすけに全部任せていて。昔は全部、自分でやってたんです。公演前日に映像とか照明のシミュレーションをやったりもしていたし。ただ、そこまで自分でやっていると、さすがに集中力が続かなくなってきちゃうというか。しかも自分で演出を考えていると、過剰演出になりがちというか、演出自体が上手くいかなかった時、それが嘘になっちゃうようなところがある。そこに気付いた時に「自分で自分を演出するって、なんか嫌だな」と思ってしまった瞬間があって、「自分はこう見られたい」みたいな邪念をステージに持って行きたくないな、と考えるようになったんです。そこにピンスポが当たることがわかっていて、わざわざ自分からそれを浴びに行くって、なんか不自然じゃないですか。だったら、きょうのすけの判断で光を当ててくれたほうがいい。彼は常に僕を後ろから見てくれているわけだし。
──誰よりもステージ全体が見えているわけですよね。同時に、演者自身が舞台監督のようになってしまうと、少しでも予定通りにいかなかったりすると気になってしまうだろうし、イライラさせられることになるはずです。
来夢:ホントに昔はイライラしてばっか、キレてばっかでした。でも、結局それって、自分で抱えなくていいものを抱えすぎだったからなんですよね。自分なりの完璧さを求めるのはいいけど、その価値観を周りに押し付けてイラついたところで、それは自分のためにもならないなと気付かされて。結局、自分がやりたいのは音楽なんですよ。怒りたいわけでも演出をやりたいわけでもない。それを意識しながら、他の誰かに任せられることは任せて、今は結構バランス良くやれてるんじゃないかな、とは思うんです。その意味では、きょうのすけからすごく力を借りてるし、そのおかげで僕は曲により集中できるようになったし。「鬼」とか「 R/E/D/ 」が完成できたのも、それがあったからかもしれない。
──なるほど。今回の野音公演には、武道館を経てきたからこそのプレッシャーが伴っていたことについてもよくわかりました。
来夢:ライブが近付いてくるにしたがって、それが強くなってきましたね。それこそ武道館公演から丸2ヵ月も経ってなかったわけじゃないですか。実は僕、何故かその間に3ヵ月あると思い込んでたんですね(笑)。だから気持ちの準備も足りてなかった。ただ、そんな中ではあったけど、自分としてはよく表現できてたんじゃないかなと思います。
──武道館公演を終えた後、目指そうとしていたものと結果との間に、何か違いを感じていましたか?
来夢:いや、何かを目指そうとしてたというより、自分なりの違和感みたいなものがあったんですよ。公演当日の1週間前ぐらいまで、それが何に対する違和感なのか答えがわからないままでいて。結局、自分のバンド人生というのがある中で、自分が何をやってる人なのか、というところでの違和感だったんですよね。ステージに立ってエンターテインメントをやってる人なのか、歌ってる人なのか、芸術をやってる人なのか。いろいろあるじゃないですか、ステージに立つ意味というのが。それが自分の中で、少しごちゃっとしてた部分があって。で、最終的に気付いたのは、やっぱ自分がやりたいのはエンタメじゃなくて芸術だということだったんです。自分を全力で表現することで人を楽しませる、そういう芸術をやりたい。そこに気付ける前は、「武道館に、ライブをやらされちゃいけない」ってことばかり考えてたんです。

──武道館に、ライブをやらされる。どういう意味でしょう?
来夢:やっぱロックバンドにとって、武道館というのはすごい力のある場所なんですよ。武道館という言葉自体に力があって、ホワイトボードにその3文字が書かれただけでも、ちょっとウルっときちゃうぐらいのところがある(笑)。だから、それこそMCで「武道館!」と一回でも言っちゃうと、完全に武道館に飲まれちゃうなと思ったんです。
──あの日、一度も「武道館!」という煽り方をしなかった理由は、そこにあったんですね?
来夢:完全にそれが理由でした。それを言っちゃうと、自分もメンバーもお客さんも「ああ、武道館だな」という雰囲気になってしまうし、武道館公演をやりに来てるはずなのに、やらされてる感じになってしまう。エンタメだったら多分、それでいいんですよ。でも僕が武道館でやりたかったのは、それじゃなかったんですよね。もちろん武道館でやりたかったけど、武道館のためにライブをするわけじゃなかったから。
──武道館に思い入れがあるからこその複雑な気持ちがあったわけですね?
来夢:そうなんです。それこそ好きなアーティストの武道館の映像って、絶対見るじゃないですか。僕も実際、結構見てきたんですけど、「武道館にやらされてる」と感じさせられるケースが結構あったんですね。それはそれで全然いいんだけど、このままでは自分は武道館に負けるな、と思ったんです。いろんなバンドやアーティストが武道館を経験して、それを超えていったわけですけど、それを乗り越えられなかった人たちもたくさんいるじゃないですか。その差は何なんだろうと考えた時、それは「武道館にやらされてるかどうか」という違いなんじゃないかな、と思ってしまって。
──よく「服に着られている」みたいな言い方をすることがありますけど、それに似ているようにも思います。
来夢:そうですね。そこに気付いたのが本当に公演1週間前ぐらいのことだったんです。で、それまで抱えていたエンタメ的なアイディアとか、「こんなことをやって楽しませてやろう」みたいに考えていたことを、全部捨てました。そういうことじゃなく、あくまで自分の芸術をやろう、と。そう思えたこともプラスの方向に作用したのかもしれないですね。年末あたりは結構もやもやした気分が続いてたんですけど。実はそのちょっと前に食中毒になるというアクシデントもあって、「ああ、武道館もう駄目かも」って弱気になったりもしてたんですけど、結果的にはそれも完治して、全力でやることができて。あの当日の自分は、多分ベストコンディションにあったと思います。
──以前、野音での<そらのないひと>を控えていた時も、あの会場には思い入れがあるけれど極力それを言わないようにしている、と言っていましたよね。それを言ってしまうと観る側もそういうライブだと意識し過ぎてしまうから、と。当時その発言を聞いた時には「なんて天の邪鬼な人なんだろう」と思ったものですけど、今の発言を聞いてすごく納得できました。
来夢:結局、自分が抱えてきてた違和感の理由が全部そこにあったんですよ。対バンをやるにしても、やっぱ本気でエンタメに取り組んでるバンドたちの中に混ざると、ちょっと雰囲気に飲まれてエンタメをやりたくなっちゃうじゃないですか。そうなってしまうと、自分の味が出なくなってくるんです。対バンに合わせてしまって、自分のやることが変わってしまうんですよね。もちろん、エンタメが悪いっていうわけじゃない。ただ、僕がやりたいこと、僕が行きたい道はこれだなっていうのが、あの時期に改めてしっかりと確認できたんです。武道館直前ギリギリに、そこに気付けて良かったです。
──芸術とか自己表現というのは、一方通行で終わってしまうことを覚悟のうえで取り組むものでもありますよね。ただ、それが共鳴を集めると結果的にはエンターテインメントとしても成立する。あの日の全演奏を終えた時の皆さんがウルッときていたのは、それを実感できていたからだったんじゃないかと思うんです。
来夢:最後はかなりやられました。光がぐるっと回って会場内がパッと明るくなる演出があったじゃないですか。あの場面で「ああ、やっぱ武道館だ!」と感じちゃったんですよね。でもまあ、僕自身はわりと涙を堪えてた方じゃないかとは思うんですけど(笑)。
──実際、武道館という大きな空間の中で「お客さんにちゃんと届いている」という実感を味わうことはできていましたか?
来夢:他のメンバーたちがソロをやる時に、僕が一度ステージから引っ込むタイミングがあったじゃないですか。あの時まではその感覚をあまり掴めてなかったですね。多分、お客さんも緊張してたと思うんです。初めての場所でまったく新しいことをやるとなると、僕も緊張するし、みんなも緊張することになるわけで、ライブどころじゃなくなると思うんですよ。だから、できるだけお客さんも緊張せずに済むはずのセットリストを組んだつもりなんです。みんないつも聴き慣れてる「ストロベリー・ブルー」を1曲目に持ってきた理由もそこにあって、序盤のうちから緊張が解けるような展開を用意してたんです。ただ、それでもさすがに武道館なんで、緊張してる空気はあったし、届いてないなと感じる部分はあった。で、そのソロの場面で楽屋に一度戻ってきた時に自分をちょっと落ち着かせて「何が足りねえんだろうな?」と考えて……そこからより積極的にメッセージを届けることを意識し始めてからは、伝わってる実感を得られるようになってましたね。やっぱ、そこですごく煽ったりしても、ちゃんと届くまでに時間もかかるわけじゃないですか。大きな場所ならではの距離感がある。そのあたりは、武道館をやる前に代々木第二とかでやってきて、経験値を積んできたのも良かったなと思いましたね。NHKホールでやった時にも、大きなホールでの届きにくさみたいなものを感じてました。MCとかも、ゆっくり話さないと絶対に届かない。そういう意味では、ちゃんと段階を踏まえて武道館に行けたのは良かったかもしれない。

◾︎ステージに立っている以上は与え続けたい
──武道館公演でも印象的な場面はいろいろありましたけど、やっぱりキズのライブは言葉が記憶に残るんですよ。終演後、スクリーンに映し出された「この命でお前の全てを救いたい」というメッセージも印象的でした。あれは「おしまい」の歌詞に手を加えたものでもあり、当日は実際その形で歌っていたわけですけど、来夢さんがあの日いちばん伝えたかったのはあの言葉ということになるんでしょうか?
来夢:そうかもしれないですね。「おしまい」をリリースした当時、自分でも歌っていて当時の歌詞のあの部分に違和感があったんですよ。それ以来、しばらく歌うのをやめていたのは、それを言いたくなかったからなんです。ただ、「そろそろ何か言いたいことがあるんじゃないか?」と考えた時に、あの言葉が浮かんできたんです。もしかすると、その言葉をもとにライブ全体を組んだようなところも自分にはあったのかもしれない。
──元々は《この手でお前を救うことはできない》と歌っていたわけですよね。
来夢:冷たいですよね(笑)。当時の自分は力不足で救えなかったんだろうな、と思うんです。それが正直な気持ちだったんでしょうね。「おしまい」は本当に初期の曲なので、どういうお客さんが観に来てくれるのかもまだわかっていなかった頃に、電話企画なんかをしながら作ったものだったんですけど、やっぱ電話越しとかじゃ救いきれないじゃないですか。そう感じながら書いたんだろうと思うんです。ただ、それをステージに立って歌っているうちに、そうじゃないんだなと徐々に感じるようになって、歌わなくなって。ただ、それに代わる歌詞をずっと書けずにいたんですけど、最終的には武道館を迎える前に書くことができたわけなんです。あそこで、自分が本当に思ったことを書いたのは間違いないですね。
──当時と比べると経験値の差もあるでしょうし、ファンの皆さんとの信頼関係のあり方、来夢さんの自信の持ち方にも違いがあるはずです。それがこの歌詞変更に繋がったのだと捉えると、すごく自然であるように思います。
来夢:確かに自信はもらってますよね。自信をもらって、その自信を活かしてるって感じがします。やっぱ自信って、自力だけでは得られないものじゃないですか。ある意味、人からもらうものでもあると思うし、今のファンの皆さんが目の前にいなかったら、僕は自身を持てずにいたと思うんです。
──そんな自信をもたらしてくれた人たちだからこそ、救いたいわけですよね?
来夢:そういうことだと思います。本当に自分は救われたな、救われてるのは自分のほうだなとずっと思ってきたんで。
──武道館公演時のステージ上の発言には「俺だけ信じてくれればいい」というのもありました。自分が救われたぶん、みんなを救いたい。だから信じてくれていいんだよ、という気持ちが伝わってきました。
来夢:伝わったのであれば嬉しいです。でも実際、ステージに立っている以上は与え続けたい、というのがあるんです。というか、与えなければ何ももらえないはずなんで。以前のバンドをやっていた頃は、それこそ「ライブに来い!」みたいなことを結構言ってたんですけど、今にして思えばそういうところにさえ違和感があったんです。結局、何かを与えないと何ももらえないなんて、当たり前のことじゃないですか。

──今、ふと思ったんですが、来夢さんの歌詞には《ごめんね》という言葉がたびたび登場しますよね。あれは「救えなくてごめんね」「与えられなくてごめんね」という気持ちの表れでもあったのかもしれませんね。
来夢:確かにそういう部分もあったのかもしれないですね。《ごめんね》という言葉については、結構マイブームだった時期がありました。マイナスな言葉が結構好きというか、そういう言葉をポジティブに使うというのが好きなんですよ。マイナスをマイナスのまま終わらせないというか。「おしまい」の歌詞にもそういうところがあると思うんです。
──マイナスの言葉といえば、「 R/E/D/ 」の歌詞に出てくる《呪いよりの夢》という言葉もすごいですよね。あの曲は武道館でも野音でもとても印象的でした。シンフォニックな要素なども含まれた音像、背景に流れていた映像ももちろんですけど、やはり言葉がすごく刺さってきて。あの曲も、書きたいことありきで生まれたものなんでしょうか?
来夢:完全にそうです。書きたいことがないと、僕が歌を作ることはまずないですね。あの曲の歌詞については、本当に自分のすべてというか、自分なりの「ロックとは?」というのを詰め込んだつもりなんです。

──そしてそんな曲を、武道館でやりたかったわけですね?
来夢:やりたかったですね。やっぱそこで「自分が掲げているものとは何なのか?」というのを提示したかったというか。それを「 R/E/D/ 」にすべてぶち込んだという自負もありました。僕はあんまりMCをやらないじゃないですか。それもやっぱり、まずは曲として、芸術として表現したいというのがあるからなんです、だからこそ曲作りや歌詞には力を入れないといけないな、と思うわけです。
──ええ。あの曲が演奏される際には、さまざまな先達へのリスペクトとオマージュが感じられる映像が流れていますよね。あれも来夢さんのアイディアによるものなんですか?
来夢:きょうのすけと僕と、動画を制作してくださるYUTAROさんとで相談しながら、ああいう形になったんです。とにかくリスペクトを込めてる曲なので、それが伝わるものにしたいという要望をこちらから伝えたところ、「こういうのはどうだろう?」と提案されたものがあって、それを基にして。あの映像はすごく曲に嵌まりましたね。自分でも「うわっ!」となりました(笑)。そこでも思ったことなんですけど、やっぱりチームって必要だし、すごく大切なものなんですよね。自分の曲を、歌詞を、押し上げてくれる。それは、まわりの力があってこそ可能になることなので。
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「 R/E/D/ 」
- rough mix ver. –
LYRIC VIDEO
─── #キズ #RED ─── pic.twitter.com/UlojwnnCrN— キズ (@ki_zuofficial) January 6, 2025
──実際、あの映像は、無言のうちにキズの出自やアイデンティティといったものを示していたように思います。
来夢:そうだったなら嬉しいです。もちろん捉え方は人それぞれだろうし、まっすぐそのままに受け止めるしかない人もいると思うんです。あの映像を見て、歌詞を耳にして、結果的に《宇宙とセックス》という言葉しか頭に残らなかったという人だって中にはいるだろうし(笑)。
──無理もないですよ。それくらい言葉として強烈ですから。宇宙というのも「果てしなく広がるもの」と捉えるか、「自分自身だけの小宇宙」みたいなものと解釈するかで、だいぶニュアンスが違ってきますよね?
来夢:確かに。ただ「 R/E/D/ 」の歌詞においては、どっちかと言えば広いほうの宇宙ですね、僕が意識しているのは。ある時、「音って不思議なものだな」と思ったことがあったんです。目に見えないものじゃないですか。仮に宇宙空間に僕の声が届くようなことがあるんだとすれば、それはずっと生き続けるのかな、とか考えてしまったことが最近あって。そんなことを思っているうちに、どんどんあの歌詞みたいな言葉に繋がっていったというか。まあ表現としては説明的じゃないし、かなり省略してるんですけどね。
──そんなふうに考え始めるとキリがなくなりますよね。それにやはり《呪いよりの夢》という言葉についても考えさせられます。願望は呪縛とは紙一重というか、背中合わせの関係にあるというか。
来夢:僕が思ったのは「呪われてないと武道館まで辿り着けないかな」ということだったんです。本当に自分はロックを夢見てるというより、それに呪われてる気がするんです。ガキの頃に見たり聴いたりしたロックに、ずっと呪われ続けた結果として今ここにいるというか。それは、やめられないからでもあるんです。本当にバンドをやめたいなと思ってた時期もあったんですけど、やめ方がわからなかった。自分の中で諦めたことも過去にはあったんです。前のバンドが終わった時もそうだったし。だけど結局、バンドをやらないと生きていけないようなところがある。それこそ風呂に浸かってる時なんかにふと思い出すんですよ。「やべえ、バンドやんねえと!」って。実は多いだろうと思うんです。やめ方がわからないからバンドを続けてるという人も。口に出して言わないだけで、実際はそういう人もたくさんいるはずで。僕もそんな人間のひとりだし、だからこそ綺麗にやめられる人とかをすごく羨ましく思ったりするんです。
──面白いですね。夢というのは叶う見込みがなくても追うことができるものですけど、何か乗り越えられない壁とかに衝突すると、そこで諦めざるを得なくなることがありますよね。ただ、夢はそれで消えるんだけども、呪いはそう簡単に解けるものじゃないように思います。
来夢:解けないんですよね、本当に。だから僕はそれを夢じゃなくて呪いと呼んでるんですよ。実際、「ロックに呪われてる」みたいな歌詞をいろんな曲に書いてたりするんですけど、いわば「 R/E/D/ 」はそういったものの集大成というか。それこそ自分は、武道館という呪いにもかかってたわけですよ。それまで夢だった武道館が近付いてきて、現実的な夢に変わると、また新たな夢を見ちゃうんですよね。自分の中に、まだまだ呪いが残ってるからこそ。夢と呪いは本当に紙一重のものだと思うんです。

──武道館公演の際に来夢さんが発した言葉として、最後の最後に聞こえてきた「またすぐやるよ。じゃあな!」という言葉も強烈でした。最後はあの言葉でカッコ良くまとめてましたよね。
来夢:カッコつけましたね(笑)。僕としては、やっぱ次に武道館でやる時には「武道館!」って言いたいんですよ。絶対、次回は言います(笑)。2回目の武道館をやれるならば、そこで武道館に飲まれることもなく、最大限に武道館に乗っかれるようなライブができるはずだと思いますし。
──つまり近々にリリースを控えている武道館公演の映像作品には、来夢さんたちが呪いから解放されていくプロセスが収められているともいえるわけですね?
来夢:いや、まだ呪いにかかったままの僕の、あるいは新たな呪いにかかった僕の姿なのかもしれません(笑)。
──同時に、選曲的にも内容的にも、まだキズをよく知らない人たちにとって、その映像は良い入門編というか、好都合な入口になるのではないかと思います。
来夢:確かにそれはあるかも。実際、すごくわかりやすいんじゃないかと思うし。僕が本当に自分を100%表現できたって思える瞬間がその武道館公演にはあったので、あの日に会場にいた人たちばかりじゃなく、これまでのキズをよく知らない人も是非映像を見てもらいたいですね。
──同時にキズのライブに関しては、「V系だと言われて観てみたけど想像していたのと違ってた」という反応も多いんじゃないかと思うんです。
来夢:すごく多いですね。実際、そういうことを結構言われます。少し前まで「最近のV系は違うんだよな」と言ってたような人たちが出戻って来てくれてたりとか(笑)。正直、もっとたくさん出戻らせたいです(笑)。ヴィジュアルロックが素晴らしいものだってことを、自分がもっと伝えていきたいというのがありますし、やっぱ自分自身がこのジャンルに助けられてきた、生かされてきた、これからも生かされていきたいという思いがあるので。それに憧れをもらったぶん、憧れを残していきたいですね。
──ある意味、呪いが解けないからこそそうやって継承していくことになるのかもしれませんね。ところでこの先には、いわゆる周年的な節目もあるだけに、その先にさまざまな展開を期待したくなってきます。武道館でも野音でも、終演後に特に目立った発表ごとはなかったじゃないですか。それだけに、この先に向けての動きが気になります。
来夢:実は今も結構いろいろと作業してるんです。ただ、去年の自分は「鬼」と「 R/E/D/ 」しか書いてなかったわけですよ。インディーズなのに2曲しか作ってない。メンバーともそんな話をしてゲラゲラ笑ってたんです。ただ、メンバーたちももっと曲を聴きたいって言うし、ファンの人たちもそれは同じだろうし、親族さえも「あんたたちもっと曲出したら?」って言ってくるので(笑)、そんなにみんな聴きたいんであればもっと曲を作ろうと思って(笑)。だから最近は常に(曲作りの道具としての)パソコンを持ち歩いてるんです。去年だって、べつにサボってたわけじゃないんですよ。ただ、完成して残そうと思ったものが2曲しかなかったというだけで(笑)。でも、今年はもっと残せるようにしたいと思ってます。実際、あんまり動いてないように見えるかもしれないけど、秘密裡に制作に勤しんでたりもするんで。
──去年生まれた曲が少なかったことには、何か理由があるんでしょうか?
来夢:ただただ、「鬼」という曲に集中していたからです。あの曲がこれまでの人生でいちばん時間をかけたものなんです。9ヵ月ぐらいかかったんじゃないかな。ただ、まわりのスタッフというかチームが、それこそ社長も含めて、それでいいって言ってくれてるんです。そんなに時間がかかってるのに、僕を信頼してくれてるわけです。だからこそ「鬼」はいいものにできたという自負があるんですけど、僕自身は曲作りが苦手というか、好きじゃないんですよ。器用にやれないんです。同時進行で何曲も作ることができない。だからいつも1曲しか作ってないし、「鬼」が完成したからこそ、その次に「 R/E/D/ 」を作ることができたんです。結局、その時に作ってる1曲のことしか考えられないんですよね。
──しかし、それを待ってくれる環境があった。
来夢:そこについては本当に感謝してます。ただ、今は自分の頭が過去最高に冴えてる気がしてるんで、できる限り多く残していきたいなと思ってますね。なにしろ僕ら、まだアルバムを1枚も出してないじゃないですか。それはどうにかしたいですね。とはいえ今作ってる曲ができあがるまでにまた9ヵ月かかったりするのかもしれないけど(笑)。
──曲を作る時のスタンスというか姿勢は基本的に変わっていないだろうと思うんですが、リスナーの数が増え、ファンに対する信頼感も強まっている中で、モチベーションの持ち方が変わってきているようなところはありますか?
来夢:あんまりそういうところは意識してなくて、むしろ本当に一方通行でいいなと思ってるんです。僕、音楽っていうのは勘違いされて構わないものだと思ってるんです。自分という存在もきっと勘違いされてる部分があるはずだし、キズというバンドについてもそう。それだったら、それでいい。だからそこで「広く届け!」とも思わないし、「自分たちとしてはこう思われたい」というのもないし。それを邪念と呼ぶべきかどうかはわからないですけど、ただただ自分を最大限に表現したいという気持ちは今も変わってないし、この先も変わらないと思います。だから、今の自分を全力で表現するってことを、常にいちばんに考えてます。それがどう伝わっていくかっていうことも本来はもっと考えなくちゃいけないんだろうけど、僕がそこを考えるようになると、曲に集中できなくなっちゃうんで。
──ええ。話がそこに戻ってしまいますよね。
来夢:だからこそ自分は本当に、芸術をやりたいんだなって思えるんです。作品もそうですけど、ライブについても芸術と呼べるものにしたい。なんか自分の口から「これ聴いてくれ!」って言うのも不自然な話じゃないですか。自然な出会いの中で生まれる物語っていうのがあっていいはずだし、音楽との出会い方って大事だと思うんです。だからこそ自分でも気になるし、めっちゃ知りたくなるんです。その人がキズの音楽と、いつ、どこで、どんなふうに出会ったのかというのが。
取材・文◎増田勇一

LIVE DVD『キズ 単独公演「焔」2025.1.6 日本武道館』
2025.4.9 RELEASE
【完全生産限定盤】DMGD-042/043 [DVD+CD] ¥18,000(tax in)
*オリジナルBOX仕様
*ランダム裏ジャケット(全4種より1種封入)
*フォトブックレット60P
*動画配信視聴コード封入(メンバー副音声ライブ映像/期間限定)
[DISC-1 DVD] キズ 単独公演「焔」2025.1.6 日本武道館
01. ストロベリー・ブルー
02. 傷痕
03. 人間失格
04. 蛙-Kawazu-
05. 銃声
06. 地獄
07. ⻤
08. 平成
09. My Bitch
10. 0
11. リトルガールは病んでいる。
12. おしまい
13. R/E/D/
14. 鳩
15. 豚
16. 雨男
17. ミルク
18. ⿊い雨
[DISC-2 CD] SINGLE「R/E/D/」
01.R/E/D/
発売元:DAMAGE

▲完全生産限定盤ジャケット
【通常盤】 DMGD-044/045 [DVD+CD] ¥7,700(tax in)
[DISC-1 DVD] キズ 単独公演「焔」2025.1.6 日本武道館
01. ストロベリー・ブルー
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07. ⻤
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11. リトルガールは病んでいる。
12. おしまい
13. R/E/D/
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16. 雨男
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18. ⿊い雨
[DISC-2 CD] SINGLE「R/E/D/」
01.R/E/D/
発売元:DAMAGE

▲通常盤ジャケット