
最近中国で流行っている言葉、「潤」。さまざまな理由から、よりよい暮らしを求めて中国を脱出する人々を指しているという。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。この「潤」たちのきっかけを作った、中国の有名企業家がいた……。
『潤日(ルンリィー) 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』(東洋経済新報社)より一部を抜粋・再構成してお届けする。
日本びいきの不動産王
ジャック・マー氏と並んで、日本に長く滞在することが多くなったのが不動産開発会社「万科」創業者の王石(ワンシー)氏だ。
日本ではあまり知られていないが、哲学をもち一家言ある人として知られ、中国ではジャック・マー氏に引けを取らないくらい尊敬されている改革派だ。企業家として名を成した後でも、ハーバード大学やケンブリッジ大学で研鑽を積んだほか、エベレスト登頂に2度成功した登山家の一面もある。
この2人が日本に滞在することのインパクトが大きいのは想像に難くなく、中国人企業家が日本を「再発見」するようになったきっかけともなった。
私が手に入れた登記によると、王石氏とその妻、田朴珺(ティエンプジュン)氏は素晴らしい夜景が目前に望める都心のあるタワマンの高層階に居を構えている。
東京で王石氏を交えて食事をしたことのある中国人男性は、彼の生活ぶりについて「本をよく読んでいます。日本文化に強い関心を持っているようだ」と話す。
彼の半生を振り返ってみよう。
王氏は1951年、広西チワン族自治区柳州市生まれ。父親が鉄道局で働いていた関係で、少年時代は河南省で過ごした。17才のときに徐州で入隊し、5年後に復員した。
その後、中国北西部に位置する甘粛省の蘭州鉄道学院で排水について学んだ。卒業後は広州鉄道局に技術者として配属され、鉄道沿線の土木プロジェクトを担当した。
万科の前身はビデオデッキなど家電の輸入代理店だ。もともと国有企業だが、当時33才だった王石氏がトップに就任した。
1980年代後半、万科は不動産業に参入していく。中国で国有企業改革が始動すると、中国でいち早く株式の発行に動き、1991年には誕生したばかりの深圳証券取引所に上場した。改革開放の申し子のような会社だ。本拠地の広東省深圳市のみならず、中国全土で開発プロジェクトを拡大させていった。
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1年間の獄中生活を送ることになった王石氏
興味深いことに、詳しく調べてみると、王石氏は天安門事件にかかわっていたとされることがわかった。米『ワシントン・ポスト』紙の記事にこのような記述がある。
1989年、王石はどん底に落ちた。その年の5月、100万人以上の人々が北京をはじめとする中国の各都市の通りに集まった熱狂的な日々にあって、中国万科の王社長は、自由を求める行進に従業員を率いて参加した。
この行進によって、彼は1年間の獄中生活を送ることになった。王は、当時7才だった娘が月に一度、妻と一緒に刑務所に通っていたことを思い出した。母は娘に父が刑務所にいることを告げず、ただ叔父に会いに行くのだと言った。刑務所で娘は犬と仲良くなった。刑務所の規則で、娘を施設内に入れることはできなかった。
「だから私は犬を連れた叔父さんになったんです」
王石はそう言いながら苦笑いを浮かべた。
(中略)王石は政府に反対する政治運動に参加したことは間違っていたと言う。
「私には、政治よりも重要な株主に対する責任があります」彼は言う。
「大企業の最高経営責任者が、従業員を率いて政府に対する政治的抗議を行うのは、あまりいいことではありません。私は完全に自由な人間ではないのです」(同紙1999年6月4日付)
その9年後、『ニューヨーク・タイムズ』紙が掲載したインタビュー記事では、王氏はさらに天安門事件との距離をとった。
現在、王はその行為(デモに参加したこと)を知らないというのみならず、スポークスウーマンを通して、そのようなことがあったことも否定している。
王氏の名誉がどのように回復されたかは不明である。しかし、天安門事件の後、中国の支配者たちは、今日までこの国を縛る不文律の社会契約を結んだ。あなたたちが善良な市民のように振る舞い、政治を私たちに任せてくれるのであれば私たちはあなたたちが豊かになるのを助ける、というものだ。(同紙2008年4月6日付)