小麦粉を練ってリング状に。それを茹で、もっちりと焼く——。「ユダヤ人のパン」とも言われるベーグルは今や日本でもスタンダードだ。NY辺りではサンドイッチがお約束。クリームチーズとサーモンのロックスなんて、そりゃあ、もうたまらない美味さだ。

「日本人向け」とかじゃなく、自分にウソをつかない味を。

もっとも『bob bagel(ボブベーグル)』のベーグルは、ちょっとだけひねりを利かせている。ベーグルサンドの具にマリネにした三崎港のマグロを挟んだり。蜜のように甘い焼き芋と濃厚なクリームチーズのマリアージュが楽しめたり。ベーグル生地に河童橋にある有名海苔店を混ぜ香ばしく焼いたりする。でもってどれも抜群の味わいなのだ。

店を構えているのが旧東海道の宿場町「北品川」。しかも品川神社の表参道にあたる。そんな風情ある立地もあり「日本人向けにアレンジしたベーグルを出してるんだな」なんて早とちりしそうだ。

けれど、違う。

「あくまでNYスタイルのうえに、良い食材とベーグルに合う組み合わせを追求しています。ことさら日本人好みを、とか和の雰囲気をを意識しているわけじゃないんです」と『ボブベーグル』オーナーのボブこと目黒裕規さんは語る。

「もっと言うと、自分が本当に『美味しい』『良い』と思うものだけお客さんに提供したかった。ウソをつくのが、イヤだったんです」


ポップなベーグルのロゴがかわいい『ボブベーグル』。店名にある“ボブ”は、オーナーである目黒さんの昔からのニックネームだ。「何だかボブっぽい、というだけの由来です」

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ストリート好きがデリカテッセンに流れ着く。


店は東海道の宿場町、品川宿があった京急の新馬場駅近くにある。オープン前から行列ができるのが日常です

もともとアパレル出身だった。なにせ1981年の川崎生まれでヒップホップ好き。10代後半は、恵比寿系と呼ばれたストリートブランドに憧れた世代だ。

「以来ずっと自分もストリートブランドを立ち上げたかった。最初はジーンズ店の販売員や洋服のお直しの店などで働いたあと、なんとか辿り着いたのはレディースブランドの生産管理の仕事でした」

ようやく入った憧れの世界。が、デフレ市場に押し潰される。

「仕事は値下げ交渉ばかり。縫製工場に『工賃を下げられませんか』『安くお願いします』と繰り返すだけ。自分も取引先も、いっつも眉間にシワを寄せていましたね」

次第に心にもシワが寄り、ついにはポキッときれいに折れた。

「友人とブランド立ち上げもしかけたんですけど、自分なら買わねないってモノしか作れなかった」

好きな服が嫌いになりかけた。もう30代。「なら違う道を……」と浮かんだのがベーグルだった。実は20代初め頃、旅先のLAで食べたそれにヤラれていたからだ。

「モーテルの朝食に出た、何のことはないベーグルでしたけどね。フィラデルフィアのクリームチーズをくったりと塗って食べたら『何コレ、美味いなあ』って」

学生時代、恵比寿のイタリア料理店でピザ焼きのバイトをしていたことも影響したかもしれない。 そしてアパレル業界を飛び出して、まずはパンづくりを学ぼうと思った。飛び込んだのが『ディーン&デルーカ』だ。言わずとしれたNY発祥のデリカテッセンチェーン。ベーカリーのスタッフになった。パンの基礎をそこで学び、ベーグルも開発し、好評だった。

大きかったのは、日本とは違う独特の味つけを日々学べたことだ。チキンにメイプルシロップを合わせたり。ナッツといちじくにチーズを絡めたり。アメリカらしい甘み×塩味のレシピは『ディーン&デルーカ』の得意技だった。

「今の絶妙なサンドイッチレシピの着想のヒントになりましたね」

そこでの仕事にほとんど不満はなかった。値段交渉もない。それでも「ほとんど」とつけたのは、一つ引っかかっていたからだ。

誰かのブランドでパンづくりをしている以上、誰かのOKが出ないレシピを形にできないことだ。「自分の好みは違うけど」。腕が上がるほど、小さなズレが気になり、オリのように溜まり始めた。

「当たり前なんですけどね。自分にウソをついている気がした。そもそも40歳くらいにはベーグルの店を出すと決めていたので、そろそろ次に行く頃なのかなと」

思い始めた頃、沖縄で出会う。