私はタバコもお酒もやりません。血糖値と血圧は少し高かったけど、血圧は長年薬を飲んでいたし、体調が悪いという自覚は全くなかった。病気になったときに、女房から「自己管理をしないから!」と怒られた。医者にも注意するようにと言われているのに、忙しくなるとついおろそかになる。自分の体の管理は己の責任なのにね。【体験談】大泉逸郎(歌手)

プロフィール

大泉逸郎(おおいずみ・いつろう)

1942年4月17日生まれ、山形県西村山郡河北町出身の演歌歌手。本業はサクランボ農家。1977年、アマチュア民謡歌手として東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけに、本格的に歌手活動を開始。1994年、初孫の誕生を機に「孫」を自主制作で発表。その後、1999年にメジャー・デビュー盤として「孫」を発表すると大ヒットを記録、「NHK紅白歌合戦」への出場も果たす。その後も「孫びいき」「親ごころ」など、ヒットを重ねる。長男が急性骨髄性白血病を患ったことを契機に、骨髄バンクへの支援活動も行っている。

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急にグルグルめまいが出て立てなくなった

私が脳梗塞を起こしたのは2011年の1月。友人の畑の雪かきを手伝った後、ひと息ついてお茶を飲んでいるときだったかな。急にグルグルとめまいがして、立つことも歩くこともできなくなって。そのまま友人に車で病院へ送ってもらい、CT検査を受けたら、小脳に梗塞が見つかったんです。

私はタバコもお酒もやりません。血糖値と血圧は少し高かったけど、血圧は長年薬を飲んでいたし、体調が悪いという自覚は全くなかった。

脳梗塞の原因は不整脈だったみたいです。不整脈を起こした心臓に血栓(血液の塊)ができて、それが脳に飛んだようで。入院中は脳梗塞の点滴治療をしながら、心臓のペースメーカーを装着する手術も受けました。

歩行訓練などのリハビリもしましたよ。ありがたいことに順調に回復して、3月には退院。3月31日にはコンサートも無事に開催できました。

ただ、退院後も少し体のバランスは悪かった。特に歩くときだね。医者には、小脳は平衡感覚と関係があるから、後遺症でバランスが取りづらくなるかもしれないと聞いていたので、なるほどやっぱりと思いました。

あと、少し重い荷物を片手で持つと、自然と体がそちら側に傾くんだよ。歩く方向も荷物側に曲がるし、いったん曲がるとなかなか戻せない。でも、会話は普通にできるし、立ち座りも車での移動も平気だから、脳梗塞の後遺症としては軽い方なんだろうけどね。

生活に大きな支障はないし、ステージの階段も上り下りするし、サクランボ畑ではハシゴにも登ってます。医者にはハシゴを使っての作業はやめるように言われてたんだけど、調子がよいと、つい上ってしまう。ゆっくりできない性分なんだね。

でも、確かにときどき、怖い感じもしたりするから、これは危ないね。注意しなきゃダメだ。