最初のコレクション

独立の翌年、メゾンで発表された最初のコレクションの中に、布地をたっぷりと使用した「コロール」(植物学上で「花冠」を意味する言葉)と名付けられたドレスがあった。そのフォルムはバラの花の構造からヒントを得たものだという。

ディオール「最後の絵画」
「最後の絵画」 と名付けられた、フォーマルガウン。1951年春夏コレクション。Photograph by Willy Maywald / Dior

ファッション誌の編集長によって「ニュールックの誕生」と評された彼のスタイルは、瞬く間に世界中に広まり、第2次世界大戦後のパリを再びファッションの中心地として復興させる役割を担った。

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グランヴィルの家と庭

ディオールの家
生家の床に羅針盤の風配図(リュンブ)がデザインされていることから、ディオールの家族はこの家を「リュンブの館」と呼んだ。AnnDcs/Shutterstock.com

ディオールの生家は、一家がパリに移ってからも、別荘として夏を過ごす場所だった。母から庭への情熱を受け継いだ彼は、15歳の頃、東屋や池などを配した庭の一画をデザインしている。植物のカタログを取り寄せ、それぞれの花の名前をラテン語でも覚えたという。

高台にある邸宅から、バラ越しに海を臨みたいという母の希望でつくられたバラ園は、彼にとっても特別な場所となった。

ディオール「マリー・アントワネットブルー」
ウエストにピンクのバラがあしらわれた「マリー・アントワネットブルー」と名付けられた色彩のイブニングドレス。1955年、春夏コレクション。
Photograph by Laziz Hamani/Dior

自伝『ディオールによるディオール』(『Dior by Dior』Victoria & Albert Museum刊)の中で「実のところ、私の人生のすべての様式は、グランヴィルの建築と環境に影響されていました」と語るように、その美意識は邸宅とそれを取り囲む庭園、庭から見下ろす海岸線の景観によって育まれた。生家の外壁の淡いピンクとグレー、これが彼のメゾンを代表する色となっている。