デザインの力で「障がい」を可視化。“パラ卓球台”に込めた思い

2021年、夏に開催された東京2020パラリンピック競技大会。日本は金13個、銀15個、銅23個、計51個のメダルを獲得。開催が1年延期されるなど、コロナ禍の影響を受けながらも、パラアスリートたちの活躍は多くの人に感動を与えた。

この大会を目指して発足したプロジェクトがある。その名も「PARA PINGPONG TABLE|カタチにとらわれない卓球台(以下、パラ卓球台)」(外部リンク)。残念ながら大会会場でのお披露目は叶わなかったが、このパラ卓球台は大きな話題を呼び、世界3大広告賞の1つ、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルにおいてデザイン部門で金賞、インダストリークラフト部門で銅賞を受賞。世界中からも大きな注目を集めた。

今回、プロジェクトを手掛けた日本肢体不自由者卓球協会(外部リンク)広報担当の立石イオタ良二(たていし・いおた・りょうじ)さん、シニアクリエイティブディレクターとしてパラ卓球台のコンセプトデザインを手掛けた浅井雅也(あさい・まさや)さん、同じくクリエイティブディレクターの木村洋(きむら・よう)さんに話を伺った。

障がいを「見える化」したら形にしたくなった

パラ卓球台プロジェクトが発足したのは2018年2月。その時の状況を立石さんはこう話す。

「兄がパラ卓球選手で、私も2014年からパラ卓球に関わってきました。2016年リオ大会での盛り上がりを見て、ほとんど認知されていない日本との差に衝撃を受けたんです。4年後の日本もこんな風に盛り上がってほしい、そのために何ができるだろう……と考えていた時に浅井さんを紹介していただき、予算がほとんどない中、『どうにかパラ卓球の魅力が伝わるプロモーションができないか?』というご相談を、ダメもとでさせていただきました」


パラ卓球の魅力について語る立石さん。兄はパラ卓球選手の立石アルファ裕一(たていし・あるふぁ・ゆういち)さん

当時、浅井さんは、立石さんの情熱に心を動かされたと話す。

「オリ・パラを契機に世界が日本に注目している中で、日本から世界に向けて積極的に何かを発信したいという想いがありました。そんな時に立石さんと出会って。とにかく熱意がすごかったのを覚えています。ぜひ一緒にやりたいと思い、洋さんや他のメンバーに声を掛け、チームをつくりました」


立石さんとの出会いを振り返る浅井さん

当初は、パラ卓球の魅力が伝わるキービジュアル(ポスター等の画像)の制作を予定していたが、パラ卓球の魅力を知るに連れて、その気持ちが変わっていったという。

魅力を掘り下げるため、パラ卓球選手にヒアリングを重ねていく内に、障がいの種類によって、弱点が異なることを知る。チームで深掘りしていく中で、この「弱点」をデザインに落とし込み、可視化したら面白いのでは?というアイデアが生まれた。

そこで、ナショナルチーム全20選手に「あなたから見える卓球台はどんな形をしていますか?」と尋ね、実際に描いてもらうと、「左に伸びている」「コートが丸い」「ネット際が遠く感じる」など、障がいの特性によって卓球台の捉え方が違っていたそうだ。

「この感じ方の違いを、上手くメッセージとして落とし込もう」と試行するも、徐々に「このすごさを伝えるには、実際に体験できるものが必要だ」と視点が深まっていく。中でも浅井さん、木村さんが衝撃を受けたのは、立石さんの語った「卓球が持つフラットさ」だった。

「まず、卓球自体が温泉などでも行われていて、日本人にとって非常に親しみのあるスポーツです。それに加え、パラ卓球は、全てのパラ競技の中で、最も多くの障がいをフォローできるスポーツ。例えば、手がなければ車いすバスケはできませんが、パラ卓球は手がない人も、足がない人も、まひの人も、誰でもプレーできる。そして“お互いが相手の弱点を狙い合う”ことが、最大のリスペクトになるんです。パラアスリートは、常に自分の障がいを克服するためにチャレンジをしていますから。逆に『障がい者だから』といって手加減することは、彼らからすれば『なめられている』ことになるんです」

そんな立石さんの話を聞いて、浅井さんとチームはパラ卓球のプロモーションの糸口を見つけた。

「左足が弱い選手は、踏ん張りが利かないので、左側には動きづらいんです。0コンマ1秒を争う世界で、動くべきかどうかの判断を瞬時に行っている。それが分かると、左に行って点を取ったときに『いま彼は勝負に出たんだ!』ということが理解できる。『もはや、健常者の卓球とは別物の卓球だ!』となり、この面白さを伝えたいと思いました」

木村さんは、実際にパラ卓球選手とプレーをして「実際に卓球台を作らないと!」と実感したという。

「本当にすごいんですよ。打ち返せないんです。このすごさをイメージではなく、本質部分を伝えるために何かできないかと話し合う中で、『選手がプレーしている感覚を、実際に体験することができたら、感動や共感もするし、パラアスリートへのリスペクトが跳ね上がるんじゃないか?』となりました」


「パラ卓球のすごさをポジティブに伝えたいと思った」と木村さん

当時、さまざまなパラリンピック関連イベントが開催されてはいたが、釈然としない思いがあったと立石さんは振り返る。

「パラスポーツの体験イベントって、健常者が車いすに座るとか、手足に重りを付けるとか、そういうものしかやっていなかったんです。それだと『大変そう』『難しい』といったネガティブな印象しか残らない。もっとポジティブに彼らのすごさが伝わればいいのに……と思っていました。その話をしたら、浅井さんが『やるんだったら、世界中の人にインパクトを与えること、社会全体が変わることをやらないと意味がないよね』と言ってくださって。その瞬間に、このチームで最高のプロモーションツールを作ろうと、大きく意識が変わりました」

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納期は1カ月。ParaFes 2018での初お披露目に向けて

実際に制作した卓球台は、生まれつき手が短いため、円形の「八木克勝(やぎ・かつよし)選手モデル」。左足のつま先に力が入らないため、左側に伸びた「岩渕幸洋(いわぶち・こうよう)選手モデル」。車いすのため、奥行きが長い「茶田(ちゃだ)ゆきみ選手モデル」の3タイプ。


写真左から八木モデル、岩渕モデル、茶田モデル。片側のみを変形させることで、障がいのある選手と健常者がほぼ同じ条件で対戦できる。画像提供:パラ卓球協会

制作はリオオリンピックや、東京オリ・パラ公式の卓球台を制作した卓球台メーカーの三英(外部リンク)が行った。

予算もなく無謀な依頼ではあったが、三英の三浦(みうら)社長は、立石さんの思いを受け止めた。リオ大会の卓球台と同じように天板は9層の薄い板を重ね、本物の卓球台と同じ色のレジュブルーで塗装も行った。

デザインについて木村さんはこう言葉を添える。

「台下部の形にも意味があります。最下層が一般的な卓球台の形となっていて、上にいくに連れて徐々に変形しているのですが、これは『進化した卓球台=パラ卓球台』というポジティブなメッセージが込められています」

パラ卓球台の初お披露目は、2018年11月23日に行われた日本財団パラリンピックサポートセンターが主催する「ParaFes 2018」(外部リンク)だった。立石さんが同フェスのプロデューサーに直談判して、なんとか発表の機会を得たという。

「実はParaFes 2018に出展が決まるまで、実際にパラ卓球台を作るべきか躊躇(ちゅうちょ)していました。でも、パラスポーツの公式イベントで観客は6,000人。そして、テーマが『真剣勝負』だったんです。パラ卓球台を出すならここしかないと思い、プロデューサーにゴリ押し(笑)。10月にプレゼンを行ったので、制作期間は約1カ月しかありませんでした。三浦さんには本当に感謝しています。今でこそ『あの時は大変だったよ〜(笑)』と言われますが、当時は『やります』の一言だけで引き受けていただきましたから」

当時を振り返り、3人は口々に「部活のようだった」と語る。その1カ月の間に撮影、ステージの重量制限オーバー発覚による軽量化、当日の1秒刻みの進行に間に合わせるためのリハーサルなど、大量のタスクをこのチームでこなした。


トラブル込みで「部活のようだった」と語る3人

ParaFes 2018当日、パラ卓球台を使用してリオ2016パラリンピック代表の岩渕幸洋選手とリオ2016オリンピック銀メダリストの吉村真晴(よしむら・まはる)選手が、勝負を行った。

序盤は岩渕選手がリードするも、吉村選手が徐々に得点を重ね、熱い戦いの末、吉村選手が11対5で勝利した。会場も盛り上がり、最高のタイミングでパラ卓球台の初お披露目は終了した。