ビリギャルが挑んだ30代からの受験勉強。やってみてわかった慶應受験とは違っていたこと〔後〕

高校時代、金髪にミニスカ、全国模試の偏差値30だった"ビリギャル”が、34歳のいまたどり着いたのは、アメリカの名門・コロンビア大学の大学院。彼女がここまで歩んできた道のりを聞くインタビューの最終回。大学受験から15年、改めて取り組むことになった受験勉強の実際と、初めての海外留学で待ち受けていた現実とは

1日8時間、考えうるだけの英語勉強法を試す

留学すると決めてから、目標をアメリカの大学院に定めて勉強を開始しました。大学院に出願するには、TOEFL(英語能力測定試験)で各大学が定めた基準点を取らなければいけません。ちなみにコロンビア大学教育大学院の場合、120点満点中100点が最低ライン。とにかくこの関門を突破しなければ先には進めないので、大学受験から15年近くたっていましたが、改めて英語の勉強を始めました。

英検準2級と2級レベルのボキャブラリーと、中学レベルの英文法を勉強し直してトライした1回目のTOEFLの結果は62点。100点なんてどうやって取るんだと途方にくれましたが、それからは講演の仕事もお休みして(ちょうどコロナ禍でキャンセルも多かった)、1日8時間を目標に勉強を始めました。

大学受験と、社会人になってからの大学院受験で一番違ったのは、坪田先生のようなコーチがいないということです。最初は自分ひとりだけではちょっと怖いなと思い、いくつか塾にも通ってみました。でも、坪田先生ほどの人には出会えなかったのと、数ヵ所に行ってみて教わることがだいたい見えてきたので、後半は自分で勉強することにしました。


イメージ写真(写真AC)

とにかく毎日、声がかれるまでシャドーイング(流れている英語の音声にかぶせるようにして復唱する英語の勉強法)や音読を繰り返し、オンライン英会話、ボキャブラリー、精読、速読と、メジャーな英語学習法は一通りやりましたね。1人でやるのがつらくなったときは、YouTubeの「ビリギャルチャンネル」で一緒に勉強する仲間を募ったり、「期限までにTOEFL100点取れなかったら400万円を慈善団体に寄付します」と宣言したりして、自分を窮地に立たせたりということもしました。

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合格ライン突破まで1年半、TOEFLは20回受けた

今回やってみて思ったのは、大学受験の時は正直、楽しかったんですよ。塾で坪田先生に会うことや、最初は全然できなかった勉強がわかっていって点数が上がっていくという楽しさがあった。しかも周りから何の期待もされていなかったから、気も楽だった。(笑)

でも今回は、なかなか点数が上がらず、毎日泣きそうになりながら机に向かいました。合格ラインを突破するまで1年半。その間受けたTOEFLの回数は、じつに20回。自分が自分のコーチになって、ネットで情報を集めては自分に合うやり方を探して軌道修正を繰り返し、弱点をつぶしていきました。何より、周りからの「さやかちゃん、いけそうな気がするな」とか「ビリギャルだもん、絶対大丈夫」っていう空気感。大学受験のときにはなかった「みんなの期待に応えなきゃ」というプレッシャーはありましたが、いい意味でエネルギーになっていました。

必死で英語を勉強してTOEFLの点数を確保できたあとは、アメリカの大学院のWEBサイトを徹底的にリサーチ。教授の論文を読み、在学生や卒業生に突然メールを送ってお話を聞かせてくださいと懇願するなどして、自分に合ったプログラムのある学校を選んでいきました。そして志望動機書を何十回も書き直したり、坪田先生や益川先生、共同研究した中学校の校長先生に推薦文を書いてもらったりと出願の準備に何ヵ月も費やして、7つの教育大学院に願書を出しました。

結果は、コロンビア大学教育大学院とUCLA教育大学院に合格。コロンビア大学教育大学院を選んだのは全米で最も長い歴史を持つ、規模も最大の教育大学院であること、UCLAよりも1年長く学ぶことができること、私が進学する「教育分野における認知科学」のプログラムには、素晴らしい教授陣が在籍しており、授業内容が私の学びたいことに合っていたこと、そしてなによりもニューヨークという土地柄、出会う人の数も多様性もケタが違ってくるだろうと思ったからです。

受験を決意して約2年。今回の受験は本当に先が見えなくて、しかも日本語ではなく英語でやることが本当につらかったですけれど、だからこそ受かったときの喜びは……慶應を超えましたね。