ビリギャル激動の20代。結婚、離婚、そして初めての海外留学を決意するまで〔中〕

金髪にミニスカの高2のギャルは、全国模試の偏差値30。勉強には見向きもせず学校の問題児だった彼女が、塾の先生との出会いがきっかけで猛勉強の末、慶應義塾大学に現役合格を果たす──。"ビリギャル"こと小林さやかさんがその後歩んだ道のりを聞くインタビューの中編は、26歳で結婚したときのエピソードからスタート。

26歳で尊敬する人と結婚。専業主婦に

講演のお話をいただくようになった当時、私は結婚もしていました。相手は大学時代のアルバイト先の居酒屋の店長で、私にサービス業のすばらしさを教えてくれた師匠のような存在の人です。付き合い始めたのはベンチャーの会社で働いて1年たったくらいの頃です。人間として尊敬していたから、付き合って半年くらいで結婚を決めたけれど、まったく迷いはありませんでした。

結婚してベンチャーの会社は退職し、専業主婦になりました。私には中学生の頃から「世界一幸せな家庭を築く」という夢があって、結婚したら家庭第一でいようと決めていたのです。彼のほうも、「自分の店を持つ」という長年の夢をこのときに実現させて、軌道に乗るまで休みなく働いていました。最初の頃は私もお店を手伝って、やがてたくさんのお客様が来てくれる大繁盛店になっていきました。

そんな頃に、私に取材や講演の仕事が入るようになり、日常が変わり始めていきます。自分では家庭第一というスタンスは変わっていないと思っていたのですが、少しずつ夫婦のリズムはずれていっていたのかもしれません。夫は自分のお店を持って必死に頑張っている。私は”ビリギャル”のおかげで毎日刺激をもらいながら、いろいろなことを感じている。お互いの経験値が積まれていくほど、お互いの世界が少しずつ違う方向に広がっていく──。


イメージ写真(写真AC)

今思えば、あの頃の私たちはお互いを気にして、やりたいことを精いっぱいやれていなかったのではないかと思うんです。当時はそれが結婚だと思っていたので、別に不満を持っていたわけではなかった。けれど、やっぱりどこかでお互いが気を使っているのがチリも積もれば……になっていって、だんだんとすれ違いというか距離ができていったのだと思います。

改めて当時を振り返ると、私自身、けっこう古風だったなぁと思いますね。26歳で結婚したので結婚に憧れというか、先入観を持っていた。結婚したら、自分の仕事は辞めて夫の手伝いをしたいと勝手に思っていましたし、夫を立てなきゃいけないとも思っていた。

彼のほうは、私をビリギャルのさやかとして知ったわけではなく、その前からの私を知っている人だったから、私に急にスポットライトが当たって、多くの人の前に出ていくことになるとは想定していなかった。妻にはこうあってほしいという彼の思いとは違う結婚生活になっていくことに、かなり戸惑っていたと思います。

こうして結婚して4年後、話し合いの結果、私と夫は離婚することになりました。

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離婚後、高校でインターン、そして大学院へ

離婚したあと、私はツテのあった札幌の高校でインターンを4ヵ月ほどさせてもらい、その後聖心女子大の大学院へと進学します。というのも、講演でいろいろな子どもたちや親御さん、そして先生たちに出会って、自分の体験談を語るだけでは足りない、教育というものをきちんと深く学ばないといけないのではないかと思うようになっていたからです。

講演会で私の話を聞いてくれるのは、生徒たちだけではありません。たとえば、自治体や地域の青年会議所が、高校生向けにビリギャルの講演会を企画すると、高校生よりも親御さんが前のめりになりながら来てくれるのです。みなさん、どうやったら子どもが勉強してくれるだろう、どうやったらサポートできるだろうと悩んでいる。私はその姿にすごく心を揺さぶられて、どういうアドバイスができるだろうかと考えるようになりました。