年を取ってから孤独になり、周囲の人々を恨んでいる人がたくさんいる。そのような人は「自分は人のために尽くして生きてきた」と信じていることが多い。実は自分の世界を持っていれば、嘆き悲しんだり、人を恨んだりすることはなかったのである。自分も自分の世界で生きてきたのだからと、人を許せる。〈人生を豊かにする心理学 第16回〉【解説】加藤諦三(作家、社会心理学者)

解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)

作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)が好評発売中。

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「人のため」は誰のため?

「自分は人のために尽くしたのに、世間は冷たい」と感じる。実はそれは、自分の世界を持てていないために起こる不満かもしれません。「○○のために」という言葉の裏にある、本当の思いを考えてみましょう。

アメリカの店には、いろいろな詩が書かれた、きれいな紙がよく売られている。その1つに「as I grow」という題のついた大きな紙がある。

それは、親に向かって「どうか◯◯をしてください」という言葉で始まる、子どもの気持ちを書いた詩だ。その中には、次のようなことが書いてある。

「どうか、自分を持ってください。そして、あなた自身の幸せを築いてください。そうしたらあなたは私に同じことを教えてくれます。そして、私は同じように幸せになり、立派で、心豊かな人生を送れるでしょう。」
 

「あなたのためにしてあげた」という感情こそ、人間関係を悪くする最大の要素である。恋愛関係であろうと、親子関係であろうと、仕事の上司と部下との関係であろうと、この感情があると、人間関係はこじれる。

まず、「あなたのために」という言葉はうそである。たいていの場合は、自分が嫌われたくないから、というのが真実だ。

本当にあなたのために何かをする人は「あなたのために」と言わない。自分を持っていない人ほど、無理をして相手に尽くす。そして相手に感謝を要求する。

そもそも、人は自分のために働いている。それなのに、自分は相手のために働いていると思うから、相手に対し要求や不満が出る。

自分のために働いていると思えば、相手からとんでもないことをされたときでも「これも甘受しよう」という気になる。
 

高齢化社会になった今、年を取ってから孤独になり、周囲の人々を恨んでいる人がたくさんいる。そのような人は「自分は人のために尽くして生きてきた」と信じていることが多い。

「俺は自分勝手に生きてきた」と思っている人は、孤独になっても人を恨まない。「勝手に生きてきた」のだから、別に周りの態度が冷たくても、それに不満はないのだろう。

しかし、「人のために生きてきた」と思い込んでいる人は、周囲の人々が冷たかったら恨む。あるいは、年を取り、気がついたら誰も自分の周りにいなかったという場合は、今まで周囲にいた人を恨む。

「あんなに子どものために働いて生きてきたのに」と、成長した子どもの態度を嘆いている親が、今の日本にはなんと多いことか。

退職して「部下のためにがんばってきたのに冷たい」と、昔の部下の態度を恨んでいる高齢者のなんと多いことか。

それらの人たちも、実は自分の世界を持っていれば、嘆き悲しんだり、人を恨んだりすることはなかったのである。

もし、質の悪い人にしか出会えなかったとしても、「この人たちは自分が助けても、自分が年を取ったときには自分を助けてくれない」とわかるからだ。

周囲に恨みを持つ人も、自分の世界を持って生きれば、他人への恨みはずっと少なくなる。自分も自分の世界で生きてきたのだからと、人を許せる。

つまり、「あんなに人のためにがんばってきたのに」と嘆いている人は、自分の世界を持てない人だったのである。

しかしこれが、その人自身にはわかっていない。無自覚のままに自分の世界を持てていなかったからこそ、実際に子どもや部下がそうなってしまったという場合もある。

自分の世界を持って生きていれば、子どもや部下もその人にふさわしく育っただろうし、集まってくる人も違っただろう。
 

ある読者から、次のような手紙をもらったことがある。

「私は子どもの頃から、母と買い物をすることが嫌いだった。自分の洋服などを決めるとき、私が気に入ったものを母が気に入ったことがなかった。

しかし、母親が選ぶといってもなかなか決まらない。『あれにしようか、これにしようか』と、母親は迷った挙句の果てに『あんたの服でしょ。自分で決めなさい』と決まって言う。

そう言われたからといって、私が決めたのでは、気に入らないのだ。だから黙っていると『全くこの子は』となる。私はいったいどうしたらいいのか、わからなくなる。

しかし、あーだーこーだと言った挙句に、結局最後は、全て『私のために』母が選ぶ。」

冒頭の詩には、 「どうか、ほめて、感謝してください。そしたら私は気持ちよくなり、あなたを喜ばせ続けるでしょう。」という言葉がある。

ここでの感謝は、何かをしたときに「よくやってくれた」と言うことではない。「あなたがいることで私は幸せだ」と、感じてほしいということである。

親の「あなたが元気でいてくれさえすればありがたい」の言葉に、子どもはどれほど安堵感を持つかわからない。そして、親のその気持ちで、子どもは前向きなエネルギーが出る。

そうすれば、勉強しようという気にもなるし、成績が悪いときには「元気だけれど勉強もしなければ」と、自分から反省することもある。

子どもは「勉強しなさい」と言われて勉強するわけではない。親が自分の存在を認めてくれることで初めて、自分の世界を持てるようになり、物事に挑戦するようになるのだ。

親が子どもを肯定することがどれだけ影響を及ぼすか。それは、親の想像を絶するものがあるのではないだろうか。

イラスト:中島智子

この記事は『安心』2022年9月号に掲載されています。

画像参照:https://www.makino-g.jp/book/b610283.html