21歳で初めてワープロを買った。27歳の夏に、はじめてデスクトップパソコンがやってきた。親父に借りた100万円でMacを一式購入して独立起業したのが31歳。ノートパソコンを持って歩くようになったのは40歳を過ぎてから。もう20年も前のことである。ワタシ(中村修治)は、生粋の“手書きネイティブ”である。

老害とは何か!?

若いというだけで見下すような大人にロクな奴はいない。そういう眼差しこそが「老害」である。いまから偉人になれる確率は、どう見ても若い人たちの方が高い。

若い人たちに無いものは、経験。無力であっても、信用できる若い人はいる。そういう人間が、革新的な社会の基盤を作っていくものだ。若い人たちを信じて頼ってみることが、年寄りの役割だ。

いつまでも、根拠のない目標を振りかざして若い人たちのお尻を叩いている場合ではない。若い人たちが、自ら「若いことには、価値がある」と言わない環境をいかに作るかが老眼にもなった年寄りの仕事である。それは「年寄りには、価値がない」と言われないための対策でもある。

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アナログ体験主義からの脱却!!

Microsoft Windows 95のマシーンがこのビジネス社会を席巻したのが1995年。あの頃に生まれた子どもたちも、既にアラサー。この社会を支えている世代である。スマホネイティブが令和のビジネス社会の未来を担っている。

きっと、老眼のおっさん達が「アナログな体験主義」を説いている間に、何万人とのやりとりを成立させている。これからはグローバルだという論を読んでいる間に、国境を超えてコミュニティを広げている。スマホネイティブの若者達の情報処理能力は、想像以上に高い。老眼のおっさん達の10年分の経験を、ほんの数ヶ月で体験しているのではないのだろうか…。

手書きネイティブができない理由を探している間に、24時間できることをやり続けるスマホネイティブ。動体視力の落ちた老眼には、そのスピードが見えない。速すぎて何もやっていないように映る。

ワタシは、生粋の楽観主義者である。若い人たちが得しないと社会は滅びる。自然のことである。当たり前のことである。老いるとは、若い側に、得を譲ることのメリットを知ることである。孫もいるような年寄りになったのなら、嫌が応にも働かないで自由に生きることを実践するしかない。

まことに良い時代になったものである。
それを言えることだけが手書きネイティブの特権である。