大自然で覚醒する天才料理人。ニセコで新たなるレストラン「81」をスタート!

漆黒の空間に黒御影石で設えたコの字形のテーブル、DJブースが併設されたキッチンから生
み出される独創的な料理に酔いしれるゲストたち……。2012年にオープンした「81」はその型破りなスタイルから「劇場型レストラン」と呼ばれ、たちまち予約の取れない店とな
った。ところが20年に世界を震撼(しんかん)させたパンデミックの影響を受け「81」は
、東京から何かに導かれるように北海道・ニセコへと向かうことに。一時は料理人を辞めることも考えたという永島健志シェフが、沈黙を破って今回インタビ
ューに応えてくれた。

固定観念に縛られず……流れに身を任せてきた

「もともと料理人になりたいと思ったことはなかった。運命に流されてここまで来たって感じ」と永島は語り始めた。学校が苦手で18歳で海上自衛隊に入隊。護衛艦の厨房に配属されたのがきっかけで料理に目覚めた。その後東京、イタリア、スペインのレストランで修業を積んだあと、料理人フェラン・アドリア氏の本に感銘を受け、最後の修業場として「エル・ブリ」へ。当時一世を風靡(ふうび)したスペインの三つ星レストランで料理の常識と言われていたような固定観念を解き放ち「自由でいいんだ」という「エル・ブリ」の思想を学び、念願であった自分の店をオープンさせた。

「料理であれ店の空間であれ、シェフの生きざまとかスタイルが“ドン”っと出ているのが僕の好み。優等生的なものより個性的なものの方が好き」

店の規模は次第に大きくなり、ミシュランの星を獲得するやTVで特集を組まれるようになる。もともとストリート出身の永島。レストランでもクラブさながらに音楽をかけ、セレブたちが集った。個性を突き詰めようと走り続けていた永島だったが、気づくとミシュランの星は消えていた。


鹿肉/チーズ/黒オリーブの土

「自分でも意外でしたが、星を失ったことに対してはそれほどショックを受けなかった。むしろ自由になったと感じたんだよ」

自由を感じると同時に、永島は途方に暮れたという。

「ちょっと迷子になっちゃったというか。周りからはエル・ブリ出身なんだからこういう料理を出すだろう、というイメージで見られるし。もう息が詰まりそうだった」

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そこへ追い打ちをかけるようにやってきたパンデミック。

「あの頃はチームに対して当たり散らすことも多くて、思い返すたびに後悔だらけ。自分自身が壊れていくのを感じていました。それでも踏ん張れたのは、レストランという仕事にまだまだ未練があったから」

期間限定のランチは今だけ! ニセコのカジュアルダイニング「キッチン」

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都会から自然へ。料理人の“野性”を目覚めさせた場所

そんな永島の元に、ニセコで店を開かないかという話が舞い込んだ。

「5年前、冬季限定でレストランをやらせてもらったこともあって、この地には縁を感じている。強力な磁場に引き寄せられるようにして決断に至りました」


カダイフ/男爵

都会とは正反対の大自然に囲まれたニセコは、進むべき方向性を見失っていた永島にとって新しいひらめきの場所だった。

「東京にいると目からも耳からも、ものすごい量の情報が入ってくる。それに比べて北海道はノイズが少ない。アドリブや即興性といった、料理を作るうえで大切なものを強く感じさせてくれる。ここに来てようやく自分を振り返ることができた気がする」

これまでの人生はずっと旅をしてきたようなものだと永島は言う。

「正直、いまも無茶苦茶に苦しんでる。何をすべきか分からないまま壁と向き合ってる感じ。でもここに来て、ようやく執着を捨てられそうな気がしている。まだうまく言えないけど、ほんの少し、光が見え始めているんじゃないかな」

永島の人生に欠かせないのがスケートボードやスノーボードといった俗にいう「横乗り」だ。ニセコにはウィンタースポーツを愛する人たちとの新しい交流が待っていた。

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「ここではスキーやスノボを終えた人たちがオフ会みたいな感じでレストランにやってくる。『今日の雪、良かったよね』『明日はあっちのエリアがいいんじゃない?』そんな会話を交わしながら主客一体になれる場が生まれれば嬉(うれ)しい。みんながブワーっと盛り上がっていい気が流れてグルーブが生まれる。これを僕は現代の『懐石』と呼んでいるんですよ」

東京で飼い慣らされることに疲れた天才料理人は、大自然へ解き放たれ、野性を取り戻しつつある。「僕、いま毎日リボーンしてます。毎朝クールな空やパウダースノーを見て、胸も頭も空っぽな状態から一日を始められる。今日1日生き延びられたことを実感して、自分に誕生日おめでとうと言っているんです」

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いま永島は料理人の新しい未来を思い描いている。「人間はエモーショナルな生き物。まずはあったかい場所を作って、人が集まったらご飯食べて酒を飲む。ノってきたら音楽かけて踊ろうか、ってなる。これって人間の本質。ニセコではこの本質に立ち返って新しいスタイルに挑戦したい。懐に石を温めて空腹をしのいだ懐石料理のストーリーを、国籍を問わず多くの人とシェアできれば」。これまで海外で培った経験も若手に伝えていきたいと語る永島は、ニセコで新たなステージへの一歩を踏み出した。


永島 健志 Takeshi Nagashima
「81」オーナーシェフ 愛知県出身。イタリアンの名店「サバティーニ」などで経験を積んだ後、当時、世界で最も予約の取れなかったスペインの伝説的レストラン「エル・ブリ」にて修業。料理界の革命児と言われたオーナーシェフのフェラン・アドリアに師事する。帰国後に「81(エイテ ィワン)」をオープン。「自らの仕事はお客様を喜ばせること」と語るとおり、その自由な発想から生み出される料理は、驚きと新しい発見の連続である。

爽やかな風と上質な逸品に出会う「ニセコ蒸溜所」

text: Junko Kubodera, interview & edit: Miyuki Kikuchi