2015年10月にOPENして以来、都内屈指の名店となった「Ryoura」。田園都市線の用賀駅から徒歩数分の商店街通りにあり、鮮やかなブルーの外観は、街にとけ込み、お菓子好きはもちろんのこと、地元のお客様で連日大賑わい。

普段は、圧巻のショーケースはホールケーキが数種類に、プチガトーが20種類以上を超え、訪れるたびに季節のフルーツを使ったケーキからグラスデザートなど、シェフの技術を通じて生み出される様々な種類のスイーツを楽しむことができます。

そして不定期で開く「コーヒースタンドの日」は、並ぶお菓子が180°変わり、イングリッシュな焼き菓子やアメリカンなお菓子も並ぶ。お店が定休日の日に開催され、「もともと2店舗目としてBAKESHOPみたいなことをやりたかった」という考えから始まったこの特別な日。コーヒースタンドのバリスタさんを主人公に、オーナーシェフの菅又シェフはもちろん、スーシェフも一緒になって“作りたいお菓子”をそれぞれ考え、作っています。

名店を支える「スーシェフ」の素顔

そんな屈指の名店を支える、一人の女性シェフ浅野実穂(あさのみほ)さんを取材しました。オーナーシェフでもある菅又亮輔シェフが熱い信頼を抱くほどの彼女。シェフの次のポジションでもある“2番手”を意味する「スーシェフ」として、お店を長く支えてきました。この「コーヒースタンドの日」は、浅野シェフが一から創作したお菓子も並べられ、パティシエとしてお客さんの反応をダイレクトに感じることができ、また原価の計算をはじめとした運営に大事なことを学べるように菅又シェフが考えたもの。そんな名店を支える、浅野シェフの素顔とは?

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発声障害と不安を乗り越えさせてくれる「Ryoura」との熱い出会い

Q.お菓子の世界へ、入るきっかけは?

浅野シェフ「これはよくある話かもしれませんが、小さい頃からお菓子を作ることが好きでした。幼稚園生の時から、ホールのケーキを自分で作るぐらい。食べる、ということより“作る”ことに夢中だったんです。そうすると、自然とお菓子の道へ。製菓学校を卒業後は、都内のパティスリーでもなく有名なホテルでもなく、中国でした。

パティスリーや個人店へ行かなかった理由は……、話すべきか迷ったのですが、私は幼い頃から吃音(きつおん)という発声障害の一種に悩まされており、接客がうまく出来ません。それが理由で最初は海外に行ってみたり、サービスと製造が完全に分業化されている結婚式場で勤めたりということをしていました。純粋にお菓子を学ぶなら個人店だろうと学生の時から分かってはいたのですが、小さなお店では人数が少ない分、1人1人が接客も製造もどちらもこなさないといけないのが一般的だと思います。

そんな中で“きちんとしたケーキ屋さんで働く憧れ”が捨てきれず、クリスマスの時期に『Ryoura』と出会いました。たまたま家が近かったのが理由で、ここが初めての、このお店と菅又シェフとの出会いでした。菅又シェフは有名な方だったので“凄い怖い方なんだろうな”と思い、とっても緊張をしたのを覚えています(笑)。実際働いてみると、シェフはどんな質問にも正確に答えてくださり、気づくと私は菅又シェフと出会ってからお菓子の世界にのめり込み、その深さに魅了されました。ここで働きたい、その気持ちはすぐ固まったんです。」