人生をかけた商談日
そして迎えた商談当日。会社の今後を左右するほどの大きな案件です。社運、いえ、私の社会人としての人生をかけた商談とも言えるでしょう。家を出るとき、母が亡くなる直前に身に着けていた形見の腕時計を自分の腕に着けました。最期まで私のことを案じ、見守っていてくれた母……。これは大事な勝負のときのお守りです。
通された会議室で、いよいよ商談スタート。私が先方の社長と握手をすると、社長が下を見ながら一瞬固まっていました。何かあったのかと少し気になったものの、横からAがしゃしゃり出て、勝手に口頭で商品説明を始めたのです。
しかし、彼の話は始終意味不明。「弊社のこの商品は……。あれ……えっと……」の連発に、社長も顔をしかめています。私は自作の資料をテーブルに出してさりげなく説明を追加し、Aの間違いを訂正することに。すると、気分を害されたのか、Aが社長の前で私をこき下ろしたのです。
「お前、資料を出すのが遅いんだよ! すみません社長、こいつはプロジェクトから外すので……」
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形見の腕時計がつないだ運命
ところがそのとき。社長はAを無視して目を大きく見開き、小刻みに震え出したのです。さらに私のほうに身を乗り出し、「その時計をどこで手に入れたのですか……?」と尋ねてきました。
「あ、この腕時計ですか? これは20年前病気で亡くなった母の形見です」。驚いた私が答えると、社長はうつむいて言いました。「そうですか、お亡くなりに……。あなたのお母様は私の命の恩人です」
社長がしてくれた昔話は、懐かしい母が彼を救ったというエピソードでした。当時、親の借金を返しながら残業続きの会社でハラスメントに遭い、精神を病んだ末に辞職。生きる気力を失って川に飛び込んだ彼を水中から引き上げ、「生きていれば何とかなる」と励ましたのが私の母だったというのです。
「その時計は、ようやく再就職できた私がお礼に渡したオーダーメイドの品です。その後、お会いできなくなってあちこち探していたのですが……。お母様は病身を押して、私の救助のため川に飛び込んでくださったんですね……」
社長は、頬に涙を伝わせてから、「商談中に失礼。この資料は大変わかりやすい。あなたとの取引なら、前向きに検討させていただきます」と宣言しました。