実家じまいは意識=行動。松本明子さんが不動産・相続専門家と実家の空き家について考える

アイドルとしてデビューし、『進め!電波少年』や『DAISUKI!』で大ブレイク。現在も『ヒルナンデス!』などでお茶の間を楽しませるタレントの松本明子さんは、香川県高松市の空き家となった実家を売却するまでに空き家の維持に25年、かかった費用は1,800万円だったと言います。よくよく話を伺うと、長い月日をかけて実家を維持した理由も見えてきました。

実際に実家を相続することになった時、考えるべきことはたくさんあります。松本さんの実体験をケーススタディにしながら、不動産コンサルティングマスターで上級相続診断士の小島一茂さんと、空き家となった実家問題について話し合いました。

松本さんが遠方の実家を継いだワケ

小島 松本さんのご実家は、香川県でしたよね。どんなご自宅だったのでしょうか。

松本 実家は、昭和一桁生まれの父の念願のマイホームでした。敷地は約90坪、総檜造りの平屋建て5DK。高松市内が一望できる高台に建っていました。父の家に対するこだわりようはすさまじく、宮大工さんにお願いした釘を一本も使わない木組みの家で、瓦葺屋根で凝った欄間や床の間がありました。純和風の家でしたね。

小島 瓦葺屋根で宮大工さんにお願いしたんですか。素晴らしい家ですね。今ではその技術のある職人さんが本当に少なくなりましたよね。

松本 父の“我が城”とも言うべき実家に私が住んだのは、幼稚園生の6歳から歌手デビューの上京を控えた中学3年生まででした。私には10歳上の兄がいるのですが、兄は高校までは香川で、大学から東京に出て、そのまま東京で就職、結婚、家を建てて。実際に2年半しか住んでいない実家に対しては、それほど思い入れがなかったみたいでした。

デビューから10年経った頃、ようやく『進め!電波少年』や『DAISUKI!』などで、忙しくお仕事をさせていただくようになりました。それで27歳のときに、定年退職したばかりの父と母にやっと親孝行ができると思い、思い切って香川から両親を呼び寄せて。東京で3人の賃貸アパート暮らしが始まって、そこから香川の実家が誰も住まない空き家になっちゃったんですね。

小島 ご両親はその造り込んだ香川のご実家から、よく東京に来られましたよね。

松本 私は親ととにかく仲が良くて。両親も一緒にいたかったようでした。香川の実家を残したのは、親戚もいるし、お墓もあるしというのはもちろんですが、年老いたら高松に戻るつもりでいたみたいです。あと、私が浮き沈みの激しい芸能界にいるので、実家さえ残しておけば、娘のためになるだろうと。高松の家がいつか戻る場所になると漠然と考えていたので、誰一人実家の問題提起をしませんでした。

小島 仲の良い親子関係だったんですね。どんなご家庭でも実家じまいの話をするのはハードルが高いものですが、そんな方には昔話をする感覚でフランクに子どもの方から実家の話を切り出したり、エンディングノートを子どもが書いて見せたりするのをオススメしています。

松本 その後、両親は香川の実家に戻ることなく、東京で他界してしまうんです。2003年、父から亡くなる間際に、病室で「明子、実家を頼む」と言われまして。この言葉は重かったですね。父の城である実家を残すのは母の願いでもあったので、高松の家は母が相続しましたが、兄の了解を取ったうえで、実家や持ち物を私に残すと定めた公正証書遺言も作成しました。

小島 お父様、お母様の気持ちを最優先したいという気持ちで、実家を残されたのですね。当時の松本さんにとっては、全く間違っていないジャッジだと思います。

ご両親が健在なうちにできる対策のひとつが遺言です。実家をどうしたいのか、親御さんの希望をきちんと聞くことですよね。ご実家をお兄様ではなく、松本さんで一本化して相続すると決められていたのも素晴らしいと思います。

昔は長男が跡目を継ぐ家督相続でしたが、今は兄弟が平等です。実家の土地などを兄弟で共有名義にする人もいますが、これが結構トラブルのもとになります。自分たちが亡くなった後に、下の世代が良好な関係を続けられるとは限らないからです。だから次の世代に迷惑をかけないよう、実家の土地の共有名義はできるだけ避けた方がいいんですよね。

松本 父が亡くなった2003年は、私の子どもが3歳のとき。母は2007年に他界しますが、それまで仕事をして子育てをして、母の介護をして、時々香川の実家に帰って空気の入れ替えをして……と、両親の不在を悲しんでいる暇がないというか。母の相続が始まると、また10ヵ月までは手続きに追われて、役所に銀行に保険に……と駆け回るうちに一周忌。2年目には三回忌。父が亡くなってから、毎年法事の連続で大変だなと思っていました。それが終わってやっと実家のことを考えるか……という感じですよね。

小島 松本さんのおっしゃる通りで、周忌が実家問題を考えるけじめなんですよね。四十九日から始まって、だいたいの人は三周忌が終わると一段落する。そこまではやることが満載なんですから。

一番良いのは、ご両親のうち片親が亡くなったときに実家問題に着手することです。最初の相続が発生するタイミングなので、そこで家をどうするのかという話し合いのチャンスができますよね。

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実家のリフォーム、どこから始める問題

小島 ご両親が他界した後、松本さんは高松のご実家をリフォームされたんですね。

松本 2011年に東日本大震災が起きたことがきっかけです。原発事故が起きたことで、高松の実家をいざというときのシェルターにしよう。そう考えて、すぐに住めるようにリフォームしました。かかったお金が350万円。当時は既に40代半ばになっていたので、東京〜高松の往復と度重なる業者さんとの打ち合わせは体力的にキツかったです。

でも今考えると、震災が起きたことで、実家を手放さなくていい理由を自分の中に見つけちゃったのかもしれないですよね。

小島 でもあの震災のときは、西へ住まいを移す方も多かったですから、仕方のないことだと思います。実家を売らない理由は、人それぞれです。売ると決意したときが一番のタイミングじゃないでしょうか。結局のところ、意識イコール行動ですから。ご本人にその意識がないと、実家じまいという大変な作業になかなか着手できないと思うんですよね。やっぱり腑に落ちてこそです。

松本 私はリフォームにあたって水回りから着手したのですが、一般的にはどこから手をつけるのがオススメなんでしょうか。

小島 故障しているところがあるならばそこからですが、そのほかであればまず外観がオススメです。美観の問題もありますし、屋根と外壁から雨漏りなどがしていれば、内部を改修する意味がないですから。外観をキレイにするだけで、家が生まれ変わったように印象が良くなります。建物そのものの防水性を良くするために、一般的な二階建ての自宅の外壁塗装を施すには、80〜150万円程度が必要ですね。

次に水回り。水回りの設備は10年で古くなります。だから松本さんが水回りに着手したのは、ものすごくポイントだったと思います。松本さんは水回りのリフォームを一気にやられていましたが、かなりお金がかかります。ですから、今年はキッチン、来年はバスルームと順番に取り組んでいくのも1つの手です。

松本 実はお風呂場の改修は1回で済まず、2017年にもう一度リフォームしているんです。実家を売っても貸しても、自分で住んでもいいようにと思って改修したら、また250万円もかかってしまって。その多くがお風呂場の修繕で、100万単位でお金がかかりました。