東洋医学の原典 『黄帝内経』は健康で元気な人間生活を実現したいという強い願いの歴史

これまで東洋医学・中医学のお話をさまざまな角度からしてきましたが、その中でよく引用している書物の名前に、『黄帝内経』というものが多くあったと思います。この『黄帝内経』は、東洋医学・中医学の原典ともいえる書物で、ここが東洋医学・中医学の出発点になっています。『セゾンくらしの大研究』を読まれている読者の方々の中には、東洋医学・中医学に興味を持っていて、私が書いている記事だけではなく、いろんなところで『黄帝内経』が引用されているのを見てきたことと思います。

これほどまでに『黄帝内経』が引用されているのは、現代にも十二分に通用する価値があるばかりではなく、もっともっと深掘りすることでさらに現代の私たちの生活に活かされるべき内容があるということにその根拠があります。古来から続く私たちの生活や身体そのものは、大きく変わることなく、現代にも養生のヒントがたくさんあるからなのであります。単に古いというその希少性だけではなく、生きた生活の智慧の宝庫だからこそ、『黄帝内経』は今日も活用されているのです。 

読者の方からも、『黄帝内経』とは何ですか?という質問も多いようなので、ここで改めて『黄帝内経』についてより詳しくお話をしてみたいと思います。

『黄帝内経』はいつ、どこで、誰が書いたもの?

まず、『黄帝内経』が書かれた場所ですが、これは古代中国ということになります。東洋医学については、以前書いたものがありますのでそちらも参考にしてくだされば、よりわかると思います。 

そして次に書かれた時代です。

『黄帝内経』という書物の名前が最初に出てきたのは、前漢時代の『七略』という書物の中といわれていますが、残念ながらこの『七略』自体は現存していません。そこから時代が降って後漢時代になって著された『漢書』の中にも『黄帝内経』の名が出てくるのですが、これは現存する証拠のひとつとなっています。そういったことから考えてみると、『黄帝内経』が書かれた時代は、今からおよそ2000年前と推定されています。2000年前というと、日本ではまだ弥生時代ですが、それと比較するとその古代中国の成熟ぶりがわかるかと思います。その時代に、すでに医学というものを体系化しようとしていたことにも驚嘆しますが、そしてさらに、その記述内容が現在にも通用するというところがさらなる驚きを増しているのではないかと思います。 

そして、次に誰が書いたのか?というと、書名にある「黄帝」が著したということになっているのですが、これは黄帝という名前を借りただけで、一人の人物が書いたものではないと推測されています。記述の仕方、文章の構成などから、世代を越えて、何年もの間に、何人もの医家達が治験を積み上げながら書き足していったものと考えられています。

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「黄帝」とは?

『黄帝内経』は、黄帝とその数人の重臣医官との問答形式で書かれています。そこで、そのスタイルから黄帝が著したものという意味が込められて、『黄帝内経』という名前になりました。

前述したように、黄帝が一人で書いたものではないのですが、では、『黄帝内経』の「黄帝」とは、実在の人物なのでしょうか?これには諸説あります。実物の人物であったという説もありますが、しかし、それよりも、もっと大きな意味での中華民族の始祖、開祖のことを指しているというのが定説になっています。

黄帝の姿形は人間なのですが、人間よりも格が高く、古代中国の君主といっていい存在で、弓矢などの道具を発明したり、東洋医学の骨子を作ったともされています。某大手製薬会社から出ている栄養ドリンクに、「○○○○黄帝液」という、「黄帝」の名前が冠せられたものがありますが、これは、この商品に漢方薬に使われる生薬が含まれていることから、この黄帝にあやかったものであります。