35歳で出産してからの子育て期間中、私は自分のためにはお金や時間を一切使わず、子どものためだけに費やしてきました。そして私が50歳のときに子どもの義務教育が終わり、今までの押し殺していた欲求を取り戻すかのように、自分のために少しずつお金と時間を使い始めました。
遺族年金の支給がなく、生活費を稼ぐ日々
子どもが産まれて3年後、夫が病死をしました。そのとき、私は38歳。予想外にも、私は自分ひとりで子どもを育てなければならなくなったのです。
夫が亡くなった場合、残された妻や子どもには遺族年金が支払われるのが一般的だと思いますが、わが家の場合、亡くなるまでのしばらくの期間、闘病していた夫を妻である自分の社会保険の被扶養者としていました。 そのため、夫の扶養を受けていたわけではないということで、夫が亡くなっても遺族年金が支給されないという事態となりました。
それからというもの、私は生活費を稼ぐために必死で働き、乳飲み子を抱えながら夜中まで残業もこなし、時間的にも体力的にも非常にきつい思いをしながら、必死で子どもを育ててきました。どんなにきつくても、私が倒れてしまったら他に子どもの親はいない。絶対に自分が倒れるわけにはいかないので、体調を崩しても早めに薬を飲んだり病気休暇を取ったりしながら、なんとかやり過ごしてきたのです。
そんなわけで、この15年間、自分自身に対してはまったくといっていいほどお金も時間もかける余裕がなく、貴重な時間とお金はすべて子どものために費やしてきました。
(広告の後にも続きます)
子どもを立派に育てることに専念した15年
私は、夫が亡くなる時点で決心をしました。「父親がいないからあんなふうになったと子どもが後ろ指をさされることのないように育てよう、むしろ、父親がいなくてもあんなに立派に育っていると言われるように、責任を持って育てよう」と。
子どもが少なくともひとりで安心して行動できるようになるまでは、せめて義務教育が終わるまでの15年間は……と思って、自分が費やせるだけの時間とお金をすべて子どものために使いました。自分のことは一切後回し。自分の物は必要最低限だけあれば良い。それでも金銭的に厳しいときには、夫から買ってもらったブランド物のバッグや貴金属を泣く泣く売って、子どもの習い事や塾代に充てました。
金銭的余裕もなければ時間的な余裕もありませんでした。平日はフルタイム勤務にワンオペでの育児と家事に追われ、休日は平日にやり切れなかった家事をこなしつつ、子どもの習い事の付き添いや大会の準備など、どこの家庭でもおこなっていることかもしれませんが、シングルマザーの私の場合、すべてひとりでおこなうので自分の時間なんてまったくありませんでした。