自動車の歴史を語るにあたり、特筆すべき潮流の一つが、2000年代の「レトロ回帰」。一見、ハイブリッド車などの新しい提案と逆行する、50年代の名車のリバイバルブームですが、実は「EVの最先端と表裏一体である」と、自動車評論家の鈴木均氏は語ります。鈴木均氏の著書『自動車の世界史』(中央公論新社)より、その言葉に秘められた意味を見ていきましょう。
レトロ回帰の先駆
2000年代に特筆するべき潮流の一つが、ハイブリッド車などの新しい提案と逆行するような、レトロ回帰である。かつて50年代に一世を風靡した名車たちが、次々にリバイバルした。
先陣を切ったのは、VWだった。トヨタ・プリウスとホンダ・インサイトが登場したのと同じ頃、1998年(日本は翌99年)にVWニュービートルが発売された。初代ビートルの「丸っこいデザイン」を引き継ぎつつ、ゴルフの車体を流用して前輪駆動のFFに改められ、普通のファミリーカーと同じ構造となった。
旧ビートル同様にメキシコで生産され、日本で需要が多いオートマ車の変速機はアイシン製だった。2012年にはザ・ビートルと名前を改め、今度はジェッタの車体を流用して19年まで生産された。室内空間や荷室は四角い車の方が有利のため、新ビートルは「国民車」とはならなかった。
だがグローバルに車を売る必要や様々な衝突安全基準への対応から、どの車も似たような形や大きさに収斂してきたことに対して、VWは自ら送り出した歴史的アイコンを最大限利用し、再解釈を施した上で、他の人と違う車に乗りたい(コアな)ユーザーをつかんだ。
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レトロ回帰と最先端EVの関係
1959年に登場した初代ミニは豪州、イタリア、ベルギー、ポルトガル、南アフリカ、中南米諸国、そしてユーゴスラビアでも生産されたが、80年代に入り人気に陰りが出はじめた。
ローバー800/ホンダ・レジェンドを生み出した両社の提携は90年代に入って解消され、94年、親会社で防衛産業大手のBAe(現:BAEシステムズ)はローバーを、小型車を開発しようとしていた独BMWに売却した。BMWは頑なにFR、前後輪重量配分50対50を守ってきたが、2001年に登場した新生ミニで初めてFF車を売ることになった。英オックスフォード工場で生産され、ディーゼル車のエンジンはトヨタから供給された。
ミニは発売直後から飛ぶように売れ、全長を長くしたクラブマン、高性能版のクーパーSなどの派生車種も充実した。愛嬌のあるデザインながら、走りは初代ミニらしい機敏さに加え、BMW的な安定も手に入れた。そしてBMWも2004年、初の小型車、1シリーズを登場させたが、19年からこれをFFに改め、大きな一歩を踏み出した。
ミニはBMWの先端的な開発を担い、早くも2009年にはEVのミニEを500台、リース販売や実証実験に提供した。最高速こそ150キロほどだが、時速100キロに8.5秒で到達するなどミニ・クーパーよりも早く、航続距離240キロを謳った。BMWは2021年、ミニを30年代には完全なEVブランドに移行させると宣言している。BMW自身もミニEで得た知見を活かし、EVのi3を登場させた。レトロ回帰は、EVの最先端と表裏一体なのである。