「障害の社会モデル」という考え方がより良い社会へと導く

障害者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい

――障害のある人たちが抱える困難を、より多くの人が自分事として考えられるようになるためには、何が必要だと思いますか?

佐藤:そもそも、誰にだってマジョリティ性とマイノリティ性が同居していると思うんです。障害の有無だけではなく、右利きか左利きか、性別はなんなのか、海外にルーツがあるのかどうか……。

そして、それらマジョリティ性、マイノリティ性は固定的なものありません。ある状況下ではマイノリティだったものが、また別の状況下ではマジョリティになることもあります。だから誰もがマイノリティ当事者になり、困難や不便さを感じる場面が出てくる可能性を秘めているんですよね。

ですから、マイノリティが抱える困難というのは、その人自身の問題なのではなく、社会と関わる上でバランスが崩れたときに発生し得るものなんだと理解することが必要だと思います。

そしてそれは、ちょっとしたことで反転し、自分にも降り掛かってくるもの。そういった考え方が当たり前のものとして広がっていくと、本当の意味での共生社会が実現するのではないかと思います。

――「今いる状況が反転したらどうなるだろう」と想像すると、自分事として理解しやすいもしれませんね。

佐藤:まさに「バリアフルレストラン」のように、普段利用している場所が障害者向けに設計されていたら、どんな形になっているだろう……という思考実験をしてみるといいと思います。

優遇されてきた自分自身に気付き、プライドが傷つけられるかもしれないですし、差別に加担してきたことを知り、ショックを受けるかもしれません。でも、困難の原因を見つけることと、それに対してどうアクションを取っていくのかは別の話です。仮にプライドが傷ついたとしても、社会を変えていくためのアクションは起こせるはずなのではと思います。

それに、マイノリティにとって生きやすい社会というのは、マジョリティにとっても大きなメリットがあるものだと思います。分かりやすい例でいうと、コロナ禍で普及したオンラインミーティング用のツールです。

実は、コロナ禍以前から、移動が困難な車いすユーザーから早く導入してほしいという声が上がっていました。でも、多くの方が「対面で会わずにコミュニケーションなんか取れずはずがない」と反対されていました。

ところが、コロナ禍を機に導入された途端、誰もがその利便性に気付き、いまでは当たり前のように利用されていますよね。


コロナ禍でオンラインでの仕事が特別なことではなくなり、より多くの人が働きやすい社会になった

佐藤:このように障害者への合理的配慮を考えるとき、その配慮が共益性を秘めていることもあるんですよ。

だから、思い込みに気付き、当たり前を見直していくことが重要です。集団や社会にはさまざまな「当たり前」が存在しますが、それが苦痛な人も大勢います。そんなふうに考えながら、社会を少しずつ変えていけたらいいなと思います。

編集後記

立って歩けること、電話ができること、文字が読めること――。この社会にはさまざまな「当たり前」が存在し、それを前提に物事が設計されてきました。そして、そんな「当たり前」ができない人たちは、どうにか工夫を凝らし、社会に順応してきたのです。

でも、「障害の社会モデル」という考え方を知り、その在り方を変えるべきと感じました。立って歩けなくても、電話ができなくても、文字が読めなくても、困難を押し付けられることなく、幸せな人生を歩んでいける。そんな社会こそが、「共生社会」なのではないでしょうか。

そのためにも、私たち一人一人が社会にはどんな不均衡があるのか、社会モデルの考え方に照らしながら一つ一つ見直していけたらと考えます。

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〈プロフィール〉

佐藤雄一郎(さとう・ゆういちろう)

公益財団法人日本ケアフィット共育機構 経営企画室室長。2014年公益財団法人日本ケアフィット共育機構入構。年間1万人近く受講する”サービス介助士”の講習運営に携わる中で、ダイバーシティ&インクルージョンに関わる企業や障害当事者とのネットワークを広げ、企業の垣根を超えたコラボレーションや事業者と障害当事者との橋渡しを行っている。
公益財団法人日本ケアフィット共育機構 公式サイト(外部リンク)