「情報ドロボー!」
会社がそう叫びたくなる事件を解説する。(東京高裁 R5.11.30)
なんと、社員がライバル社に転職するときに会社の情報を持ち出したのである。会社はブチギレて退職金525万円をゼロにした。
社員は退職金を求めて提訴したが、裁判所は「退職金ゼロはOK。悪質な競業避止義務違反があった」と断罪。
近年、転職が盛んとなっている。本件の話ではないが、より高い給与などを求めて転職先を探す方が多い中、一部の転職者は機密情報を持ち出して転職先への“お土産”として持参しているようだ。このような行動は、退職金がブッ飛ぶ可能性があるのでご注意を。
以下、事件の詳細だ。
当事者
会社は、投資事業有限責任組合財産の運用などを行う会社である(以下「Y社」)。投資職として投資グループに所属していたXさんは、入社から約8年で退職して別会社に転職した(以下「Z社」)。Z社はプライベートエクイティ投資等を行う会社で、Y社のいわば“ライバル”だった。
労働契約の内容
話はさかのぼるが、XさんがY社に就職したときの労働契約書には競業避止義務条項があった。「退職後1年間は、競合もしくは類似業種であると会社が判断する組織への転職をしないことに同意する」旨の内容である。同様の条項は、多くの会社が定めている。
さらに、退職金規程には「競業避止義務違反が認められた場合には、退職金の全部または一部を支払わないことがある」旨の条項があった。
Y社は「Xさんには競業避止義務違反があった」として、上記条項を根拠に退職金約525万円をゼロにした。なお支給されなかった約525万円は業績退職金で、基本退職金の約178万円は支払われている。
何が悪質?
Xさんは、Y社に入社してから約7年後に転職活動を開始した。その中で、以下の行動を起こしてしまう。
・会社が投資検討先として選定していた15社に関する資料を印刷
・Xさんが関与した案件を含む投資先への提案資料、面談記録等を1000枚以上印刷…etc
これらについて、地裁は「少なくとも一部分については社外に持ち出す目的で印刷した」と認定している。
上記の行動をしたときから約2か月後、XさんはY社に退職の意向を伝えた。その6日後、Xさんは管理グループ長と面談をした。管理グループ長は、Xさんに対して「あなたは競業避止義務を負っている、競業避止義務に違反すると退職金の一部または全部が支払われなくなる」旨を伝え、その内容が書かれた合意書へのサインを求めた。
しかし、Xさんはサインを拒否。「合意書に定められた競業避止義務条項には応じられない」旨述べた。
そしてXさんは退職し、すぐにZ社へ転職した。先ほどの管理グループ長から「転職先が決まったら教えてほしい」旨言われていたため、Xさんは転職先がZ社であることを伝えた。
その後、Y社はXさんに対して前述のように基本退職金約178万円は支払ったが、業績退職金の約525万円を支給しなかった。そこで、Xさんは業績退職金の支払いを求めて提訴した。
裁判所の判断
弁護士JP編集部
冒頭で述べたとおり、東京高裁は「業績退職金の約525万円をゼロにしたことはOK」と判断した。以下、理由を解説する(地裁と高裁の判断を取り入れた形にしている)。
■ 競業避止義務条項
そもそも会社が競業避止義務条項を定めることは、労働者の権利を制限していることにならないのか? という疑問が浮かぶ方もいるだろうが、裁判実務では「合理性があればOK」ということになっている。たしかに労働者には職業選択の自由があるが(憲法22条)、ノウハウの流出等を防ぐために合理性が認められればOKとなっている。
今回の事件でも、ノウハウを持っているXさんが転職した場合、転職先のZ社はノウハウを利用して利益を得られ、かたやY社は不利益を受けると考えられるので競業避止義務を課すことには合理性があると判断されている。
■ 退職金規程
競業避止義務違反を理由とする退職金減額条項もOKと判断された。
■ Xさんの退職金を減額できるのか?
問題はココである。Xさんのとった行動を理由として退職金を減額できるのか?
東京高裁はおおむね「Xさんは【ある2社の案件にY社が高い関心を持っていたこと】を知っていたにもかかわらず、その2社に関する資料を大量に持ち出してZ社に転職し、その2社の案件を提案してZ社で採用された」との事実を示し、Xさんには「悪質な競業避止義務違反があった」と認定した。そして「業績退職金の約525万円をゼロにしたことはOK」と判断した。
ほかの裁判例
以下の裁判も情報の持ち出しで退職金がゼロになった事件である。懲戒解雇もOKになっている。なんと、営業秘密8000件を持ち出した事件だ。
→営業秘密「8000件」転職先への持ち出し計画バレて“退職金ゼロ” … 納得できない従業員の訴えに裁判所の判断は?
退職金が減額されるケースとは?
今回の事件で東京高裁が「悪質な」と付言しているとおり、競業避止義務があった場合であっても“軽微な違反”であれば、退職金が減額されることはないと考えられる。
なぜなら現在の裁判実務では「退職金を減額または不支給にできるのは労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られる」とされているからである。今回の事件の地裁でもそのように述べられている。
Xさんのケースでは業績退職金をゼロにしてよいほどの悪質な行為があったと判断されたが、たとえば業務上のミスがあった場合に何でもかんでも退職金を減額したりゼロにしたりできるわけでない。この点を押さえていただければ幸いである。