柚木麻子、人生の転機になった会社の先輩の一言「小説家になるといい」

男性3人を殺した木嶋佳苗の事件をモチーフに描かれた小説『BUTTER』が、ドイツやイギリス、アメリカで次々に翻訳本が刊行されるなど、海外での人気も高まっている作家の柚木麻子さん。新刊『あいにくあんたのためじゃない』制作秘話についての前編に続き、後編では作家になったきっかけや、SNSがもたらした不思議な縁について話を伺った。

前編:作家・柚木麻子さん「らしさの押し付けにNO!」実体験がベースの短編集に込めた想い

小説を読み、映像化への企画書を山ほど書いた大学時代

子どもの頃から小説を書きたいという気持ちを抱いていた、と話す柚木さん。しかし大学生になっても一本も書き上げることができなかったと振り返る。

「小説というのは、すごい才能がある人がやるものだと思っていたんです。ちょうどあの頃『きらきらひかる』や『カバチタレ!』など、漫画の原作と性別を入れ替えてシスターフッド的な色付けをしたドラマが流行(はや)っていたんですよ。それで当時の私は、ドラマの脚本家だったらなれるかなと思ったんです。そこで、大学4年間は、小説を死ぬほど読みました。直木賞を取る前の三浦しをんさんや恩田陸さん、山本文緒さん、角田光代さんなどが、当時は若い女の子のための小説をたくさん書かれていて、みなさんの作品を映像化する企画書をたくさん書いたんです」

大学生時代にドラマ化の脚本案を書いた作家の先輩たちと、十数年後に交流を持つことになろうとは当時の柚木さんは知る由もない。しかし、脚本家への道は、何をやってもうまくいかなかったそう。

「原作が好きすぎて、私が書くと結局ビブリオバトルのようになってしまうんですよ。原作を自分らしくアレンジできなくて。『こんな脚本じゃあ、いくらなんでも予算がかかりすぎるでしょ』と言われてしまいました」

その時、「小説だったらどんな設定にしてもお金はかからないのに」という考えが頭をよぎる。しかし突然作家になれるわけではなく、大学卒業後は会社員の道へ進んだのだった。

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職場で出会った先輩の言葉がターニングポイントに

大学卒業後に就職した会社で、Sさんという女性の先輩と出会う。S先輩は、『ランチのアッコちゃん』のモデルとなった人物。柚木さんはS先輩と親交を深めていった。

「S先輩は優秀なプランナーで、次にヒットするものが超能力的にわかるんですよ。例えばヤクルト1000。2、3年前に誰よりも早くヤクルト1000が爆発的に売れることを予見したんですよ。『眠れるコンテンツの中で、一番安くて一番美味しいから、多分生産が追いつかなくなると思う』と言っていたんです」

S先輩が放ったひと言が、柚木さんの人生を大きく変える。当時、あまり仕事ができず、いつも泣いていた。そんな柚木さんの姿を見て、S先輩は「きっと会社員は向いてないんだと思う。根拠はないけど、小説家になるといい」と助言してくれたのだ。

「小説家になりたいなんて、私はS先輩にひと言も言ったことはなかった。それなのに、小説家になれと言ってくれた。S先輩に言われたから、私は小説家になったんです」

柚木さんとS先輩との親交は、20年近くたった今でも続いている。

「S先輩は、私にとってのインフルエンサー。S先輩が“すごい”と言ったところは、必ず行くようにしています。この間も、S先輩が推す下北沢のカレー屋さんに2人で行ったんですが、『ここ、実はセントラルキッチンがあるのでは?』『いやいや、それだとこの味にはならない』『ちょっとトイレ行くふりして調理場見てきて』『オッケー』なんて。まるで動きが偵察なんですよ(笑)。仕事には全く関係していないんですけどね」