男性3人を殺した木嶋佳苗の事件をモチーフに描かれた小説『BUTTER』が、ドイツやイギリス、アメリカで次々に翻訳本が刊行されるなど、海外での人気も高まっている作家の柚木麻子さん。新刊『あいにくあんたのためじゃない』制作秘話についての前編に続き、後編では作家になったきっかけや、SNSがもたらした不思議な縁について話を伺った。
SNSの縁がきっかけで出会った「ジェンダーについて学べる絵本」
一時期は、Twitter(現X)でドラマの実況中継をして、フォロワーを大いに沸かせていたという。コロナ禍で当時爆発的にヒットした招待制の音声SNS『Clubhouse(クラブハウス)』に夢中になったこともあったそう。
「作家の友人たちに誘われて『Clubhouse』を始めてみたのですが、1週間でみんな飽きちゃって、呼ばれて行ったらもう誰もいなかったんですよ。それで『Clubhouse』の使い方も知らないまま、見よう見まねでルームを立てて、ずっと一人でしゃべっていたんです。一人で古畑任三郎を最初から最後までやるとか、ビニールプールをふくらませている間にオリンピックについて思うところを話すとか。そんなまぬけなことをしていたら、いつの間にか聴衆が200人くらいになっていたんですね。ある時、だれかに『どうしていつも一人でしゃべっているんですか?』って言われて。その時初めて『Clubhouse』は対話するものだって知ったんですよ(笑)」
『Clubhouse』の使い方もよく分からないまま、そこでもファンを増やし続けていた。ドイツ在住の日本人女性、Iさんも柚木さんのトークを楽しみに聴いていたうちの一人である。
「Iさんはドイツ企業の日本部門で働いている方なのですが、『Clubhouse』を通じて仲良くなり、昨年ドイツに行った際にお会いして、ベルリンを案内してもらったんです。その際、〈女性とクィアのための〉フェミニズム専門書店『She said』にも連れていってもらいました」
ベルリンにはLGBTに関する本がたくさんあり、街全体が取り組んでいると感じたそう。この頃、トランスジェンダーの差別問題が話題になっており、柚木さんはこの問題について腰を据えて勉強したいと考えていた。
『じぶんであるっていいかんじ きみとジェンダーについての本』(エトセトラブックス)
「高井ゆと里さんがイギリスのトランス当事者が書いた本を翻訳してくれて、とてもいい本なんですが、その頃の私には、専門的な部分が完全には理解できなかったんです。その後、高井さんが『トランスジェンダー入門』というとてもわかりやすい本を書いてくれたのですが、当時はまだ出版される前で」
前述の書店『She said』で「ノンバイナリーやトランスジェンダーについて学べる一番わかりやすい本はありますか?」と尋ねたところ、1冊の絵本を薦められたそう。
「アメリカでとても売れている絵本だと聞きました。絵もおしゃれで、絵本だからわかりやすい。これを日本に持ち帰って、エトセトラブックス代表の松尾亜紀子さんにプレゼントしたんです。そしたら松尾さんがとても気に入ってくれて。この度、日本での出版が決まったんですよ! 翻訳は高井ゆと里さん。『じぶんであるっていいかんじ きみとジェンダーについての本』というタイトルになったのですが、いろんなバックラッシュが吹き荒れている中で、子どもだけでなく、大人が読むのにもとてもいい本だと思います。私は不勉強で人も踏みつけてきたと思うんですけど、『ジェンダーについて学びたいけれどよく分からない』ということを自己開示したら、意外とプラスに働くこともあるんだな、と思えた経験でした」
現在は、仕事が手につかなくなってしまうという理由で、SNSはやっていない。
「SNS、本当は大好きなんです。SNSは人を傷つけるものにもなるけれど、弱い立場の人がつながるコンテンツにもなり得るし、誹謗(ひぼう)中傷もできるけど応援していることを伝えることだってできる。一人で孤立している人にとって、好きなドラマの話ができることは癒やしになったりもします。今だったらNHK朝ドラ『虎に翼』の実況をしたいんですけど、それをすると仕事しなくなるので(笑)」
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「とりあえず外に出て、外を知る」女友達から受けた影響
オープンマインドで、切れ味鋭い軽快なトーク。柚木さんの話には、作家仲間だけでなく多くの友人が登場する。ラーメン作りやボイストレーニングなど、興味あることはすぐにトライする精神も、友人たちの影響が大きいとか。
「『作家になれ』って言ってくれたS先輩は、プランナーとしてすごく優秀なんですけど、すぐにどっか行っちゃうんですよ。企画室でくよくよ考えない。流行っている店の客層を見たり、新作のお菓子を全部買って食べ比べたり。すぐ外に出ていくのは、S先輩の影響があると思います」
また、公私にわたって親交がある作家、山内マリコさんが読んでいる本もまた、柚木さんの視野を広げてくれた。
「私が知っている小説家の中で、山内さんほど新書を読んでいる方をほかに知りません。山内さんは『小説以外のことも知らないとダメな気がする。新書はいいサイズなんだ』と言って、たくさんノンフィクションも読んでいるんです。物語の世界を愛してはいるけれど、そうやって外を知ろうとする同世代の女性の作家に出会えたことも、私にとっては大きな経験でした」