2024年5月17日、「ESqUISSE コラボレーションチャリティ イベント NOTO NO KOÉ」が開催されました。【ESqUISSE】を舞台に、シェフであるリオネル・ベカ氏と
「炊き出し」体験で知った料理人のミッション、 あたらしい能登の食文化 (池端隼也氏・平田明珠氏)
能登の料理人の絆を語る平田氏(左)と池端氏(中央)、クリス氏(右)
クリス氏:第2部では、【ラトリエ・ドゥ・ノト】の池端隼也さん、【ヴィラ・デラ・パーチェ】の平田明珠さんのお2人をお迎えしてお話をお伺いしていきます。早速ですが、1月1日、震災が起こった後から炊き出しに動いてらっしゃるおふたりなんですけれども。ちょっと振り返るのもお辛い部分があると思うんですけれども、池端さんのお写真から拝見していきましょうか。
震災後の【ラトリエ・ドゥ・ノト】の庭の様子
池端隼也氏(以下、池端氏):ここはお店の中庭ですね。2階は、ぐちゃっとつぶれた感じです。レストランに関しては耐震にしたのでつぶれていません。普通は1階が潰れて2階が1階みたいになるのが多いのですが。
クリス氏:ご自宅やご家族はどういう状況でしたか?
池端氏:重度損壊という形だったので、今はキャンピングカーにいます。
池端氏と炊き出しチームによるシチュー
クリス氏:リオネルさんのインスタグラムで出していましたが、早い段階から動いていらっしゃいましたよね。
池端氏:そうですね。震災の日は輪島の隣町の穴水町にいて、消防署がすぐ近くにあったので行きましたら、非常食でカップラーメンとお水はあったんです。電気が止まっていたのですが、たまたま電気が使える車だったので、初日の夜はずっと、どん兵衛を作っていました。次の日に輪島に帰って、さっきのお店の状況を見ました。僕たちの場所は観光地なので、どの飲食店も2日から営業するんですね。だから冷蔵庫にパンパンに食材が入っているんです。そこから引っ張り出して、輪島では2日の日から炊き出しを始めました。周りの飲食店や魚屋さんとか誘って、とりあえず1500人前ぐらいは作れる体制を作らないといけないいうことで動きました。みんな誘って作り始めたので、近くのレストランの提携農家の方とかはその時に全部持ってきてくださいました。
クリス氏:こちらは、平田さんのお写真ですか。片付けだけでも途方にくれますね。
震災後の【ヴィラ・デラ・パーチェ】の店内の様子
平田明珠氏(以下、平田氏):お店とか家のある集落はほぼほぼ建物倒壊とかなくて大丈夫だったんですけど、歩いて5分位行くと倒壊した家とかもあって。すぐ近くでも全然被害が違います。僕は元旦は東京にいて、2日の早朝には東京を出て昼ぐらいには着ければなと思っていたのですが。スタッフが金沢エリアにいて彼らに先にお店に行ってもらって、状況を見てもらって、掃除もし始めてもらっていました。だから片付けは割と他の所に比べれば早い方かもしれません。でも水が出なかったのでワインとかも流せなくて大変でした。
クリス氏:炊き出しはどのような状況でしたか。
平田氏:2日に戻って、近くの集落の人たちの話を聞きながら状況を調べました。お店の冷蔵庫に食材を残していたので、とりあえず残っているものでカレーとかでも作れば地元の人が食べてくれるかなと思って、2日の夜から仕込みを始めて、3日からうちの店で、まず自分の集落の人たちにカレーをお出ししました。でもお米がなかったので、お米を持ってきてもらって、ルーを渡すみたいな感じで最初やっていました。
クリス氏:さっき池端さんもおっしゃっていた、料理人同志の繋がりや地域との繋がりということが、こういう時には再確認されますよね。地震が起きてからは、池端さんと平田さんもですが、横の連絡も取れない、なかなか携帯が繋がらないという状況だとどのように情報共有されましたか。
平田氏:電波は弱かったので、電波あるエリアに入ったら連絡していました。2日の朝に池端さんと連絡が取れましたよね。ぼくは能登に向かってたんですが「お前こっち来たらあかんぞ」みたいに言われて。でももう行っちゃってるし……。
クリス氏:あかんというのは大変な状況だからですか。
池端氏:最初の頃はひどかったんです。輪島市内はお亡くなりになった方とかもいらしたし、状況は当時わからなかったんですけど、金沢から輪島に向かって、石川県の南からグラデーションのように被害が大きくなっているんです。輪島の方がひどかったんだと思うんですけど、僕はそこしか目にしないので、来ない方がいいよって伝えました。ちっちゃいお子さんもいるので、そういう話をしたんです。
クリス氏:そうですよね、こういう時に連絡を取り合うっていうのは、元々繋がりがあったからですね。能登の料理人の方々も今回見てもすごく動きが早いし、繋がり方、力、パワーがものすごくあるというところにもぐっと来るんですけど、元々の繋がりはあったり、活動は募集されてたりしますか。
平田氏:活動自体は、スタッフのソムリエの塩士が熊本地震の時に金沢の料理人を集めて繋がりを作っていたので、それがそのまま今回動いてくれました。僕はそこに対して支援の要請だったり、状況を伝えたり、情報の行き来は割とできました。あとは、インスタグラムのストーリーとかで池端さんが結構発信をされていたので、一応無事でいるっていうことが確認できて、輪島の状況はどういう状況か池端さんのSNSを見て、僕もできるだけ、情報発信した方がいいなと思ってアップしたりしました。多分、それを見た料理人仲間が連絡くれたりとか、その繋がりあるメンバーで、炊き出しを一緒にしてくれたりとか、必要なものを持ってきてくれたりしました。
クリス氏:炊き出しも普段レストランで用意されているのともちろん全く違うわけで、段階によって違うと思いますが、その辺りは実感としてどうですか。
池端氏:最初は電気も水もないですし、僕の炊き出しもビールとかアルコール飛ばしてスープにしたりしてたんですけど、最初はやっぱり命を繋ぐための食事なんですね。最初はもうレトルトとかそういうものしかなくて、大体1週間ぐらい炊き出しした時に、高齢者が多い 町なので、2次被害じゃないですけど、やっぱり高血圧になってしまって。すぐ薄味にすぐ切り替えました。炊き出ししは日常食なので。
クリス氏:やっぱり食イコール命っていうことは、改めてレストランとは違う形で認識されますよね。
池端氏:今回、僕らもそれぞれ実は連絡が取れてなかったので、多分外から見ると、料理人が一致団結してその地域で協力してやったっていう風に見えるかもしれないですけど、それよりも、それぞれが皆その地域に根ざしているので、地域の人に野菜取ってもらったりとか、お料理教えてもらったりとか、それぞれが小さいコミュニティでやってきたので、みんなこの地域で何も言われなくても同じように自然的にやったんですよね。で、実際平田さんと会ったのは2月入ってからで、めっちゃボロボロ泣きましたけど。
平田氏:そうです。それぞれもう目の前のことでいっぱいだったので。
クリス氏:平田さんは炊き出しをされていて、使命感っていうのもあったと思いますが、その地域の人たちに対してどういうものを出そうとか、食は命とか繋がってるとか、そういうことは考える時がありましたか。
平田氏:そうですね、池端さんと僕もそこは一緒で、最初はもうあったかいご飯を食べられるだけで、みんなこう喜んでくれてたんですけど、割と早い段階で 僕は七尾市の指定の避難所の中島小学校につきっきりで運営をやりました。実際に自分が料理を作る、手を動かすっていうよりか、炊き出しに来てもらって、その人たちが作ってもらえるような動線を作ったりとか、環境を整えたりとか、炊き出しのスケジュール管理だったり衛生管理っていう方に極力力を入れるようにしました。実際手を動かしてしまうと、その管理や運営ができなくなっちゃうので。
避難所の小学校で炊き出しの列ができている様子
クリス氏:こちらは、家庭科室とかなんでしょうか。
平田氏:そうです、家庭科室で作ったものを食堂に持っていって、配ってそこで食べられるようにした時の写真です。だんだん炊き出しに来てもらえる方も増えてきて、企業さんとかも連絡があって入ってもらうようにしたんですけど、どうしても炊き出しに来てもらうと、作るものが牛丼と豚汁とか、その夜に、牛カルビカレーとかで、避難所ってほとんど高齢者ばかりで、そういう食事が続くとやっぱり血圧が上がって救急搬送されてしまう高齢者の方とかもいらっしゃってまずいなという状況もありました。
クリス氏:炊き出しも、気持ちがあってボランティアで来てくださり、やるしかない、やれることをやるっていうことだと思いますが、ボランティアのあり方っていうのも考えるべきことですね。どうしてもニュースだと、炊き出しがありました、じゃあよかったねという感じなので。熊本の地震で1回チームができたからこういう時に動けるということと同じように、想像力が経験と一致していないと、これから何かが起こった時っていうことを思うと、考えておかないといけないですよね。
池端氏:震災を経験したので、東京の町に来た時に、ここで起きたら大変なことになるなっていうのは感じますね。なんか考えてしまいます。そしてコミュニティがやっぱりないと思いますね。
池端氏:あとは、実際、震災直後はたくさんの方が支援してくれるんですけど、実は町とかはこれからが大変な時なんです。そして、僕もですし、赤木さんもさっきおっしゃっていましたけど、メンタルがやられるんですよね。 僕は1週間前すごくやられてて、本当に誰とも会いたくない気持ちだったんですけど、無理やりぐっと押し出してくれたんでよかったんですけど、なんかこう……。ずっと今も炊き出しをしてるんですけど、現実っていうものがぱっと目の前に来て、これからどう生きていくんですかっていうのが、住んでる人は皆それが目の前にあるんですよね。実は今が1番サポートが大事っていう事ですね。お金も全然ない方もたくさんいらっしゃいます。なので、報道がどんどんどんどん減ってくので、忘れ去られるんじゃないかと危機を感じます。
「NOTO NO KOÉ」のイベントのため【ESqUISSE】の厨房で調理をする平田氏(左)と池端氏(右)
クリス氏:今回は、それこそだんだん報道も少なくなることも考えて「能登の声」をどうやって届けたらいいかということもあって、この【ESqUISSE】で「NOTO NO KOÉ」のイベントを開催されたのですね。話を今回のお料理に移したいと思うんですが、久々に料理をしたような感じでしょうか。能登のいろんな美味しいもの、食材も今回のコースに目一杯詰め込む気合で皆さんやっていらっしゃるんだと思うんです。まず、今回の「NOTO NO KOÉ」で料理をしようっていうことになりまして、それは、池端さん、平田さんがよし、やろうっていうことですぐ始まったんですか。
池端氏:多分違うかもしれない。その、僕は正直、震災で、なんていうんすかね、こう、幸せのレベルとして、ちょっとしたことで幸せを感じるような人間になっちゃったんですよ。で、料理に関しても、楽しくて、もうこのレベルで十分満足、自分も満足するし、なんか、炊き出ししてるとそうなっちゃうんですよね。でも、自分の中ではそうじゃダメだっていう自分がいて……。だから、今日は本当にね、なんか震災から何か月ぶりぐらいに、【ESqUISSE】の調理場では久しぶりにテンションが上がってる感じで、チャレンジです。僕にとっては。
クリス氏:それは、料理人として自分がやってきたことを考えたり、この後続けられるのかとか。
池端氏:そう、いろんなことを考えてる。
クリス氏:今回はコラボレーションという形で、料理を作ろうよっていうことで、メニューがやっと上がってきているんですけど、きっと繋がってらっしゃる生産者さんたちの食材もあるのかしら。
「NOTO NO KOÉ」で供された『郷愁|イタドリと能登の塩』と題した平田氏による一品
平田氏:僕に関しては、使う食材、ほぼほぼ自分で、山へ行って取ってきたものです。塩はお亡くなりになってしまった生産者の方の塩を使っているんですが、今後もずっと使い続けたいと思っています。メニューの『郷愁|イタドリ 能登の塩』です。もともとリオネルが5年前に彼の所に来てくれて、そして【ESqUISSE】が能登に来て一緒にイベントをやったんですけど、またずっと一緒にイベントをやりたいねってこの3人でずっと話してたんです。だから、今回、この話があった時は、もう二つ返事でOKでした。ずっとやりたかったので。うちは2月末に断水も解消されてインフラが戻ったので、3月末から営業再開ができています。炊き出しの避難所からも1月いっぱいで運営からは出て、2月は自分のお店の再開と、石川県から出てイベントに行ったり、料理する機会はあったので、感覚が戻る機会がありました。やっぱりちょっと最初、2月の最初のイベントの時に、いきなりコースを作るってことになった時に、全然気持ちが戻らなくて、気持ちが乗ってこないのはあったんですけど、やってると、だんだん戻ってきた。結局、炊き出しもコー スの料理も、食べる人のために、どうやったら幸せになってくれるかっていうのを考えて作るという点で一緒だということに気がつきました。そして、逆にコース料理だったり、フランス料理イタリア料理と言われる料理を町の中で作るのが自分の役割なんだなってのがわかった。今は色々料理することに対してすごく前向きに、意味のあることだと考えるようになりました。その中で自分ができることを今回やりたいなと思ったので、自分で森の中で収穫をしたり、そういう料理のスタイルはそのままやりたいと思っています。
クリス氏:仕事って、ひょっとするとなんでもだと思いますけど、その場だけではなくて、色々考えたりしたことがレイヤーになって、表に出るわけじゃないですか。様々な出来事の中で、集中力とかものを作る気持ちが途絶えるっていうことはなかなかの大きな影響だと思います。でも今回、皆さんでコースを考える時に、どういう風に能登の味を感じていただこうかって場合に、どんな話し合いがあって、いつぐらいに固まってきたんですか。
平田氏:最近。先週。
池端氏:ぎりぎりです。
クリス氏:そりゃそうですよ、そうですよね。
「NOTO NO KOÉ」で供された『レジリエンス|七面鳥、しいたけ、みょうが、能登のハーブ』と題した池端氏による一品
池端氏:震災があって、能登のものは何でも今までと同じようには揃わないですよね。なので今あるものを。僕は、今日は近くの七面鳥を使うんですけども、70歳で1度癌を患った生産者さんのものです。道路が繋がった時にすぐ訪ねていったら、「おれはやるよ」みたいに言ってくれて、なんかすごく嬉しくて。で、なんかその大村さんの気持ちを料理にしたいなと思った。だから今回料理を考える時はすぐ大村さんの七面鳥を使おうと考えました。 椎茸は幸か不幸か震災があったので、めっちゃ出たんですよ。雷とか刺激を与えるとスイッチが入ってパッと出るんです。なので、地震あったことでたくさんあったので、大体4月ぐらいの椎茸を取りに行って、乾燥させたものを使いました。能登のハーブもね。
クリス氏:食材に関しても、関係性があるわけですね。生産者の方々との繋がりあってのお料理だと思うんですけど、生産者の方たちとは、どういう繋がりがあるのですか。
池端氏:ウエダ農園さんって、炊き出ししてた時に持ってきてくださって、彼もやりたいと言っています。ただ住む人が輪島市に関しては3の1ぐらいになりますし、スーパーもなくなって、今と同じような生業ができないので、クラウドファンディングのような新しい形でやりたいと言っています。
クリス氏:ちょっと能登のこれからということを少しご想像ができるか教えて頂けますか。新しく変わっていく部分もでてくると思うんですね。それをいい風に、どういう風に力にするか。平田さんは今、料理人としての目で、別に未来のことじゃなくていいんです。届けたいことは何でしょうか。
平田氏:そうですね、一応僕のお店も再開して、建物だったり自分の暮らしに関して言えば、 割と復旧というか、元の暮らしに近づいてる部分もあるんですけど、その反面、同じ町の中でも、まだ断水が続いている家だったりとか、仮設に入って不自由な生活をされている方とか、あと仕事自体がもうなくなってしまった方とか、大変な状況の人がいて、差がどんどん今広がっている状態です。そこで僕がお店を再開しましたとか、こういうイベントやってますとか、お店来てくださいとか、そういうポジティブな声を届けるのって結構危険もはらんでると思っています。それが今の全体の能登の声っていう風に捉えられがちな部分もあると思うので。とは言いつつも、やっぱりお店にお客さんも来てもらわないといけないし、再開したお店もだんだんと増えてきて、能登全体に人が今来てもらわないといけないので、その発信のバランスとか、ただ自分だけがどんどん突き進んでいっていいものかとか、やっぱり地域あっての自分のお店なんで、町全体を引っ張り上げて、みんなを掻き混ぜて、今、人に来てもらって、皆で何かするとか、楽しいことやったりとか、そういうのができるようなことがこれからすごく大事になっていくと思う。だから今回、池端さんに来てもらうことがすごく大事だと思っていたんです(涙)。すいません。 池端さんはまだ気持ちがのってきてないっていうか、明らかに気持ち的に難しい状態なのか、と思ったんですけど、やっぱり僕が引っ張らないと、輪島でこういう料理作れるのって池端さん一人だけなんで、彼がこういう料理の方に戻ってきて、戻って、戻ってきてくれないと、能登にとってすごくもったいないっていうか、大事なことだと思ったんで、だんだん、のってきてくれてるのも、昨日一緒に仕込みしてて、一緒に用意して作ってたんで、すごく良かったなって思って。それだけで今回来て良かったなって思うところもあったんですけど。うん。なんかこういうイベントってすごいなって、まだ1回も料理してないんですけど(笑)。
池端氏:まだ料理仕上がってないです。(会場笑)
【ESqUISSE】の厨房でお揃いの「NOTO NO KOÉ」のTシャツを着て笑い合うシーン
平田氏:あと、できてすごくよかったなって。いや、もう終わりみたいなんですけど。
クリス氏:でも、それぐらい、ここに来ることがいかに大変かっていうことを感じます。うん。池端さんね、愛されてますね。それだけ尊敬されるべき存在なのですよね。
平田氏:これで終わりにしたくなくて、今回【ESqUISSE】でイベントをしますけど、また、【ESqUISSE】にやっぱりこっちに来てもらいたいです。皆で料理をする機会っていうのは、今回だけじゃなくて、これからもずっとやっていきたいなって思うので、今日からスタートしますけど、成功させて帰りたいなと僕は思ってます。
池端氏:炊き出しメンバーも輪島市内のラーメン屋さん、居酒屋さん、スペインバルなど多いのですが、徐々に制度や形が変わってきて、みんなで生業しましょうってことになっています。輪島市で、飲食店ってやっぱり明かりともしたいとか。飲食店があるだけで、その街が明るくなると思うんですよね。
池端氏:そうです。だから、それをみんなでやりましょうっていうことで、今、前を見て動いています。
クリス氏:今おっしゃったように、コミュニティあってのレストランということでしたが、好きなレストランだったり、通いたいレストランだったり、それは食べに行くのもそうですけど、その人に会いたいとか、その人の料理を食べたいとか、そこで行くと会える人がいるっていうのがレストランですよね。だから、コミュニティの中におふたりのレストランはあるんだなっていうことも責任も感じていらっしゃると思います。あと、さっきおっしゃった、自分の所だけのことを言うのも話が違うでしょうし、色々気を使って周りを見て動いてらっしゃる気持ちも、察することも難しいこともあるんですけど。まぁでも話したくないことがある中で、どうもありがとうございます。ぜひ皆さん、自分の心身を通してお感じいただきたいな思う、能登の声です。
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ベカ氏から能登へのメッセージ
「NOTO NO KOÉ」で供された『小さな命のささやき|野菜とハーブのプレート』と題した【ESqUISSE】による一品。器:赤木明登氏作 古銀丸折敷大
最後に、リオネル・ベカ氏は、能登への想いを次のように語っています。
高潔で美しく、野性的で豊かな土地、能登。
海は滋養に富み、風は潮の香りを運ぶ。
能登の光はどこまでも透明で、時間はゆったりと流れ、
木々は互いに語り合う。
能登の自然には神秘の力が宿る。
それは古くから伝わる普遍的な言語でもあり、
限られた人しか聞き取れない言葉でもある。
能登の人々は、人類の未来に対する答えを秘めながら
そこに暮らしている。
だから能登は何度でも生まれ変わる。