今年4月、現職の裁判官、しかも津地方裁判所民事部のトップの裁判長(部総括判事)が、国を相手に「違憲訴訟」を提起する意向を表明し、話題になっている。
竹内浩史判事(61)。元弁護士で市民オンブズマンを務めた経歴があり、弁護士会の推薦により40歳で裁判官に任官し、かつ、自らブログで積極的に意見を発信する「異色の裁判官」である。
本連載では、竹内判事に、裁判官とはどのような職業なのか、裁判所という組織がどのような問題点を抱えているのか、といったことついて、自身の考え方や職業倫理、有名な事件の判決にかかわった経験などにも触れながら、ざっくばらんに語ってもらう。
第2回のテーマは、竹内判事が担当した有名事件の一つ、2004年の「近鉄・オリックス球団合併」事件。竹内判事によると、憲法の精神に照らし、裁判官には「法的な判断」を行う前提として、まず「良心」による判断を行うことが求められる。そして、「裁判官の良心」とは「正直」「誠実」「勤勉」を意味するという。
事件を担当した判事たちの「良心」はどのように発揮されたのか。東京高裁で本件の主任裁判官を務めた竹内判事が当時を振り返る。(全6回)
※この記事は竹内浩史判事の著書「『裁判官の良心』とはなにか」(弁護士会館ブックセンター出版部LABO刊)から一部抜粋・構成しています。
「近鉄・オリックス球団合併」事件から「裁判官の良心」を考える
私は、2004年9月のプロ野球の「近鉄・オリックス球団合併」事件で、東京高裁の主任裁判官として「決定」を書きました。このとき私は、法の解釈・適用を行う前提として、「正直」「誠実」「勤勉」という「裁判官の良心」の三つの基準をすべて当てはめて判断を行いました。
事案の概要は以下の通りです。
当時の古田敦也会長率いるプロ野球選手会が、球団合併に反対し、日本野球機構(NPB)を労働契約の「使用者」として相手取って、労働組合として団体交渉を申し入れました。
しかし、NPBは、個人事業主である選手との間に労使関係はなく、選手会は労働組合ではないという理由で団体交渉権を否定しました。そのため、選手会は団体交渉の応諾を求める「仮処分」を東京地裁に申し立てました。
これは当時、全国民が成り行きを注視していた最重要事件で、かつ、先例も判例もない大変な難事件です。
一審は、選手会の申立てを却下しました。そして、選手会の「即時抗告」を受けて、たまたま私が東京高裁の主任裁判官になったのです。
竹内判事の裁判官としての経歴(2024年9月当時、東京高裁判事)
選手会もNPBも「正直」だった
まず「正直」基準ではどうか。この紛争は、労働者の労働三権と経営者の経営権の正面からの本音のぶつかり合いです。
選手側としては、2球団が1球団に統合されれば、1球団分の選手が大量解雇されることになります。これに対し、球団経営者側は、現行の2リーグ12球団から、もう一組の合併を成立させて、1リーグ10球団に縮小しようという方向で動いていました。
どちらかが嘘つきというわけではありません。したがって、双方が正直なので、1回の表と裏が終わって、1対1の同点です。
選手・ファンのため働く選手会の「誠実」と、顧みない経営者側の「不誠実」
次に「誠実」基準ではどうか。選手会は、「1リーグ化阻止」を掲げて野球ファンをはじめとする世論に訴えました。
選手会長の古田選手は、朝日新聞の「論壇」にも投稿して国民に支持を訴えました。彼は既に高年俸を得ている名選手で、普通の労働者とは言えないと経営側から攻撃されていました。
それでも、選手全体と野球ファンのために、我が身を犠牲にして先頭に立って闘っていました。非常に誠実で立派な振る舞いです。人として尊敬に値すると、それまでの推移を見守りながら、一人のプロ野球ファンとして思っていました。
これに対して、経営者は何と言ったか。読売ジャイアンツのオーナーの渡辺恒雄、人呼んで「ナベツネ」氏は、直接会って話し合いをしたいと求めていた古田会長に対し、「たかが選手が。馬鹿言っちゃいかんよ。」と暴言を吐いたのです。普段は選手たちに大儲けさせてもらっているにもかかわらず、鼻で笑って馬鹿にしたのです。
この失言で世論は憤激し、形勢は選手会側に大きく傾きました。2回が終わって、2対1と選手会のリードです。
交渉を退席し試合に出た古田選手会長の「勤勉」と、“江川事件の教訓”を忘れたNPBコミッショナーの「怠慢」
最後に「勤勉」基準ではどうか。これは決定後のエピソードになりますが、古田選手は、その後の交渉で、選手会長であるにもかかわらず途中で退席したことがありました。どこへ行ったかというと、球場へ直行し、代打として試合に途中出場したのです。両球団のファンの観衆から大喝采を浴びました。
プロ野球史に残る名シーンだと思いますが、プロ野球選手はこれほどまでに勤勉なのかと私は驚愕しました。
片や、NPB側はどうか。当時のコミッショナーは元検事総長でした。なぜ法律家が就任しているかというと、原因は1978年11月のプロ野球ドラフト会議の前日の事件、いわゆる「空白の一日」で有名な「江川事件」です。
この事件の処理に失敗して辞任した当時のコミッショナーが「後任者には法律家を」と言い残したのが、慣例化していたのです。
それにもかかわらず、検事総長上がりの会長は「私には権限がない」と言って、事態の解決のために何もしませんでした。「勤勉」基準では、逆に怠慢と言うほかありません。
したがって、この試合は、選手会を3対1で勝たせるのが正義に適う事件と思われました。私たちも、一審の決定理由を覆して、選手会の団体交渉権を明確に認める決定をしました。
「良い裁判」をするために
その決定後、団体交渉が一時的に行き詰まり、選手会は史上初のストライキをして、それこそクライマックスを迎えたのですが、最終的には、妥協が成立しました。
近鉄のオリックスへの合併を受け入れる代わりに、新球団の参入、結果的には楽天球団の参入を認めさせて、2リーグ12球団制を存続させるという大成果を挙げ、そのまま現在に至っています。
そのため、今も行われているプロ野球日本シリーズが見られることと、東北に楽天球団ができたのは、私たちのおかげだと密かに自負してきました。
私は、故郷の球団である中日ドラゴンズに加えて、球団結成時からの東北楽天ゴールデンイーグルスのファンになりました。球場でプロ野球観戦をするたびに幸福感に浸っています。良い裁判をすると、とても気分爽快なのです。
「良心的裁判官」は、このように、良い裁判をしたいと思って、訴訟指揮権を駆使し、それなりに時間もかけて、原告と被告に働きかけます。審理の進め方によっては、勝ち負けが途中で逆転する例も珍しくありません。裁判はとにかく早ければいいというものではないのです。