米大リーグで活躍する大谷翔平選手の銀行口座から元通訳の水原一平被告が“ギャンブル”に使用するために不正送金を行っていた事件は国内外に大きな衝撃をもたらした。
しかし、ギャンブルのために罪を犯した人は水原被告以前にも多くいる。公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」が発行する「ギャンブル等の理由で起こった事件簿(平成第3版)」には、平成以降に起きたギャンブルを動機とした横領、強盗、窃盗、詐欺等の事件699件が記録されている。
社会的なリスクをはらむ「ギャンブル依存症(病的賭博)」。厚生労働省は2017年に実施した調査から、過去1年以内にギャンブル依存が疑われる人は約70万人(成人の0.8%)に上るという推計を発表している。
この連載では、会社員のセイタ(28)がギャンブルに飲み込まれていく様を追体験する。第4回では、パチスロ“個人戦”に負け続けるセイタが、次なるギャンブルとして「競馬」に足を踏み入れていく。(#5に続く)
※この記事は染谷一氏の著書『ギャンブル依存 日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』(平凡社)より一部抜粋・構成。
スマホで買える“馬券”に可能性を見出し……
自宅でゴロゴロしながら金を増やせるような、都合のいいギャンブルはないものか。
あれこれインターネットで調べた結果、外国為替証拠金取引(FX取引)、それに競馬が候補として浮上した。前者の場合、口座開設には親の同意が必要だった。一方、中央競馬(JRA)の専用口座は、比較的、簡単に開設ができる。現金を預けておけば、スマホを使って馬券が買え、レースを開催している競馬場や場外馬券場に足を運ぶ必要はない。
これだ! セイタはさっそくネットで口座を開設した。
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競馬好きには2種類のタイプがいる。
まず、関係者が知恵を振り絞って交配を重ね、さらに厳しいトレーニングを課してつくり上げた競走馬に、ある種のロマンを重ねる人たち。サラブレッドの血統や脚質、それにレース当日の天気なども考慮しながら予想を組み立て、人馬一体のドラマに熱くなる。いわば「金を賭けたスポーツ観戦」のようなものだ。馬券が当たれば言うことはないが、「いいレースを見た」という満足感も報酬となる。ギャンブルに「グッドルーザー」など存在しないが、かろうじてこの「ロマン派」はそれに近いかもしれない。
もう一方の「馬券師」にとっては、競馬も「ただの博打」。物語性などどうでもいい。競馬新聞やネットの馬柱(出走馬のデータ)を穴が開くほどにらんで、自分で導き出した予想に金を突っ込む。芝やダートのコースを走っているのはサラブレッドではなく、自分の金を託したゼッケン、つまり「記号」だ。いうまでもなく、報酬は馬券への配当のみ。
全国紙にも大きく情報が載るような大レースの馬券しか買わない層には「ロマン派」が多く、「平場」「条件戦」と呼ばれる、それ以外の馬券も積極的に買うのは「馬券師」が多い。中央競馬だけでも、週末2日間に48から72レースもある。競馬場や場外馬券売り場に足を運び、日がな一日、競馬新聞と格闘しているのはほぼ後者で、こちらにギャンブル依存、および予備軍が偏っているのは間違いなさそうだ。
日本ダービーやオークスなどのクラシックレースや、その年の活躍馬が集結する年末の有馬記念などにはロマン派のほか、お祭り気分の「にわか便乗組」、それに単純に自分の好きな馬名や数字の組み合わせだけで馬番を選ぶ「運試し組」が大量に流入することで、莫大な額の馬券が売れる。ちなみに、2022年末の有馬記念では、2分32秒で決着したレースに約521億5000万円分の馬券が売れた。
競馬を「ドラマ」として楽しむ者も中にはいるが……(Ystudio / PIXTA)
「倍賭け」の馬券で
セイタは言うまでもなく後者、ドライな馬券師タイプだった。
しかも、大きな配当は狙わない。レースの着順も含めて1着から3着までを当てる「3連単」なら、数十倍から数千倍以上の大きな配当となることがあるが、的中させるのは至難の業だ。セイタは見向きもしなかった。
ガチガチの本命馬にそれなりの金額を投じ、地道に利ザヤを稼ぐことが基本のスタイルだった。
たとえば、1着を当てる単勝オッズ2倍の本命馬券を10万円買う。当たれば20万円の払い戻しで利益は10万円になる。もちろん、断然の大本命馬だって、絶対に勝つわけではない。ここで馬券を外したら、慌てずに次の本命馬に倍額の20万円を突っ込む。ここで当たれば、先ほどの負け分10万円と合わせた30万円の出資で40万円のリターン、つまり10万円の利益となる。そこでも負ければ、次の本命馬に40万円出資し、80万円獲得すれば、やはり10万円の儲け。利益が出たところで、その日の競馬は終了する。
本命馬券の配当倍率にはばらつきはあるものの、数レースもあれば、どこかで1番人気は勝つ。大勝ちは望めないために、夢やロマンとは無縁だが、資金さえあれば、かなりの確率で利益が期待できる。「倍賭け」と呼ばれる、比較的オーソドックスな買い方の一つだ。真っ当な投資も、真っ当ではないギャンブルも、つぎ込める資金が多いほど有利になるのは資本主義の原則だ。
セイタもこのスタイルだった。競馬の醍醐味である「予想」とは無縁だったし、あれこれ考えたり、悩んだりする必要もなかった。ネットの競馬情報サイトを開いても、参考にするのは人気とオッズだけ。競走前のパドックには目もくれないばかりか、レースの観戦さえしないこともあった。
興味は、自分の選んだ「記号」が1着でゴールしたかどうかだけ。競馬が好きなわけではなかった。それでも、セイタの競馬は順調だった。手元の金が大きく増えることはなかったが、友達と遊んだり、ブランド品のアクセサリーを買ったりするぐらいの資金はつくることができるようになっていた。何よりも、わざわざパチンコ店に出かけていく「わずらわしさ」がないのは最高だった。
その分、セイタの怠惰さには拍車がかかった。ますます大学から足が遠のき、ときおり友達と遊びに出る以外は、部屋でスマホを眺めてゴロゴロと過ごす。週末になると、ベッドに寝そべったまま、馬券を購入する。ひどく無気力な生活が2年、3年と続いていった。
そんな学生を、すんなり進級・卒業させてくれるほど、昨今の大学は甘くない。気がついたら、セイタの身分は「大学5年生」になっていた。
「半グレ未満」に追い詰められ
大学生活が「延長戦」に入ったころ、ちょっとガラの悪い友人ができた。セイタより少し年上で、暴力団関係者ではなかったものの、クレジットカード詐欺や闇金業などの犯罪にも手を出す、世間的に「半グレ」と呼ばれるタイプに近かった。セイタも背伸びをして、それまで自分とは縁のなかった世界で一緒に遊んでいる分には刺激的で楽しいし、必要なときに金を回してくれることもあった。
だが……
ある時、「半グレ未満」が闇金用の元手として、まとまった金額を出資するようにセイタに頼んできた。一応は「頼み」の形こそとっていたが、現実には拒否が許されない「強制」だった。やむを得ず、親が銀行に振り込んでくれた大学の授業料を渡した。「すぐに返す」と半グレ未満は言っていたが、その後に返却を頼んでも、のらりくらりとかわされ続けた。
授業料の支払い期限は迫ってくる。焦り始めたセイタに、思いもよらないピンチが追い打ちをかけた。いや、そうではない。来るべき時が来ただけだった。
ある週末、いつもの要領で「勝ち馬に乗る」馬券を買っていた。ところが、この日のレースは波乱が続き、セイタが自信を持って資金を投じた本命馬が、4レース連続で着外に消えた。わずかな間に、5万円、10万円、20万円、40万円と口座から消えていき、セオリー通りに取り返すためには80万円が必要だったが、口座には30万円も残っていなかった。
競馬や競輪などのレースで、立て続けに本命が着外に消えることなど珍しくはない。中学生レベルの確率計算だけで想定できるリスクを、有名大学に在籍するセイタが無視していた。というよりも、根拠のない報酬への期待にまともな思考が追いつかず、当たり前の現実から目をそらしていた。目前に迫ったクレジットカードの支払いを考えると、使える金はほとんどなく、このままでは普段の生活さえままならない。いきなり、事実上の「パンク」がやってきた。
突然訪れた“来るべき時”「このままでは生活さえ…」(KAORU / PIXTA)
大学生活は6年に
授業料未納による大学除籍処分だけは、絶対に回避しなければならない。
ただ、いくら考えてもピンチを乗り切る手段など思いつかず、救済を期待できる対象は家族以外にはいなかった。留年したことで失望を与えたばかりの父親に、恐る恐る連絡をして、自分の困窮状態を打ち明けた。
猛烈な叱責を覚悟していたが、思いがけない効果を発揮したのは、よりによって半グレ未満の存在だった。セイタが「悪い仲間にだまされて、授業料を使い込んだ」と、脚色交じりで父親に話したところ、「バカなことをしたな。これも社会勉強だと思え」とさほど怒った様子もなく、授業料と生活費を出してくれた。
拍子抜けだったが、助かった。
さすがに多少は反省した……つもりでいた。だが、生ぬるい日々に慣れ切ったセイタには、生活を改める決意などできるはずもなく、相変わらずスマホのゲームに興じるなど、ダラダラした毎日が続いた。セイタが大学を卒業したのはさらに2年後。つまり、6年間も大学にいたことになる。
留年中にいやいや開始した就職活動にも、まったく熱が入らない。朝、ベッドから起きられずに、面接のアポイントに間に合わなかったり、面倒になって入社試験を当日にすっぽかしたり。
それでも、なんとか最終面接までいった3社のうち、1社から首尾よく内定を受け取ることができた。上場こそしていないものの、それなりに名の通った東京の中堅企業だった。
自堕落な生活を送ってきたくせに、セイタ自身の見栄張りの本質は変わらなかった。大学を出ての「無職(プータロー)」はもちろん、フリーターにも抵抗感があった。やっぱり、自分の体裁はそれなりに整えないと、すでに実社会で活動している高校や大学の同級生にあわす顔もない。
社会人として帳尻を合わせはしていたが
生活の場は大阪から東京へと移った。サラリーマンとして、毎日、スーツに袖を通すことで、少しは気持ちも生活もシャキッとした。負けず嫌いで見栄張りの性格は、ここでもプラスに働いた。会社組織にいる限り、「仕事ができないヤツ」にはなりたくない。配属された営業部では、毎日、しっかりと仕事に打ち込んだ。素顔のセイタは、穏やかな口調の物腰からも、育ちの良さが伝わってくるタイプだった。社内でも得意先でも評判は悪くなかった。
オフィスのフロアを見回すと、周囲で働いている先輩や同僚は、真面目な堅物ばかりで、ギャンブルに入れ込んだり、キャバクラや風俗に出入りしたりするようなタイプは一人も見当たらなかった。セイタも空気を読みつつ、サラリーマンとしての帳尻はしっかり合わせた。自堕落な学生生活を続けてきたわりには、会社の仕事は嫌いではなかった。
それでも毎日、気を張っていた入社直後を乗り越えて、新しい生活に慣れてくると、あまりにも刺激が足りなかった。日本の新卒サラリーマンの給料は、地道な労働への対価としては物足りない。どこの会社も似たり寄ったりだろうが、もう少し金が欲しかった。
(第5回に続く)