2024年7月3日、お札が変わります。第3回目の「新紙幣のヒミツ」は人物編!新紙幣に採用された人物、どんな功績を残したのか知っていますか?
お札の肖像はどんな基準で決めているのか、今使っているお札はどうなるのかなど、気になるギモンについても解説します。
新紙幣一覧
「新しい日本銀行券特設サイト」(国立印刷局)をもとにmymo編集部作成
新一万円札・渋沢栄一
渋沢栄一の肖像
「新しい日本銀行券特設サイト」(国立印刷局)をもとにmymo編集部作成
一万円札の新たな「顔」となったのは「渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)」。埼玉県深谷市出身の日本の実業家です。
渋沢栄一は、27歳の時、第15代将軍となった徳川慶喜の実弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学するほか欧州諸国を訪問します。明治維新が起こり、欧州から帰国すると、静岡に「商法会所」を設立。その後、明治政府に招かれ、井上馨のもと、大蔵省の官僚として、造幣、戸籍、出納など、さまざまな政策立案を行い、新しい国作りに深く関わりました。
退官後は実業界に転じ、第一国立銀行、東京商法会議所、東京証券取引所などの企業や団体を設立・経営。生涯で約500社の企業に関わったとされ、「日本近代社会の創造者」と称されます。
同時に約600の教育機関や社会公共事業、研究機関等の設立・支援にも尽力。「論語と算盤」の言葉に代表される「道徳経済合一」の思想でも知られています。
新一万円札に採用された肖像の年代は、70歳の古希のお祝い時に撮影された写真複数枚を参考として描かれました。ただし、各方面で活躍されている躍動感や若々しさを表現するため、60歳代前半にリメイクされているそうです。
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新五千円札・津田梅子
津田梅子の肖像
「新しい日本銀行券特設サイト」(国立印刷局)をもとにmymo編集部作成
新五千円札に採用されたのは「津田梅子(つだ・うめこ)」。東京都出身の日本の女子教育家で、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者です。
津田梅子は、幕末の農学者で、江戸幕府の外国奉行支配通弁(通訳官)を務めていた津田仙、初子夫妻の次女として生まれます。
1871年、6歳の時に日本最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と共に渡米。ワシントン近郊のジョージタウンに住むランマン夫妻の元に約11年間滞在し、17歳で帰国。華族女学校教授に就任します。
女性の地位を高めるために自分自身の学校を作りたいと願う梅子は再度留学を決意します。1889年、再渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻。その際に執筆した論文が英国の学術雑誌に掲載されたため、「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性」と言われています。
1892年に帰国。華族女学校、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で教鞭を執った後、1900年、女子英学塾を創設。生涯を通じて、女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。
新五千円札の肖像は、30歳代のものです。女子英学塾(のちの津田塾大学)を創立した年齢であり、津田梅子の教育者としてのキャリアが確立した頃の写真を参考として描かれました。