新千円札・北里柴三郎
北里柴三郎の肖像
「新しい日本銀行券特設サイト」(国立印刷局)をもとにmymo編集部作成
新千円札の顔は「北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)」。熊本県小国町出身の「近代日本医学の父」と呼ばれる微生物学者・教育者です。
北里柴三郎は、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現在の熊本県阿蘇郡小国町北里)の庄屋の長男に生まれ、幼少期は、四書五教などの儒教を学びます。
1871年、18歳で古城医学所兼病院(現・熊本大学医学部)にて、オランダ人軍医マンスフェルトに師事し、医学の道へ。1874年、東京医学校(現・東京大学医学部)に入学しました。在学中に予防医学を生涯の仕事とすることを決意し、卒業後は内務省衛生局に勤務します。
1885年からドイツのベルリン大学に留学し、コッホに師事。1889年、世界初の破傷風菌培養に成功し、翌年には破傷風菌抗毒素を発見して世界を驚かせました。さらにそれを応用して血清療法も確立。
1892年に帰国後、伝染病研究所を創立。1894年には、ペストの原因調査のため香港に赴きペスト菌を発見します。その後、慶応大学医学部の創設、日本医師会などの医学団体や病院の設立など、社会活動も積極的に行いました。
新千円札の肖像画は、風格や品位があり、学者としての地位が確立し、働き盛りで充実した様子が伺えるため、50歳代の写真を参考として描かれています。
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新紙幣に関するギモン、国立印刷局がお答えします。
新しいお札の人物のことが分かったところで、「そもそもなぜ改刷するの?」「なぜその人物になったの?」など、気になることも増えたはず。そんなギモンに国立印刷局が答えてくれていますので、いくつかご紹介しましょう。
なぜ改刷するの?
にせ札、つまり偽造を防止するためです。新しい偽造防止技術を加え、デザインも一新しています。日本銀行が、明治18(1885)年に第1号のお札を発行してから、53種類のお札を発行しています。
何年ごとに改刷するの?
間隔はまちまちですが、近いところではおよそ20年ごとに変わっています。ちなみに前回の改刷は2004年でした。
どうやってデザインを決めているの?
肖像をはじめとするお札の様式は、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議し、最終的には日本銀行法によって財務大臣が決めることになっています。
肖像になる人に基準はあるの?
お札の肖像の選び方に、特別な制約はありませんが、おおよそ次のような理由で選定されています。
・日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
・偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。
こうして、現在のお札の肖像は、明治以降に活躍した文化人の中から選ばれています。
ちなみに、お札のデザインに肖像が描かれているのは、人の顔や表情のわずかな違いにも気がつくという人間の目の特性を利用しているためです。
今使っているお札はどうなるの?
新しいお札が発行された後も現在発行されているお札が使えなくなるという予定はありません。お札は、法律で無制限の強制通用力があることが定められています。法律上の特別な措置がとられない限り、この通用力を失うことはありません。既に発行が停止されたお札のうち、現在でも使えるお札は18種類あります。
みなさんの気になるギモンは解消されましたか?
他にも、国立印刷局の「新しい日本銀行券特設サイト」では様々なギモンに答えてくれています。ぜひチェックしてみてください!
※当コンテンツは国立印刷局「新しい日本銀行券特設サイト」に掲載の情報を元にmymo編集部が編集・制作しています。