ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが4月26日、94歳で亡くなった。ウェディングドレスを広め、女性たちが自分らしさを表現できるよう、多彩なドレスのみならず、セレモニーなども提案する「ブライダル文化の伝道者」だった。
「私がウェディングドレスのデザインを始めた1960年代初め、選択肢なんてなかったんですよ」。桂さんはかつてこう話してくれた。ウェディングドレスを着る女性の割合を調べたところ、3%に過ぎなかったという。和装が主流で、ウェディングドレスはワンパターンだったそうだ。
当時、ウェディングドレスも洋裁店や百貨店の注文コーナーでオーダーはできた。しかし、アメリカから輸入されたスタイルブックをもとに作れば、本場さながらの美しいドレスが出来上がるわけではなかった。八頭身のアメリカ人向けにデザインされたものがそのまま日本人にも似合うわけではない。美しいどころか、バランスの悪い姿になってしまう女性もおり、悲喜こもごもだったらしい。
女性たちの夢や憧れをウェディングドレスという形にすることを生涯の仕事とした桂さん。仕事への情熱は最後まで衰えなかった
1964年、東京・赤坂に日本で初めてのブライダル専門店を開店。しかし、結婚する女性がウェディングドレスを希望しても、自身の親や相手の親に「和装にしなさい」と言われ、泣く泣く諦めざるを得なかった人も多かった。また多様なデザインのドレスを並べても、好まれるのはいつも丸首で長袖の保守的なスタイル。女性たちは新しいデザインにあこがれながらも、着る勇気がなかったというのが現実だった。
もっと積極的に様々なドレスを提案し、発信をしていかなければ広がらないと一念発起。1965年に初めてウェディングドレスのファッションショーを開催した。テーマは「七つの個性をデザインする」。モデルに選んだのは、話題の女優、歌手、モデルで、草笛光子、緑魔子、稲垣美穂子、九重佑三子、入江美樹、河原日出子、三富邦子の7人。それぞれの個性を生かしたドレスに加え、当時流行していたミニ丈のドレスも登場して、大きな話題となった。
1965年に初めて開催したウェディングドレスのファッションショー。有名な女優や歌手、モデルが登場し、話題を呼んだ
桂さんのスタイルが国際的にも評価されるきっかけとなったのが、「ユミライン」だ。膝のあたりまでボディーラインに沿い、裾に向かってトレーンが広がる。着物の「お引きずり」がヒントになった。
代表的な「ユミライン」。セクシーさも感じられるデザインは、結婚年齢の幅が広いアメリカで大人気となった
1981年、桂さんはニューヨークで開かれる日本貿易振興会(現・日本貿易振興機構)主催の見本市に出展するため、絹のウェディングドレスをデザインした。だが、アメリカのバイヤーから「なぜかわいいドレスばかりなのか」と尋ねられた。日本に比べて、アメリカは結婚年齢の幅が広く、文化の違いを実感。そこから考え抜いて生まれたのが「ユミライン」。アメリカで大人気を博し、ハリウッド映画の中のドレスもデザインした。
時代の変化や女性のライフスタイルの変化を敏感に読み取りながら、手の込んだ美しさを追求した。トレーンの長さやバランス、美しい刺しゅうなどにもこだわり続けた。
大人気のマントトレーン。繊細なレースをたっぷり使い、パール刺しゅうを施した。桂さんはトレーンの美しさにもこだわった
戦後のないない尽くしの時代から、「ほしいものがない。ならば作ろう」の精神で、夢のようなブライダルの世界を作り上げてきた。常について回った「初めての」や「古い因習」というプレッシャーにも負けず、いつも花嫁のために最高の場面を作り、夢をかなえたいと「花嫁が第一」を掲げた。そして、桂さん自身に何があっても、社員は一日たりとも仕事の手を止めてはいけないと言い続けた。
手の込んだインドのザリワーク刺しゅうが印象的なウェディングドレス
text: 宮智 泉(マリ・クレールデジタル編集長)
・ウェディングドレスを広めた 桂由美さん死去