人に感謝の気持ちを伝えられる大人になってほしい
吹奏楽部の生徒たちは、今回の演奏会でとても大切なものを受け取ったようです。続いて、顧問の錦木(にしき)先生にお話を伺いました。
――定期演奏会を終えてみて、いまはどんなお気持ちですか?
錦木さん(以下、敬称略):まずは無事に終わってほっとしています。同時に、生徒たちに笑顔が増えたことを嬉しく思います。
今回の演奏会は、生徒たちの「能登半島の人たちに元気を届けたい」との思いから企画されました。でも、生徒の中にも生活が大変な子はいましたし、本番に対する不安もあったでしょう。頑張りたいけど気持ちだけではどうにもならない状況にあった子もいたと思います。「元気を届けたい」と言いつつも、自分だって苦しかったはずなんです。
それでも彼ら彼女らが頑張れたのは、いろいろと助けてくださったボランティアの方々の存在があったから。それが後押しとなって、演奏会を成功させることができたと思っています。
飯田高校・吹奏楽部で顧問を務める錦木先生
――観客の中には演奏を聴きながら涙する人もいました。
錦木:少しでも元気になってもらえたなら何よりです。でも、生徒たちもすごく力をもらったと思います。演奏会を通して、「自分たちにもできることがある」と実感したでしょうし、それは今後の生きる希望にもなるはずです。
自分の力だけではどうしようもないことが起こると、やはり諦めたくもなりますよね。でも、そんなときには今回の演奏会を思い出して、一歩前に踏み出してもらえたらいいな、と思います。
――3年生はこれから将来への道へ進んでいきますね。
錦木:彼ら彼女らには、目指す道を諦めずに進んでいってもらいたいですね。その上で、「自分の力ではできないこと」を過剰に受け止めないでほしい。今回、ボランティアの方々と関わったことで、「できないこと」を補い合うことの大切さを知ったと思うんです。
だからこれからは、自分にできることを精一杯やりつつも、できないことは補ってくれた相手に「ありがとう。あなたがいてくれて良かった」と素直に伝えられる大人になってもらいたいと思います。
能登半島地震の爪痕が深く残る飯田高校。いまだ仮設トイレが使用されている
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被災地で生きる子どもたちこそが、能登半島の「未来」の希望
今回の演奏会を成功させるためには、ボランティアの方々の力がとても重要でした。その中心人物となったDRT-JAPANの杉下(すぎした)さんに、演奏会に参加した思いを伺いました。
――演奏会を終えて、お気持ちはいかがですか?
杉下さん(以下、敬称略):実はみんなと一緒に練習ができたのは、たった一度だけなんです。でも無事に成功して良かった。何よりも吹奏楽部の子どもたちの元気な顔を見られて嬉しいですね。ここで生きる子どもたちは未来の希望ですから。
能登半島地震の発生直後から現地入りし、復興支援を続ける杉下さん
――ボランティアの方々が演奏会に参加することになったきっかけは、吹奏楽部の大坪さんの提案だったそうですね。
杉下:そうなんです。彼の自宅からクラリネットとオーボエを見つけ出したことを機に仲良くなって、そうしたら「一緒に演奏会に出てくれないか」と。びっくりしましたよ。
僕も昔、トランペットをやっていたことがあったんですけど、それでも40年ぶりくらいでしたからね。でも、自分にできることであれば協力したいと、他のボランティア仲間にも声をかけたんです。
演奏会を終えて、きっと子どもたち自身も勇気づけられたんじゃないかと思います。自分たちにもできることがある、と。自分たちがまきとなって、小さな火を絶やさないように頑張れる。それを子どもたちに感じてもらえたなら最高ですね。
――能登半島の復興状況はいかがですか?
杉下:まだまだです。そもそも、この災害がいかに甚大なものなのかあまりにも知られていなくて、悔しいです。能登半島に入ったとき、真っ先にやったのは人命救助なんですよ。つまり、最初からインフラなどの復旧作業ではなく、私たちボランティアが「命を救わなければいけない」というレベルだった。
でも、甚大な被害状況をあまり知られていなくて、公的な対応も後手後手になってしまっています。だからこそ、この被災地の実情を1人でも多くの人に知ってもらいたいですし、どうか気にかけてもらいたいと思います。ここでは、未来につながる子どもたちが必死に頑張って生きていますから。
編集後記
能登半島に暮らす人々の力強さと願いが伝わってくる——定期演奏会を聴きながら真っ先に感じたことです。
同時に思ったのは、「彼ら彼女らだけに頑張らせてはいけない」ということ。能登半島地震の発生から半年が経ちますが、復興への道のりはまだまだ遠い。だからこそ、同じ国で暮らす私たちも、この震災を忘れてはいけないのです。
被災地で頑張っている人がいる。それを希望としつつも、私たち一人一人ができる支援を続けていく。それが1日も早い能登半島地震で被災したまちの復興につながるのではないでしょうか。
撮影:十河英三郎