モデルや歌手、ダンサーとしてきらびやかなステージに立つMari氏には、昼の顔がある。
「日ごろは会社勤めをしているので、人目につくような場所には刺青を入れていないんです」
ステージ用のメイクや衣装に身を包んでいなければ、確かに白昼すれ違うには何の違和感も持たれないであろう「普通」の女性だ。だがよく見れば、身体改造の痕跡を見つけることができる。
両耳にぶら下がるおよそ50個のピアス、舌の中心から切れ込みが入るスプリットタン、腕の皮下に埋め込まれたシリコンチューブ――乳首や性器にもピアスをしているのだという。刺青のほか、これらの身体改造に辿り着いたMari氏の“自己表現”の根源に迫る。
◆生きづらさを感じていた学生時代
現在40代になるMari氏は埼玉県に生まれた。母方の祖父母の実家が近く、幼少期はほぼ祖父母宅で過ごしていたという。
「祖父母は自営業をやっていました。現在まで業態を変えていろいろと事業を営んでいます。当時、生活に不自由した記憶はないので、それなりに裕福だったのかもしれません。ただ、生きづらさはありました。高校生くらいまでの私は、結構太っていたんです。しかも運動音痴で勉強もできない。『デブでメガネで取り柄がない』という、当時の子どもたちのイジメの標的になる要素を兼ね備えていました」
Mari氏は当時の辛さを担任教師に相談したが、一蹴された。
「教師は『他にも原因があるだろう?』と言いました。確かに私は読書が好きで、クラスメイトに遊びに誘われても『本読みたいから』と断ることがありました。今思うとそういう部分なのかなとは思いますが、当時は大人にも見捨てられたとショックを受けましたね」
◆父から「高校に行っても無駄」と言われ…
大人への不信感は教師に対するものだけに留まらない。
「父ともソリが合いませんでしたね。何を言っても『お前にそんなことできるわけがない』と否定から入る人で。私が好きな書籍や楽曲の話をしても、父は必ず『何が面白いんだそんなもの』と切り捨てました。終始そんな調子なので、やがて話題に出すことさえしなくなりました。
私が高校に進学するときも『進学だって金がかかるし、どうせ高校に行っても無駄だから働け』とか言われて。結局、お金のかからない公立高校に進学しました。現在でも、他の家族との関係は良好なのに、父とは交流がありません」
◆“専門学校デビュー”が成功するも、結果的に失望してしまう
高校まで、「友人が1人もいなかった」と語るMari氏だが、専門学校へ進むと一目置かれた存在になる。
「なんてことはないんですよね、髪の毛を派手な色にして、カラーコンタクトを入れて、ゴスロリの服を着て、少し痩せただけなんです。完全な“専門学校デビュー”なんです。それなのに周囲から急に好意的に見られるようになりました」
だがこの周囲の好評をMari氏は手放しに喜べなかった。
「あれほど外見でバカにされてきたので、『見た目にそんなに騙されるのか』と失望してしまったんですよね。私が褒められたのではなくて、服が褒められただけというか。そこで舞い上がって彼氏作ってデートして……みたいになれば、少し人生の捉え方も違ってきたのかもしれないんですが(笑)」
Mari氏が“外見”にこだわるのは、こんな体験も関係している。
「初めてのピアスは高校時代にあけたんです。今でいう陰キャでしたし、おかっぱなので誰も教師はピアスしていることに気づかないんですよ。でも地毛がちょっと茶色い子は指導されたりしていて。画一的な校則って、見えている部分しか見ていなくて、一体何なんだろうと思っていました。結局、人間って見えているものしか見ようとしないんだなっていう感覚はずっとありますね」
◆“ファンタジーの世界”だった刺青を20歳で入れることに
専門学校を卒業してすぐに入社した広告代理店を経て、いくつもの業種を転々とした。半年に満たない在職期間だったこともあれば、10年以上続いたこともあったという。刺青は20歳になる頃に入れた。
「それまで私にとって刺青はファンタジーの世界で、身近ではありませんでした。しかし雑誌の紹介コーナーで見かけて、電話してみると予約が取れてしまったんです(笑)。それで刺青を入れる決意をしました。一般社会でも働けるように、目立つところを改造していないので、いろんな仕事を経験しました。一番長く続いたのはSMバーでしたね。好きな格好をしていても、その外見で不当な扱いを受けることもないし、居心地のいい空間でした」
◆「人間として見られたくない」理由
Mari氏がここまで刺青をはじめとする身体改造に傾注するのには、こんな思いがある。
「この世界のどんな場所にいたとしても、人間でいる以上は“外見”によるヒエラルキーがありますよね。デブ、ブスという座標軸はもちろん、人種による差別もあるでしょうし、さまざまな目安で“下層”に押し込められる人が必ず存在する。私はこれまでずっと“下層”だった人間なので、『いっそのこと、人間として見られたくない』という気持ちになりました。ヒエラルキーの外に出たかったんです」
人間としてのカテゴリーから外れ、自由になる。そうすると不思議なことに、Mari氏は個として見られるようになったという。
「もちろん、現実には自分が40歳を過ぎた女性で、人間であることも理解していますよ。ただ、気持ちのうえでそうしたものから解き放たれたとき、人生がぐっと楽しくなったんですよね。
たとえば、これは身体改造とは無関係だと思いますが、私には性欲がありません。恋愛をしたいと思ったこともないんです。私にとって最も大切なのは自分を表現する活動です。それを理解してくれない人とは距離をおけるようにもなりました。我慢してその場所や人にしがみつくことがないから、気持ちを楽にして生きられるのだと思います」
◆働きながら「自分の好きなように身体改造した」からこそ
日本においては刺青をはじめとする身体改造に否定的な向きも多い。「親にもらった大事な身体をそんなふうにして」という声も根強い。だがMari氏は、会社勤めの立場から、こんな考え方もあるのではないかと明かしてくれた。
「確かに、褒められた行為ではないでしょうね。しかし、現代のストレスフルな社会で生きている人の多くは、会社に隷属しながら理不尽な仕打ちにも我慢して、身体を犠牲にしながら働いていますよね。それで飲みの席で多くのアルコールを摂取してくだを巻く……というパターンは珍しくない。社会で“まとも”と言われる社会人が、身体にいいことをしているわけでもないのは自明です。
働きながら自分の好きなように身体改造をして、ストレスに感じる原因を切り捨てて居心地のいい空間を開拓してきた私からすると、身体を粗末にしているかどうかは必ずしも“外見”ではわからないのではないかなと思うこともあるんです」
◆かつての自分のように悩む人のヒントになれば
Mari氏がこうした表現活動を続けていく理由は何か。
「私は幼少期から『自分が存在する意味がわからない』と思って生きてきました。勉強も運動もできず、デブでメガネでブスで、父親や教師からも邪険にされる。しかも友達もいないなんて、この世界に居場所ないじゃないですか。
でも服とか靴のレベルではなく、いっそのこと自分の身体ごと変えてしまったら、違う何者かになれたんです。周囲からは『たかが見た目で大袈裟だ』と言われ続けてきました。でも、初めて『自分が生きていていいんだな』と思える世界に巡り会えたんです。
今もおそらく、そういう思いをしている子たちがいるのではないかと思っています。そういう子たちが、人や場所などの“他力”に依存して生きるのではなく、“自分ごと”に没頭することで人生が好転すればいいなと思っています。私の体験をお話することで、何かヒントになればと思って活動を続けているんです」
外見によって苦しめられてきた少女が、ルッキズムの序列から逃れるために外見を変えた。それは皮肉にも聞こえる。だが生死のはざまで選択し得た、ほぼ唯一の手だったともいえる。
世界中から嫌われ苦しんでも、別のものに変身することでまたこの世界に「好き」を見つけることができる。取り立てて誇るべきもののない、埋没して嘲笑され思い悩む者たちのためにこそ、Mari氏は歌って舞う。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki