明徳義塾の馬淵監督が「松井秀喜を5打席連続敬遠した」理由。“勝利へのこだわり”が選手に与えたもの

長年高校野球を牽引しているのが、明徳義塾の監督を務める馬淵史郎氏だ。馬淵氏は、「高校野球は教育そのもの」と語っている。毎年、チームの戦力を最大化して勝つ確率を1%でも高め、勝利を掴みとるチームビルディングが非常に上手い。まさに「試合巧者」といっていいだろう。

(※本記事は、『甲子園強豪校の監督術』(小学館)より、抜粋したものです)

◆昭和、平成、令和で勝ち続ける明徳義塾・馬淵史郎の観察眼

馬淵氏の野球は「教科書通り」といっていいほど、セオリーに基づいたものである。また、戦略家のクレバーなイメージとは裏腹に、期待する選手には要所の場面で激励するなど、優れたモチベーターとしての側面も見せる。馬淵氏がクレバーなイメージを強めた試合は、かの有名な1992年夏の星稜との試合だ。相手は、松井秀喜(元ニューヨーク・ヤンキース)を擁しており、その松井に対して明徳義塾は5打席連続敬遠をした。今でも語り継がれる試合になったが、馬淵氏は確率を考えて勝負をしなかった。

「エースがおったら、全部敬遠はせんかった。あと、うちが先に点をとれずにリードされたら、勝負しとった」とコメントを残すように、明徳義塾はエースが投げられる状態ではなかったのだ。

このように、勝利を徹底して目指すことにより、人生そのものを教えるのが馬淵監督だ。苦しい練習や試合を最後まで諦めずに耐えて結果を出した経験は、人生にも応用できることだろう。また、人は成功体験から成長することが多く、選手達が勝利を掴んだ経験を得ることで、野球選手としてだけではなく、今後の人生においても大きく成長できるのではないだろうか。

◆結果を出し続けてきた「高校野球の教科書」

チームビルディングを見ても育成や采配、対戦校への作戦などを見ても、「高校野球の教科書」と呼べるかたちで、甲子園を勝ち上がってきた馬淵氏。社会人野球を含めると、昭和・平成・令和で監督を経験しており、3つの時代で結果を残している。1986年には社会人日本野球選手権で監督として準優勝し、高校野球の監督になってからは、2002年夏には、エースの田辺佑介や森岡良介(元・東京ヤクルトスワローズ)などを擁して甲子園を制した。この年はチーム打率.361、チーム防御率2.17、犠打24、失策4とまさに教科書に書いてあるような強いチームだった。

また、ルール変更への対応力や試合中の状況判断力も優れており、Uー18の日本代表監督では、ディフェンス力と正確性の高いスモールベースボールで、初の世界一に導いている。以下が、馬淵氏就任時と前任者の明徳義塾の甲子園での成績である。

・竹内茂夫氏就任時:7勝4敗、春の甲子園に6回、夏の甲子園には2回出場。

・馬淵史郎氏就任時:54勝35敗、春の甲子園に16回(交流試合含む)、夏の甲子園には21回出場。夏優勝1回、 明治神宮野球大会優勝1回。※甲子園初戦20連勝を記録。

◆「今の高校野球の王道」には反しているかもしれないが…

馬淵氏は伝統的なチームづくりを行うが、今の高校野球の王道には反しているともいえる。計算が立つ制球のいい投手を選び、大型のスラッガータイプよりも、小さくても動ける選手を優先し、小回りが利く選手を使うのだ。コントロールが良ければ守備にもリズムが生まれ、打撃にもいい影響が出る。実際のところ、2002年夏の甲子園で優勝した時のエース田辺佑介は、6試合51回2/3を投げて四死球は12だった。9イニング平均で見ると、わずか2.09である。

野手に関しては、守りから鍛えていき、攻撃面では1番打者と3番打者のタイプを多く育て、走力や選球眼、出塁率を重視している。スカウトをする中学生に関しても、パワーや力強さではなく、バランスの良さと足の速さを見ている。基本的には、ディフェンス力を意識しており、派手な野球をして勝ち上がっていくチームづくりではない。

◆ミスを最小限にするチームづくり

これについて、森岡などを擁し、全国制覇を果たした2002年夏のチームに関しても、「2002年に明徳義塾が優勝した時、冬場、一切、打撃をやらなかったんです。打撃練習を1日もやらず、2月末から始めたんですが、その年の練習試合(チーム全体で本塁打を)50本打って、甲子園でも7本打ったんです」と話す。

また、「(2002年夏に)優勝したときは平均身長が172センチやった。ウチが49代表で一番小さかった。体が小さくても守ってつないでいくような野球やってたら、優勝できる可能性もあるということなんよ、野球は。お客さんのために野球やってるわけじゃない。プロはホームラン見たさにお金払って来てて、それで敬遠したら『金払え』と言われる。でも、CSとか勝たないかんようになったら敬遠だって平気でやる。ヤンキースだってやるんやから。オレはトーナメントでやってるんだ。冗談じゃないよ」とコメントするほど、堅い野球を見せる。

このディフェンス力を意識したチームビルディングは、非常に理にかなっている。短期決戦では、いかにミスをしないかを重要視すべきなのだ。プロ野球とは異なり、高校野球なら緊張感やプレッシャー、慣れない球場などから失策はつきものである。

そのため、失策を最低限にすることにより、勝率が上がるのだ。また、チームの統制を整える上で、上級生への配慮も欠かさず、同等の能力ならば上級生を起用することも意識している。さらに、主将は上級生の投票で決めており、監督が一方的に決めるのではなく、あくまで選手を主体としており、監督と選手が上手く伴走していることがわかる。

◆スパルタ指導から脱却し、今の時代に合わせた指導を

昭和・平成・令和の3つの時代を指揮した名将は、伝統的なチームづくりをする一方で、時代に上手く適応しながら育成をしてきた。昭和から平成では、練習試合後に夜遅くや翌朝まで練習をしていたそうだ。しかし、令和のご時世でそのような練習を選手に強いれば、すぐに批判を浴びるだろう。また、今はスパルタ的指導法ではすぐに選手が辞めてしまい、彼らの可能性をなくしてしまうデメリットもある。現在はそこまでスパルタ的指導を行わない。

このような時代背景の中、馬淵氏は自身がやっとの思いでグラブを買ってもらった原体験を伝えることで、道具とお金の大事さをはじめ、グラウンドの練習では「負けじ魂」を植え付けていくのだ。これは、普段から諦めないメンタリティをつけさせる狙いがある。練習から諦めるクセがついていると、土壇場の大事な場面で踏ん張れないからだ。

◆選手への徹底した気配りと熱い想い

また、選手の親との関係も考えながら接している。明徳義塾では、県外から入学した選手が多いことや母子家庭の選手を配慮し、練習試合の応援やお茶当番は保護者に一切やらせない。これは、家庭環境で差が生まれると、まだ未成年の選手に対するメンタル面で影響が出るからだろう。このように、練習以外でも気配りをしながら、選手を支えていることがわかる。

様々な指導法や柔軟な対応力で、長年トップにいる馬淵氏からすると、目先の勝利も大事だが、人生に対して大局観を持って取り組んでほしい考えもあるだろう。選手達には、「人間はいつか花が咲くんよ。いつ咲くかが問題で、はよ咲いたら楽しみがないで」と声をかける。

好きな野球で大成すれば万々歳だが、なかなかそうはいかないこともある。それを踏まえ、選手には厳しい練習や試合に耐えた時を思い出して、今後の人生に活かしてもらえるように指導しているのだろう。馬淵氏の好きな言葉で「一芸は万芸に通じる」という世阿弥の名言がある。

これも、「高校野球の経験を人生に活かしてほしい」という彼の想いと通じる。高校野球に集中して極限まで打ち込むことにより、社会に出た後も活かせることが大いに出てくるのだ。逆に、何も打ち込んでこなかった場合は、何をやっても成せないという考えもある。部活動とはいえ、高校野球というスポーツをやっている以上、勝ち負けはついてくる。さらに、レギュラーに入るか入らないかの競争の勝ち負けもある。

ただ、これも大局観を持って人生を眺めれば、一つの瞬間にしかすぎないのだ。高校時代がピークの人もいれば、社会に出た後にピークが来る人もいる。長い人生において、自分を高められる人間になることが、馬淵氏にとっての「勝利へのこだわり」かもしれない。

<TEXT/ゴジキ>

【ゴジキ】

野球評論家・著作家。これまでに 『巨人軍解体新書』(光文社新書)・『アンチデータベースボール』(カンゼン)・『戦略で読む高校野球』(集英社新書)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブンなどメディアの取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。日刊SPA!にて寄稿に携わる。Twitter:@godziki_55