元祖ギャル雑誌『egg』が、今また雑誌として刊行されているのを知っているだろうか? 『egg』は一時休刊したものの、2018年にウェブで復活し、2019年には休刊から4年ぶりに雑誌も復活した。
ギャルの代名詞である『egg』で表紙をいちばん多く飾り、リーダーで人気ナンバーワンモデルだった「きぃぃりぷ」こと鈴木綺麗さん(22歳)。圧倒的なビジュアルとはっきりした物言いで、まさにギャルという存在だ。
2024年4月に同誌を卒業。現在、セカンドキャリアとして高校でメイク講師の仕事をしているという。どうやってギャルから異業種転職ともいえる経歴になったのか、現在教えている「渋谷女子インターナショナル」(東京都渋谷区)で話を聞いた。
◆メイクを見たままやったらギャルになっただけ
――卒業してしまいましたが、そもそも『egg』のモデルになるきっかけは何だったんですか?
きぃぃりぷ:マルキュー(渋谷109)の中にあるギャルの聖地だった「SBY」っていう当時あったお店にタピオカを買いに行った時にスカウトされました。みちょぱさんとかいろいろなモデルもスカウトされた有名なお店で、当時は茨城から通ってましたね。私は当時16歳とかで、メイクは今よりもっときつくて派手。頭なんか黄色、赤、緑とレインボーにしてました。
――髪の毛レインボーはなかなかすごいですね。ギャルメイクだったんですか?
きぃぃりぷ:ギャル嫌いだったんですよ。だって「ギャルはだらしない」って言われてたんですよ。ギャルになりたいっていうよりは、中学生の時に学校に馴染めなくて浮いてた時に、初めて会ったのがギャルの先輩だったんですよ。それを見て、「メイクってこういうもんだ」って。憧れるってより見たままやったらギャルになっちゃった感じです。
――メイクを真似した先輩とはどういう関係だったんですか?
きぃぃりぷ:学校に行ってないヤンキーで別に仲良くはないです。一度、私の学校に乗り込んできたことがあって、「なんか最近調子に乗ってる子がいるらしいじゃ~ん」みたいな(笑)。『egg』は休刊してたし、YouTubeも主流じゃなかったから、なんとなくSNSを見て、メイクを勉強していった感じですね。コンビニ行くにもメイクをしてたんで、どんどん上手くなっていきました。
◆モデルとしてスカウトされたらYouTuberに
――モデルにスカウトされた2018年頃は、まだ雑誌の『egg』が復活しておらず、YouTubeが主な舞台だったそうですね。
きぃぃりぷ:当時はモデルがYouTubeやる時代ではなくて、なんならカワイイ子はスッピンを見せない時代だったのに、エンタメで体を張ってました。「モデルの仕事」って言われて入ったのに、すっぴんから大食いとか、激辛とか、ゲテモノとか、パンスト(ストッキングを被る)企画をやって。「ウチら、何やらされてるの?」って感じでした(笑)。
――YouTubeの企画は、誰が考えてたんですか?
きぃぃりぷ:もう本当にモデルと編集部と二人三脚でした。うちらがサムネまで作ってアイデア出しまで全部考えてやってました。初期はルールもなければ常識もないから、何もかもイチから作っていきました。「先輩・後輩は、歳とか関係なく入った順番にしよう」とかね。
◆みんな我が強いから「ケンカしますよ」
――やっぱり序列は決めるんですね。ケンカとかもありそうですよね?
きぃぃりぷ:ケンカしますよ。みんな我が強いんで、その場で言わなと気が済まない。何しろいろんな地方から、飛び抜けているヤバい奴らの集まりだったんです。こだわりが強いんで、「これが気に入らない」「あれ、イヤだ」とか、それぞれの正義や常識があるから、めっちゃぶつかる。でも仕事を飛ばすことはほとんどなかったです。
――ケンカしたら、どうやって解決するんですか?
きぃぃりぷ:LINEでも、直接でも言いたいこと言って、その場でスッキリします。落ち込む前にむかつくから、言いたいことは言う。あとは時間が解決ですよね。落ち着いた時に「仲間じゃ~~~ん」みたいな(笑)。
◆モデルになって変わった家族の関係
――モデルになってから変わったことはなんですか?
きぃぃりぷ:人生180度変わりましたね。別に芸能人に憧れてたわけではないけど、拾われて変わりました。いちばん変わったのは、親とか地元の目ですね。ウチ、親に『egg』に入ったって言ってなかったんです。なのに、茨城でスナックやってるお母さんが、お客さんから「娘、モデルやってない?」って言われて、「え、最近、東京行ってるのってモデルやってんの?」ってなった。
それまで口を聞くとケンカするような感じだったのが、しゃべりやすくなったっていうか。関係性がすごく良くなりました。おばあちゃんは泣いて喜んでましたね。『egg』卒業式のイベントには初めて家族を呼んで、YU-Aの「ごめんね、ママ」を歌って全員号泣でした。
――2024年4月に『egg』を卒業する時の心境はどうでしたか?
きぃぃりぷ:マネージャーに聞けば分かるけど、メンブレ(メンタルブレイク)して、まだ立ち直れてない(笑)。今もまだ心は『egg』。6年もやってきたルーティーンがなくなって泣いてました。でもそんな私を見て、編集部の人たちは「『egg』があり続ける限り、きぃちゃん(きぃぃりぷ)の歴史は消えない」って言ってくれました。
◆「パイプ」をいっぱい作っておきたかった
――アツいですね! それだけ『egg』モデルを頑張ってきたということですよね?
きぃぃりぷ:もう、骨埋める覚悟で頑張ってました。10代のうちに『egg』の顔にしてもらったってスゴいことだし、一生の宝物をもらった感じ。だから、当時の編集長が「ここ(渋谷女子インターナショナル)の校長をやる」って抜けた時も「あとは任せたからガッツリやっちゃって」って言ってもらっていたし、モデルのリーダーを言い渡された時も「ウィ~~っす」って感じでした。驚きもなかったです。
――『egg』卒業後のキャリアについては、ずっと考えていたんですか?
きぃぃりぷ:パイプ(人脈)をいっぱい作っておきたかったので、辞めてからっていうよりは『egg』と並行しながら2年くらいは考えてました。『egg』から派生した『ageha』とか『nuts』とか姉妹媒体がいっぱいあるんで、「どっか行くかなぁ~」とも考えたんですけど、なんか違うなあと。
◆ギャル度を上げるためにメイクを頑張った
――メイク講師になったのは自然な流れだったんですか?
きぃぃりぷ:ギャル度を上げるためにメイクを頑張ってたら向いてた、みたいな? 『egg』モデルって身長170cmの子、ハーフの子、めっちゃ可愛い子もいるんです。ぶっちゃけクオリティが高い子が集まっているから、何かを極めないとって思ってたけど、私にはしゃべることしかできない。だからギャル度を上げるためにメイクにお金かけてました。
別に人に教えようとか思ったわけではないけど、失敗をする中でいつの間にかスキルが身についていたから、編集長がいろんなメイク企画に誘ってくれるようになったんです。それで今になって校長から「メイク講師やらない?」って言われて、「押忍!」みたいな。
――ちなみにギャルが向いている職業ってなんだと思いますか?
きぃぃりぷ:明日から会社員になるとかは絶対無理だと思う。ギャルは自分でレールを作るのが上手いから、雇われる側じゃなくて、何かしらの個人事業主になってると思います。誰でも社長になれるわけじゃないけど、『egg』って“たまご”って意味なので、これをステージ台にしてみんな羽ばたくと思います。
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派手な外見とは裏腹に、自分の進みたい道をしっかりと歩んでいるように見えるきぃぃりぷさん。取材中に出てきたギャル語もぜひ使わせていただきます!
<取材・文/谷亜ヒロコ 撮影/星亘>
【鈴木綺麗(きぃぃりぷ)】
2001年8月7日生まれ。茨城県出身。2018年から復活したギャル雑誌『egg』で「今風古風ギャル」として専属モデルの中で人気ナンバーワンを誇る。2024年4月に同誌卒業。現在「渋谷女子インターナショナルスクール」にてメイク講師を務める。X(旧Twitter):@9_6_0807KiSu
【谷亜ヒロコ】
放送作家を経てフリーライター&作詞家として活動中。好きなテレビ番組は「ザ・ノンフィクション」、好きなラジオはTBSラジオ、得意料理は春巻き。得意領域はカルチャー、音楽、芸能、住宅、美容など。Twitter:@rokohiroko