◆個人視聴率、コア視聴率が“危険水域”に
TBS『笑うマトリョーシカ』(金曜午後10時)の前評判は夏ドラマの中で屈指だった。原作は早見和真氏(47)による人気小説で、プロデューサーはフジテレビ『マルモのおきて』(2011)などを手掛けた共同テレビのエース・橋本芙美氏(44)。キャストも主演の水川あさみ(40)ら実力派揃いだからである。
嵐の櫻井翔(42)が22年ぶりに主演ではなく助演を務めるなど話題も豊富だった。しかも櫻井は初の政治家役。将来の首相候補で厚生労働相の清家一郎を演じている。清家を操る人間は誰なのかを水川が演じる新聞記者・道上香苗が追うストーリーで、本格的な推理が楽しめる点でも注目作だった。
ところが、視聴率が振るわない。6月28日の第1回は個人視聴率(4歳児から高齢者までの全体値)が3.1%、コア視聴率(13~49歳に絞った個人視聴率)が2.2%。どちらも合格ラインにギリギリ達したと言える程度だった。
7月5日放送の第2回はさらに下がってしまった。個人2.6%、コア1.5%。こうなると、危険水域である。同12日放送の第3回も個人2.8%、コア1.5%と同程度だった。
どうして第3回まで低視聴率だったのか? 最大の理由は「裏環境」にほかならない。他局が放送する裏番組の状況をそう呼ぶ。日本テレビ『金曜ロードショー』は『笑うマトリョーシカ』の第1回に合わせ、興行収入57.3億円を記録した大ヒット映画「キングダム」(2019年)をぶつけてきた。視聴率は個人4.8%、コア4.2%とハイレベルだった。
これに留まらなかった。『笑う――』の第2回の裏で、日テレは興収51.6億円の「キングダム2 遥かなる大地へ」(2022年)を放送。視聴率はやはり高く、個人4.6%、コア3.9%を記録した。
日テレの攻勢は続き、『笑う――』の第3回の放送日に興収56億円の「キングダム3 運命の炎」(2023年)を流した。視聴率は個人5.5%、コア4.7%。圧倒的な強さだった。
日テレには『笑う――』の出鼻をくじこうとする思いもあっただろう。日テレに限らず、ライバル局の連ドラの第1回にスペシャル番組や大作映画をぶつけるのは民放のセオリーである。
7月5日からは『金曜ロードショー』の裏でフジテレビの新連ドラ『ビリオン×スクール』(金曜午後9時)も始まった。『キングダム』の3回連続放送には二重、三重の意味があったのだ。
◆日本は政治ドラマがヒットしにくい
『笑う――』の不振の理由はほかにも考えられる。米国には1999年の『ザ・ホワイトハウス』(NBC)や2013年の『Veep/ヴィープ』(HBO)など政治家が登場する大ヒットドラマが数え切れないほどあるが、日本にはほとんどない。
長澤まさみ(37)演じるキャスターが政界と警察の癒着に斬り込み、評判高かったフジ系『エルピス-希望、あるいは災い』(2022年)も、視聴率は個人3%前後でコアは2%前後。振るわなかった。
草彅剛(50)が主人公の政治家に扮した同『罠の戦争』(2023年)も評価は高かったものの、視聴率は個人5%前後、コア約2.5%にとどまり、ヒットと呼べるまでには至らなかった。
政治に無関心な視聴者が多いからか。それとも政治家を毛嫌いする人が多いためか。あるいは米国は大統領制、日本は議院内閣制という違いからか。それとも制作者側の工夫が足りないのか。ドラマ界の謎の1つである。
◆なぜ視聴率が低い? 秀逸なストーリーをおさらい
『笑う――』の第3回までのストーリーを簡単に振り返りたい。東都新聞記者・道上(水川あさみ)が清家(櫻井翔)の高校時代について取材したところ、生徒会長だった清家には鈴木俊哉(玉山鉄二)というブレーン役の同級生がいたことを知る。鈴木は清家の秘書になっていた。
鈴木は今も清家を支えていた。というより、清家には主体性が感じられず、すべて鈴木に従っているように見えた。道上は鈴木が清家を操っているのではないかと考える。アドルフ・ヒトラーに演説法などを指導したエリック・ヤン・ハヌッセンのような存在である。
鈴木には政界に恨みがあった。28年前に起きた政官界が絡む贈収賄事件で、不動産会社社長だった父親は責任の全てを押し付けられた。その後、謎の死を遂げる。鈴木が清家を利用し、政治家たちへの復讐を企んでいる可能性が浮上した。
ところが、鈴木は何者かに車で跳ねられてしまう。命は助かったが、身の危険にさらされている。清家を操っているのは鈴木ではないようだ。
道上が次に注目したのは清家の大学時代の恋人・三好美和子(田辺桃子)。法院大学に通いながら脚本家を目指していた野心家だ。美和子は清家を27歳で政治家にすることに執着していた。
美和子の願いはかなう。清家は27歳で代議士になった。清家が秘書をしていた代議士・武智和宏(小木茂光)が交通事故死し、弔い選挙に出馬した清家が当選したからだ。
清家を操っているのは美和子で、鈴木と武智の事故も彼女の脚本どおりなのか。道上が大学時代の美和子が書いた脚本に目を通したところ、執筆者の名前は美和子ではなく、「真中亜里沙」となっていた。法院大に美和子の在籍記録もなかった。
◆賛否両論ある櫻井の演技力
清家の周辺で見え隠れする謎の女(高岡早紀)が美和子の現在の姿なのではないか。清家の後援会長・佐々木光一(渡辺大)も怪しい。やはり高校時代の同級生で、現在は人の良さそうな料亭経営者だが、清家の動きを監視しているように見える。
疑わしい人物はまだいる。清家自身だ。誰かに操られているように見せかけながら、本当は清家が周囲を操っているのではないか。
清家が道上と会うたびに口にする「これからも僕を見ていてくださいね」という言葉が重い意味を持つに違いない。いずれは自分が主体性を持ち、大きなことをするつもりなのだろう。
櫻井の演技力については賛否両論あるものの、清家役はハマっている。櫻井は置かれた状況の変化によって、顔色や声色を変えるのがやや苦手。それがかえって表情が硬い清家役に合っている。原作者の早見氏も清家という人物を書く際、櫻井をイメージしたという。
櫻井の父・櫻井俊氏(70)は東大卒の元総務事務次官。2016年の都知事選では自民党内で擁立論が起きた。櫻井にも政官界に適正があり、その役が似合うのではないか。父子だから当たり前だが、櫻井の顔はこのところ桜井氏に似てきた。
櫻井の俳優としての可能性を否定するつもりは毛頭ないものの、名優と呼ばれるようになるためには無理に肉体派の刑事やダメな探偵などを演じる必要はない気がする。MCとして十分成功しているのだから、俳優としては政治家や官僚、企業経営者など向く役に絞ったほうがいいように思う。
どんな役でも演じる俳優ばかりが名優ではない。高倉健さんは高齢になっても老人役は絶対にやらなかった。渥美清さんもホワイトカラー役の多くを断っている。自分に合う役しかやらない名優は数多い。
助演の清家役によって、櫻井の俳優人生の第2幕が開いたように思う。
<文/高堀冬彦>
【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員