その土地でしか味わえない食や、ものづくりに出合うことは、旅における大きな楽しみのひとつ。さらに、その町に暮らす人たちが織り成すカルチャーに触れられれば、より一層、旅の思い出が心に刻まれるもの。訪れたのは、『風土記』の頃から豊かな実りをもたらす宍道湖。そのほとりに堅固な城と町が築かれて400年余、今も松江の暮らしの隣には水の気配がある。案内人はこの町で生まれ育った料理家の太田夏来さん。昔ながらの堀をめぐり、滔々と流れる川辺を歩けば、城下町の伝統と新たな文化が共存する松江の素顔が見えてくる。
24の写真で辿る、美しい暮らしのある町・松江。
築城時そのままの姿を現す松江城(松江市殿町1−5)。国宝に指定された天守からは宍道湖と松江の町を一望できる。
『ミートショップきたがき』(西茶町71)の手造りビーフコロッケ¥180。
『酒とさかな でろ』(伊勢宮町537−55)で、特大サイズの岩牡蠣に歓喜。
料理人の深田裕之さんと妻・佳代さんが二人三脚で切り盛りする。日本酒も豊富。
『でろ』の刺身盛り合わせ¥2,750。地元で水揚げされた日本海の天然ものが登場。
ハード系、あんぱん食パン、惣菜パンが揃う小さなベーカリー『四方』(殿町319)。
壁面に映る湖も美しい島根県立美術館。
『マルドゥーク』(伊勢宮町503−1)の定番、オリーブの肉詰めフリット(¥800)はナチュラルワインの良いお供。
カウンターで腕をふるう店主、三原さん。
『イマジンコーヒー』(伊勢宮町503−1)で〈セッツベーカー〉の米粉生地のピスタチオのシュークリーム(¥600)を。
早朝から深夜までの営業は松江では貴重。
国内外からセレクトしたアパレルや雑貨を扱う『パーソン』(苧町12−3 田中ビル2F)は「松江女子のおしゃれ心を潤す貴重な存在です」と太田さん。
河井寛次郎やリーチの指導を受けた民藝の窯元『袖師窯』(袖師町3−21)の器。地元の陶土を使い、日常に馴染む使い勝手の良い器を作り出す。
5代目の尾野友彦さん。明治10年の開窯以来150年近く続く窯元を率いる。
堀川遊覧船(黒田町507−1)は、個性豊かな船頭による案内も名物だ。
内堀と外堀を繋ぐコースは1周約50分。3か所の乗船場で一日乗り降り自由。
松江大橋の袂にある『カフェ プエンテ』 (末次本町36 E.A.Dビル1F)。カウンター背後に開けた大きな窓から、ゆったりとした川の流れと宍道湖を一望する。
夜はしっとりと店主・角田さんセレクトのレコードで音楽を聴きながら、カクテルやハードリカーなどを楽しめる。
週末は『ボアボア』(殿町336)でスパイスの効いたチャイが付くグッドモーニングプレート(¥1,000)を。
『島根県物産観光館』(殿町191 島根ふるさと館内)は、〈木次乳業〉の乳製品や海産物など良質な島根の食が集まる。
世界各地の料理を楽しめるカフェ『Green’s Baby』(殿町204)店主の柏井さん。
ひき肉と豆のブリトー¥1,100、いろどりサラダ¥700。食べ応え満点。
『objects』店主・佐々木創さんの熱意や知識も信頼が寄せられる理由のひとつ。
太田さんが料理教室を開くシェアスペース『ビオトウプ』(天神町17−1)でオーナーの福森拓さんと。夏に向かってコーヒースタンドやワインショップがオープン。松江の新たなハブになる予感。
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The Guide to Beautiful Towns_島根
古いものと新しいものの心地よいバランスに寛ぐ。
北に長くのびる島根半島の山並み、南に幾重にも連なる中国山地。その合間に横たわる宍道湖が川となって流れ出す場所に城と共に築かれた松江の町は、水と切っても切れない間柄にある。町を横断する大橋川や天神川、縦横に張り巡らされた内堀や外堀。その多くが昔ながらの姿を保ち景色に彩りをもたらすとともに、見る人に400年余りの歴史を感じさせる。「松江はなにげなく歩くだけで視界に必ず水辺が映る町」と語るのは太田夏来さん。松江で生まれ育ち、現在は故郷に拠点を置き、日本各地でイベントなどに携わる。食を通して松江の町や店とも太い縁を持つ料理家だ。
「この町の人間にとって水辺は日常とともにあるもの。位置を表すにも“橋北”“橋南”や“湖北”“湖南”と、大橋川や宍道湖を軸に考えてしまうくらいです」
太田さんにとって当たり前だった松江のあり方が実は特別なのだと気づいたのは、仕事で遠出をするようになってから。
「行く先々で素敵な町やおもしろい人に出会いますが、帰ってくるたび良い町だなと思い直します。水辺が視界に入ることで自分の中に余白が生まれる。“潤い”や“余裕”と言い換えてもいい。心の底からほっと息がつけるんです」
そんな松江人の感覚を追体験できるのが堀川遊覧船だという。松江に招いた友人と乗船するのが何よりの楽しみだ。
「ふだんと違う視点から見る町は発見がいっぱい。松江城のお堀沿いの家に水辺へ続く階段を見つけたり、橋の多さに改めて気づいたり。低い橋をくぐるときに船を覆う屋根が下りてくるのですが、乗り合わせた全員で身を低くしてやり過ごすのもアトラクションとして楽しい! 旅に来たなら、移動手段としても案外便利かもしれません。さらに一日の締めくくりに宍道湖の夕景が見られたら、絶対に松江の良さを感じるはず」
山陰と呼ばれるだけに訪れた日が必ずしも快晴とは限らないかもしれないが、たとえ雨が降っていても曇りでも、水墨画のように重なるグレーのグラデーションを楽しんでほしいと太田さん。
「広い水辺があることで町の表情が一層豊かになるのでしょう。どんな天気でも、それぞれに美しい。私はしっとりとした雨の日が一番松江らしくて好きですね」
江戸時代の町割が残る松江には趣ある老舗が健在で、城下町の伝統を今に繋いでいる。その代表格が和菓子と出雲蕎麦だ。
「松江人の誰もが贔屓の店を持っていて、伝統と一緒に暮らしている感覚があるんですよね」
太田さんが子どもの頃から両親と共に通う『神代そば』の当代は伝統を継承する作り手として、同志と切磋琢磨しながら日々うまい出雲蕎麦を出す。また先代がバーナード・リーチら民藝の指導者と親交のあった『風月堂』では、祖父の誠実な仕事ぶりを孫の当代が受け継ぎ、シンプルながら日常で愛される和菓子を届けるべく黙々と小豆を選り分け、餡を練る。
「作るのは、その日に売り切る分だけ。おいしさはもちろん、和菓子の姿のかわいらしさや包装紙の古風な美しさにも惹かれます」
こうした文化の送り手と受け手の幸せな関係は老舗に限らない。衣食住をテーマに本と雑貨をセレクトする『アルトスブックストア』は、新たなカルチャーを松江に呼び込んできた存在。日本各地から作家や職人を招いての企画展が次々と開かれている。「新たな知の世界が開ける感じ」と太田さん。さらに『objects』が生まれ、民藝を愛する人が目指す拠点が松江にできた。多国籍料理が振る舞われるカフェ『Green’sBaby』には、幅広い年代の地元民がそれぞれふらりと立ち寄り、自然と相談事や情報が寄せられるという。
「私は『Greenn’sBaby』を密かに『町の寄り合いどころ』と呼んでいます。他の店でも、偶然知り合いがいて『久しぶり!』『元気?』と声がかかることがとても多い。気づけば近くのお店同士が互いにファンとなったり、イベントを共催したり、ゆるやかに繋がりながら文化の波紋を広げつつある。そこで感じるのは、集まる人をフラットに受け入れる懐の深さと風通しの良さです」
それは融通無碍に形を変えて万物を包み込む水にも通じる。かといって不用意に近づきすぎない距離感は、旅人にも心地よい。
「居心地の良さに延泊する友人も多いですね。昼間に見た器が、夜に出かけた料理屋さんで使われていたり、カフェで居合わせた地元の人と旅の人が飲み屋さんで偶然一緒になったり。町の繋がりを実感できる小さなサイズ感もいい。住んでる気持ちで町のハブになる場を訪れ、人の輪に飛び込んで松江の素顔に触れてほしいですね」
太田夏来 料理家
松江市出身。京都の料理家のもとで和食の経験を積むとともにスリランカで現地の料理を学ぶ。現在は松江を中心に市内で料理教室などを開催。東京や京阪神にも出向きイベントやワークショップ、レシピ開発に携わる。
Access
東京・大阪方面から空路で出雲縁結び空港へ。松江駅まで空港連絡バスで約40分。東京からは21時50分発の寝台列車「サンライズ出雲」を利用すれば、翌朝9時30分台には松江駅に到着する。松江市中心部の移動は市内を循環する「ぐるっと松江レイクラインバス」や、レンタカー、レンタサイクルが便利。
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photo : Masako Nakagawa illustration : Junichi Koka text : Mutsumi Hidaka
&Premium No. 128 TO A BEAUTIFUL TOWN / 日本の美しい町を旅する。
旅することの喜びや醍醐味はさまざまですが、そのひとつに、暮らしに彩りを添えてくれることがあるように思います。地元の人々の心の拠り所となっている美しい景色を眺め、アートや伝統工芸などに触れ、ライフスタイルを刺激するセンスのよいショップ、文化を感じる喫茶店や書店、おいしいものに出合える店を巡る……。ひととき日常を離れ、知らない土地の暮らしが感じられる旅に出てみると、その旅を終え、いつもの生活に戻った私たちの毎日までが、いきいきと輝いてくれるから不思議です。今号は、日本各地のカルチャーの息づく美しい暮らしのある町を巡る旅案内。札幌、山形、富山、高松、松江、奄美をはじめ、何度も訪ねたくなる町や、旅先にしたくなる日本全国の素敵な店の数々を紹介します。
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