今年4月、東京・霞が関の法務省などが入る中央合同庁舎6号館前に設置されている、「法務省」と書かれた石看板や屋外掲示板に赤色のスプレーを噴射し汚損させたとして、器物損壊の容疑で40代の男が逮捕・起訴された。
これまで、官公庁の石看板などを汚損させる事件は頻繁に発生しており、政治的な不満を主張する目的で犯行に及ぶ者もいる。今年初旬は、自民党派閥の裏金事件が関心事となり、東京地検特捜部の消極的な処分に批判の声が殺到した。
◆官公庁の看板が汚損される事件は過去にも
実は、官公庁の看板が汚損されることは“よくあること”なのだ。
法務省では、2021年10月にも黒色の油性のスプレー缶を使ったとみられる事件が発生している。この時は、石看板や壁面などに噴きかけられた。
その他にも、同年9月には東京地検でも「検察庁」と書かれた石看板に塗料がかけられる事件が発生。東京地検は、1992年にも黄色いペンキをかけられる事件が起きており、故 金丸信・元自民党副総裁が約5億円の闇献金を受けた事件で、検察が略式起訴したことへの反発が事件の動機とされた。
また、東京・霞が関の総務省などが入る合同庁舎の看板、さらに東京高裁の正面近くの「裁判所」と書かれた看板にもオレンジ色の塗料がかけられる事件も発生。それまでも東京高裁では看板への破損行為が多かったことから、現在はクリアカバーを設置して対策をしている。
今回も政治的主張だったのか。しかし男が供述した動機には、まったく政治色がなく、法務省に対する身勝手な苛立ちからだった——。
◆冒頭陳述で明らかになった被告人の生活状況
今回の事件は、今年4月上旬のとある日の午前0時55分ころ、人通りもめっきり少なくなる深夜帯に起こった。男は、東京・霞が関にある「法務省」や「検察庁」が入る中央合同庁舎6号館の前に設置されている、「法務省」と書かれた石看板と屋外掲示板5個に赤色スプレーで汚損させ、清掃代など計37万4000円の損害を与えたというもの。
その後、東京地検は男を器物損壊罪で起訴。初公判が、6月20日に東京地裁(石川貴司裁判官)で開かれた。
被告人である男は勾留中で、職員に連れられて法廷の奥のドアから入廷。マスクをしていて顔をうかがい知ることはできなかった。検察官による起訴内容の読み上げ中も、終始まっすぐ前を向いていた。
裁判官に「起訴内容に間違えはありますか」と尋ねられ、被告人は「間違えありません」と全面的に認めた。
そして検察官による冒頭陳述で、被告人の生活状況などが明らかとなった。
検察官によると、被告人は過去にも刑務所への服役経験があったという。出所後は、一度は東京へ上京してきたものの、地方にある社会復帰を目指すための民間のリハビリ施設である「ダルク」へ自ら入所し、着実に社会復帰を目指そうとしていた。その後、再度上京してきたところで今回の事件を起こしたという。
◆被告人が語った「信じられない動機」
事件前日、被告人は法務省の前にある日比谷公園で飲酒するなどして過ごしていた。その時、法務省前の屋外掲示板に貼られている「再犯防止啓発月間」や「人権尊重」を訴えるポスターが目に入ったという。
そのポスターを見て、「なにが再犯防止だ!」、「なにが人権尊重だ!」と腹が立ち、自分で抑えることはできなくなってしまったのだ。
◆“ドロボー呼ばわり”された過去
なぜ腹が立ってしまったのか、その要因は被告人の“とある過去”にあったという。被告人は過去に服役経験があり、刑務所や社会復帰後に「ドロボー呼ばわりされた」と感じていたらしい。そしてこのポスターを見て、この経験が脳裏によみがえったというのだ。
「ポスターを見て、強い怒りの感情が出てきました。前の件で、警察署から始まって、拘置所、刑務所、出所後もドロボーといわれ、なんでここまで言われるのかなぁと」(被告人質問から)
怒り心頭の男は、こんなポスターを掲示している法務省にやつあたりしてやろうと思い、その足で銀座の量販店に行き、赤色スプレー缶やエナジードリンクを購入。この時、一度は水性のスプレー缶を手にしたが、油性の方が落ちにくいということから油性スプレーを買ったという。
その後、法務省前に戻り、屋外掲示板にエナジードリンクを投げつけたり、スプレーを噴きかけたりして犯行に及んだ。
◆被告人質問で語られたこと
証拠調べの後、被告人質問が行われた。
弁護人「なぜ今回犯行に及んだのか」
被告人「我慢しきれなくなってしまったというか、自暴自棄になってしまいました」
弁護人「今後、再び犯罪をしないためにどうする」
被告人「過去のことは変わらないので、自分が少しでも変われるように福祉の力を借りて、我慢して努力していきたいです」
一方で、検察官は犯行の悪質さを指摘する質問もあった。
検察官「石でできたものに油性のスプレーをかけたら、元通りにならないなとは思わなかった」
被告人「過去に清掃の映像を見たことがあったので、元通りにならないとは思ってもいませんでした」
なかには、「ドロボー呼ばわりは本当なのか」と確認する質問などもあった。
◆検察官は懲役1年6か月を求刑
検察官は、本件犯行は落ちにくい油性を選び、まんべんなくしっかりと噴きつけており悪質と指摘。動機も自己の怒りに任せた短絡的なもので、損害額も高額であるのに弁償もみられないとして、実刑を示唆する文言とともに、懲役1年6か月を求刑。
一方で弁護人は、犯行は自身の記憶がフラッシュバックをしてとっさに犯行に及んだと偶発的で計画性がないと弁解し、寛大な処分を求めた。
最後に男は、「今後、同じようなことをしないように、社会で長く生きていけるように努力していきたいなと思っています」と陳述。
◆判決の結果は
6月25日の判決公判で、石川貴司裁判官は犯行の悪質性や再犯であることなどを指摘し、懲役1年の実刑判決を言い渡した。
当初は、政治的な犯行とみられたが、真相は全く異なるものであった今回の事件。「なにが再犯防止だ!」、「なにが人権尊重だ!」と怒り狂った男は、再度“ドロボー呼ばわりされた”刑務所へと戻ることとなってしまった。
文/学生傍聴人
【学生傍聴人】
2002年生まれ、都内某私立大に在籍中の現役学生。趣味は御神輿を担ぐこと。高校生の頃から裁判傍聴にハマり、傍聴歴6年、傍聴総数900件以上。有名事件から万引き事件、民事裁判など幅広く傍聴する雑食系マニア。その他、裁判記録の閲覧や行政文書の開示請求も行っている。