開幕が間近に迫ったパリ五輪を最後に、大きく種目が変更される競技がある。馬術や水泳など合わせて5種目の能力を競う近代五種だ。
今後、近代五種の馬術は日本のスポーツ・バラエティー番組「SASUKE」から着想を得た障害走「オブスタクル」に変更されることが決まっている。その理由には、東京五輪での“ある出来事”があった…。
近代五種とは?
剣で戦い、泳ぎ、馬で駆け、銃を撃ち、走る。国際オリンピック委員会(IOC)の基礎をつくり「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が、戦場での伝令をモチーフに考案した競技が近代五種だ。
馬術(障害飛越)、フェンシング、水泳(200m自由形)、レーザーラン(600m走った後、レーザーピストル射撃=5発的中=&ランニング600mを4セット)の5種目(※)の得点・順位を競う。
※近代五種は当初、水泳、フェンシング、射撃、馬術の4種目と、4種目の合計得点の上位から順次スタートするランニングの5種目で競われていた。北京五輪後の2009年から、ランニング間に射撃を行う「コンバインド」、さらに「レーザーラン」へとルール変更された。
2012年ロンドン五輪からレーザーピストルに変更されたが、かつてはエアピストルを使用していた競技の特性上、銃の所持を原則として禁ずる「銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)」に抵触しないよう、日本では自衛隊と警察(警視庁、大阪府警)が組織的に錬成してきた。
馬術廃止の“引き金”となった「競技者として絶対にしてはいけない行為」
2021年の東京五輪。近代五種の女子個人部門である騒動が起きた。
発端は、フェンシングと水泳でトップに立ち、金メダルをほぼ確実にしていたドイツ人選手が馬術でつまずいたことだった。
馬が指示通りに走らず、飛ばず、選手が何度か馬の尻にむちを入れ、見かねたコーチも、場外から馬の尻を軽くこづくように拳でたたいたのだ。選手、そしてコーチの行為は、“虐待”として、世界中から非難されることになった。
自らも近代五種の選手として活躍し、現在は海上自衛隊第2術科学校の体育教官室長、さらに日本近代五種協会の審判委員長も務める清水康氏は、こう振り返る。
「場外から手助けをしようとしたコーチの行為は競技への“助力”になり選手は失格となります。虐待かどうか以前に、馬術競技に携わる者としても絶対にしてはいけない行為です」
さらに清水氏は、その出来事の真相を語る。
「近代五種の馬術の場合、選手が乗る馬は競技開始1時間前に抽選で決まります。そして競技までに調整できる時間は、わずか20分間。また、選手は36人ですが、馬は18頭。選手が2回に分かれ、1回目と2回目で同じ馬を使います。技術がない選手が乗ると、馬も嫌になり、走りたくない、飛びたくない、と意思表示をします」
東京五輪では、最後に登場したドイツ人選手の乗る馬が、1回目に乗った選手の技量不足のため、まさにそうした状態になっていたというのだ。
開催国が用意した馬で競技
同じく馬と共に行う五輪競技の「馬術」(障害、馬場、総合各馬術、計3種目)では、こうしたことは起こらないのか。
「日本馬術連盟」の担当者によると、馬との競技、また日頃のトレーニング等においては、「国際馬術連盟(FEI)」が定める「馬スポーツ憲章」が尊重されているという。
馬のウェルフェア(幸福、健康)を目的とする同憲章。競技の際に「馬に対して過剰な負担となる騎乗あるいは器具(むちや拍車など)による過剰な扶助は認められていない」ことなどが詳しく定められている。
しかし、馬へのウェルフェアの考え方は近代五種の馬術においても同様だ。清水氏も「耳や目、皮膚、動き、しぐさなどを読み取り、馬とコミュニケーションを取ることが大事です。たとえ馬が(競技に)失敗したとしても最後は首などをポンポンとスキンシップ(愛撫)し、必ずねぎらわなければいけません」と強調する。
一方、単独競技の馬術と、近代五種の馬術では、決定的な違いがある。それは、馬術が練習を共にしてきた自馬を持ち込んで行うのに対し、近代五種では開催国が用意した貸与馬を用いて行うこと。
「どの馬を抽選で引いても一様に障害を飛ぶ能力をもっている必要があり、(能力は)平準化されています」(清水氏)とはいえ、わずか20分間で“初対面”の馬の性格などを見定め、人馬一体のパフォーマンスを行うことは至難の業だ。
「馬との信頼関係を20分間でつくらないといけない。また、1回目にアクシデントがあったとしても2回目に出る選手はその同じ馬に乗らなければならない。不公平的なルールの特性もあります」(清水氏)
馬術から「SASUKE」へ
清水氏によると、近代五種はアトランタ五輪(1996年)のころから五輪の廃止競技の対象になっていたという。その理由が、まさに馬術だった。
馬術が“問題視”されてきた背景には、前述したルールの不公平性のほかに、世界各国で120センチの障害を飛べる競技馬がそろえられなくなっていることも挙げられる。
東京五輪組織委員会にも出向し、競技担当課長として馬の調達にも携わった清水氏も、「馬をそろえるのに苦労しました」と振り返る。
「(世界で)近代五種で使える馬が減少し、競技を行える国も限られてきています。それはIOCが掲げるスポーツのグローバリズムにも反しています」(清水氏)
東南アジアやアフリカ各国など馬をそろえられない国は、五輪へのエントリーはおろか競技に取り組むことすらできない。そうした中でドイツ人選手・コーチによる虐待騒動が表面化。これが“引き金”になって馬術廃止の流れへ一気に傾いた。
そして、近代五種の馬術に代わる種目として、世界160の国と地域で放送されている日本の民放番組「SASUKE」を基につくられた障害走「オブスタクル」が浮上した。
五輪では、直線の60~70メートルのコースに8個の障害(モンキーバー=うんてい=など)を設けたコースが検討されている。障害を通過し走り切ったタイムを得点化するとされ、「これまでは馬が障害を越えていましたが、オブスタクルは人間が障害を越えます」(清水氏)という。
「オブスタクル(モンキーバー)」で競り合う選手(国際近代五種連合HPより)
国際近代五種連合(UIPM)は、2025年1月1日付で各大会の全てのカテゴリーでオブスタクルを採用することに決めている。五輪で近代五種の馬術が見られるのはパリ五輪が最後になる。
「歴史を変えたい」選手の意気込み
新種目の採用で、国内でも競技の注目が高まっており、。これまで自衛隊、警察を中心に約150人ほどだった競技人口も増えることが予想されている。
また、新たに生まれ変わる競技をより多くの人に知ってもらおうと、清水氏はパリ五輪での日本人選手の活躍に期待を寄せる。
日本から出場するのは、ともに自衛隊体育学校所属の佐藤大宗(たいしゅう)選手と内田美咲選手の男女1人ずつだ。
佐藤選手は、「メダルを取ることができたら、一緒に練習してくれた(体育学校保有の)馬への恩返しにもなる。(馬術が行われる)最後の試合として、きっちりけじめをつけて帰ってきます」と語り、「(日本勢は)まだ誰もメダルをとったことがない。歴史を変えたい」と意気込む。
近代五種の馬術が最後に行われるパリから、オブスタクルが新たに採用されるロサンゼルスへ。“障害”を越えた先に、新たな日本人アスリートの躍動が見られるかもしれない。