主治医 vs 会社の産業医
ある会社に勤める社員Xさんが、精神疾患にかかって休職した。約1年4か月後、Xさんは復職を申し出る際に「一定の条件付きで復職は可能」である旨記載された主治医の診断書を提出。しかし、会社の産業医は「復職は不可能」と判断し、Xさんはそのまま自動退職となった。
これを不服としたXさんは提訴したが、裁判所は産業医の診断に軍配を上げた。(東京地裁 R5.4.10)
精神疾患回復後の復職をめぐる争いでは、このように主治医と産業医の判断が激突することがある。以下、事件の詳細だ。
当事者
会社は、労働者派遣事業、有料職業紹介事業等を営んでいる。Xさん(男性)は営業部門に所属する正社員で、派遣先への営業や求人広告の作成などを担当していた。休職を開始したときの地位は、営業部担当部長である。
事件の経緯
■ 躁うつ病と診断される
2014年3月、Xさんは躁うつ病と診断された。おもな症状は、無気力、電車に乗るのがつらい、眠れない、呼吸が苦しくなるなど。
Xさんは医師に対して「眠るために毎晩ウイスキーをボトル半分ほど飲んでいる」と窮状を訴え、治療すべく1か月に2回から数か月に1度の頻度で通院し、投薬治療を続けていた。
■ 交通事故
約4年後、悲劇が重なる。2018年6月、Xさんはバイクで走行中、車に衝突される交通事故に遭った。
■ 抑うつ状態
交通事故から約2か月(2018年8月)、躁うつ病と診断した医師とは別の医師から、Xさんは抑うつ状態であり「6か月ほどの休養を要する」と診断された。おもな症状は、車やバイクが怖い、バス・電車に乗れない、眠れない、フラッシュバック、不安で外出できない、吐き気、めまい、耳鳴りなど。これ以降、この医師がXさんの主治医となった。
■ 休職
会社はXさんに、約1年半(2018年9月1日から2020年2月末をめど)の休職命令を出した。
■ 双極性感情障害
休職期間中の2019年2月、Xさんは主治医から双極性感情障害と診断された。
■ 復職の申し出
休職から約1年4か月後(2020年1月)、Xさんは会社に対して「3月1日から復職したい」と申し入れた。これに対して会社は「主治医の診断書が必要。さらに会社の産業医との面談も必要」と回答した。
■ 主治医の診断書を提出
2020年2月21日、Xさんは「双極性感情障害の診断のもと通院中であるが、症状の改善を認めるため、令和2年(2020年)年3月1日より復職可能と判断できる。しかし最初の1か月間は午前中のみの勤務とし、労務軽減した形での復職が望ましい」旨記載された主治医の診断書を提出した。
■ 会社の産業医との面談(1回目)
2月27日、Xさんは会社の産業医と面談。「朝はふらふら、午前中はごろごろする。外に出たくなるが実際は出ておらず、家にいることが多い。主治医から『外出しなさい』と言われたことはない。入眠障害が起きていた。深夜2時に寝て朝7時に起き、ごろごろしている。主治医はこの状況を知った上で復職の指示をした。リワーク(※)に関しては話が上がっていない」などと述べた。
※ 精神疾患によって休職している労働者が、職場復帰に向けてリハビリすること
これを聞いた産業医は、Xさんが睡眠や食事などの生活習慣を規則的に行えていないと判断。「生活リズム表」を作成し、次回の面談で持参するよう指示した。
また、産業医は会社へ「Xさんの主治医は復職可能と判断しているが、投薬されている薬剤の量が多く、復職訓練やリワーク、カウンセリングなども行われていない。家にずっといるようで生活のリズムも整っていない。復職できるとの判断に至った情報が不足している」などと報告。
これを受けて、会社はXさんの休職期間を1か月延長した(〜3月31日)。
なお、Xさんは1回目の面談を事前連絡なく欠席している。判決文の中にXさんのさまざまな弁解が記載されていたが、裁判所は「Xさんは合理的な理由なく、また事前連絡せずに1回目の面談を欠席したものと認めざるを得ない」と認定している。
■ 産業医との面談(2回目)
3月17日、産業医との2回目の面談で、Xさんは「睡眠が改善されてきており、夜12時前には寝て朝8時くらいに起きている」などと報告した。しかし、前回の面談で産業医から指示された「生活リズム表」は作成してこなかった。
面談を終え、産業医は会社に対し「Xさんの主治医からは、午前中3時間、週4日勤務での復職を指示されている。しかし、本日は生活リズムを確認できる資料が持参されなかったので、次回提出をお願いした。本人いわく生活のリズムは安定してきているとのことだが、会話の中で食い違いが散見された。引き続き治療経過の観察を要する」などと報告した。
■ 自動退職
3月27日、会社は「休職前に行っていた通常の業務を遂行できる程度に回復したとは言いがたい」と判断し、「3月31日をもって自動退職となる」とXさんに通知した。そして、3月31日をもってXさんは退職となった。
■ 提訴
これを受け、Xさんは「復職可能な程度にまで回復していたのに自動退職措置をとられた」として提訴した。
裁判所の判断
弁護士JP編集部
結論は、会社の勝訴である。理由は「Xさんの症状は治癒していなかった」から。以下、復職をめぐるトラブルについて、裁判所がどう判断するのかを解説する。
■ 自動退職とは?
簡単に言えば【休職期間中に治癒しなければ自動的に退職】となる制度のことである。多くの会社の就業規則には自動退職の規定がある。
■ 治癒していた?
多くの裁判で争われるのは「治癒していたかどうか」である。治癒したことについては、復職を希望する労働者自身が立証しなければならない(立証責任)。
■ 主治医 vs 産業医
裁判では、今回のように主治医と産業医の診断が食い違うケースが多い。今回は産業医の診断に軍配が上がった。裁判所は、概ね以下のとおり理由を述べている。
・Xさんの精神疾患は2014年3月以降、6年の長期間にわたって要治療状態にあった。
・(復職を希望した)2020年3月当時も薬効の強い薬剤が多種類投与されていた。
・Xさんは休職した2018年9月以降、1年6か月余りの間、ほぼ外出しないまま自宅療養を続けていた。
・その間、復職に向けた生活リズムの改善や外出訓練といった復職に向けられた取り組みはなされなかった。
・そうすると、2020年3月時点で、産業医が「復職可能な程度に回復しており、あるいは、復職後ほどなく回復する見込みがあるとは診断し難い」と判断したことは、同じ時点までのXさんの行動などや診療経過とも整合し合理性を有する。
そして裁判所は、Xさんが「治癒していない」と結論づけた。
以下は筆者の考えだが、Xさんが事前連絡なしで産業医との面談を欠席したことや、産業医から指示された生活リズム表を作成してこなかったことなども、「Xさんに復職の意欲があるのか」について、裁判所の心証に一定の影響を与えたように思う。
最後に
裁判所は、症状の改善状況や治療経過をつぶさに見て「復職可能な程度にまで治癒していたかどうか」を評価する。主治医に診断書を作成してもらったからといって、裁判で認められるわけではないし、会社の産業医の診断が主治医より強いということでもない。裁判所の判断は、あくまでフラットだ。