スタンダップ・コメディに挑戦するウーマンラッシュアワーの村本大輔さんに3年間密着したドキュメンタリー『アイアム・ア・コメディアン』が全国で公開中だ。
映画では活動の拠点をNYに移した村本さんに密着、福井のご両親との交流なども描かれ、話題に。今回は、前回のインタビューに引き続き、アメリカで一番ウケたネタや今後の目標などについて聞いた。
◆スベっても堂々としているアメリカ人
――海外で一番ウケたネタはどのようなものでしたか。
村本大輔(以下、村本):家から徒歩1分のところに、ブラックキャッツというカフェがあって、そこで週3、4回ライブをやらせてもらっています。ソーニャという女性にお金を渡すと5分間ネタをやらせてもらえるんです。
1個のネタを英語で覚えるのにかなり時間が掛かり、大変です。でも言いたいことあったら言わなきゃ、と思って毎日がんばっています。それで気になっていたことがあって。なんでアメリカ人はずっとスベってるのに、爆笑を取っている顔で堂々としていられるのかと。自分だったら声震えてきちゃうよ、と思って。
逆に爆笑を取った日でも手が震えちゃいます。ひょっとしたら駄目だったかな、とか、たまたまお客さんが温かっただけかな、とか、色々反省しちゃうんです。ところが、どんなにスベってても、アメリカ人の、特に白人のマッチョな男って「情熱大陸」の最後の時みたいな感じで「コメディっていうのはね」みたいな感じで偉そうに語るんですよ…。
そのことがずっと気になってて。それでそれを全部ChatGPTで英語にして怒り狂うように読み上げました。そうしたら、白人以外の、特に、女性たちが「よく言った!」と、めちゃくちゃウケてくれました。それが海外で一番ウケたネタですね。
やはり、アメリカの白人男性のマッチョな感じにみんな辟易していたのかもしれません。根拠もなく自信に満ち溢れているのはアメリカ人同士も気になっていたのではないかと。それでも僕はまた「この大ウケもお客さんが優しかったからなのか…」と反省してしまうんです。
◆「できない」と言われ続けて今
――なぜ反省ばかりしてしまうのでしょうか。
村本:これは福井県が作った自分なのかもしれません。僕が生まれ育ったのは、原発のある大飯郡おおい町で人口が当時6000人ぐらいの小さな町。その小さな町の中の山間にある集落にいました。気質というのでしょうか、北陸の人は控えめな人が多く「常にできない」ということを刷り込まされて育ちました。東京の人に比べて謙虚というか…。
大きい夢を語っても鼻で笑われるような雰囲気が地元にはありました。自分の自己肯定感は常にボロボロ。福井にいた頃、「お笑いやりたい」と言ったら「あなたよりすごい人はもっと山ほどいるから」と言われました。
デビューしてテレビに出るようになって「テレビに出たら褒められるのかな」と思ったら、「すぐ消えるから」と言われて。地元に帰れるように実家は残しておいたほうがいい、ともアドバイスされていましたね。アメリカ行きも、その年で、その英語力で絶対「ムリムリ」と言われました。
――「できない」と言われ続けていると「できる」と思うことは難しくなってしまいますよね。
村本:はい。そうやって生きてきたので、THE MANZAIで優勝した今でも自分の自信はゼロです。
いったい何が無理なのかはわかりませんが、とにかく「無理なんじゃないか」と思う悪魔が自分の中に住んでいます。その悪魔が、今まで必死に築き上げてきたものをハンマーで「バーン」とたたき割る。
賽の河原を積み上げるというか。積み上げてまた悪魔が来て積み上げたものを壊して、それでまた積み上げる、ということの繰り返しです。福井のコンサバティブな空間が作った呪いでしょうか…。
◆「恥ずかしい」を捨てて
――劇中には保守的な考えのお父様も登場しますね。
村本:父はいい人ですけれども「恥ずかしいことをするな」というのが口癖の人でした。ちなみに僕がアメリカに行って捨てたのは「恥ずかしい」という気持ちです。
この間、バーにすごいきれいな女性がいて、たまたまそこで仲良くなった男性と「あの女性はきれいだよね」という話をしていたんです。彼は「声掛けてくれば?」と僕に言ったのですが、「英語できなくて恥ずかしいし、ムリムリ…」としり込みしてしまって。
すると彼は「ただきれいだねって言えばいいんだ」と言ってくれて。それで酔った勢いで「隣の彼が話あるらしいよ」と言った後に「So Beautiful」と言ったら、その女性は「OK, OK」と言ってスッと背中を僕に向けたんです。その時に「恥ずかしい!」と思ったのですが、次の瞬間「この恥ずかしいは要らないかもしれない」と思い始めました。声を掛けただけで満足だったので。
日本では小さな時から親からも周りからも「恥ずかしい」と思う気持ちを刷り込まされている気がします。例えば、「朝生」に出る時も「何にも知らないのに出ると恥を掻くよ」と言われました。恥を掻いたらその時に学べばいい、という発想にはならないんです。
◆母校での講演で出会った男の子
――言っているほうはアドバイスなのかもしれませんが、言われたほうは委縮してしまいますね。
福井の僕の母校の中学校で講演会をしたのですが、質問タイムの時に、いがぐり坊主の男の子が「はい!」と手を挙げたんです。その時にみんな静まり返ったんですよ。普通は手を上げたらクスクス笑うじゃないですか。ところが、すっと手を挙げて、みんながシーンとして。
「俺に似てる」と思っていたら「お笑い芸人になりたいんですけど、どうしたらいいですか?」と質問しました。そして、彼は講演会が終わった後に「サインを下さい」と僕に言いました。
彼は僕から「サインをもらう」という話をお父さんにしたら、「お前だけ恥ずかしいことするな。みんなもらわないだろ」と怒られたというんです。そして「僕は恥ずかしいんですか?」と聞かれました。
それは絶対に不要な「恥ずかしい」ですよね。日本は他にも要らない「恥ずかしい」が溢れています。例えば、女性が強姦されて「恥ずかしい」と思う気持ちも。悪いのは加害者で、その女性は犠牲者です。にもかかわらず「恥ずかしい」と思ってしまうのはなぜなのかと…。アメリカでは「要らない恥」を捨てています。
◆英語力低下の原因は
――その要らない恥が日本人にもたらしたものは何だと思いますか?
村本:1つは英語力の低下だと思います。日本人が英語をしゃべれないのは、「間違えたら恥ずかしい」だと思います。「発音がきれいじゃなくて恥ずかしい」「文法知らなくて恥ずかしい」だから話さないだと思うのですが、この間、メキシコ人にそれはおかしい、と言われました。
日本人は話せないのではなく、話さないのだと。日本人は書けるだろうと。俺たちは文法なんか知らなくても、一所懸命話すんだよ、と。
僕自身は「その英語で良く舞台に立てるね」とも言われます。でも、文法も発音も完璧で舞台でスベってる芸人とボロボロの言葉でもウケている芸人だったら、圧倒的に後者のほうが価値があります。
日本人でも、論理的にきちんと話してるけど、全く言葉が耳に入らない人はいますよね。脳性麻痺の友人がいるのですが、話し方がたどたどしくても、言ってることは面白いし、みんな彼女の言うことを聞きます。
◆言葉を発するだけで
――お父様は「文句があるなら、国の側の人間になれ」とおっしゃっています。大人は、発言の根拠にポジションや知識、資格を求めますね。
村本:選挙に行かない人が物を言っちゃ駄目だと空気があります。そして、選挙に行かない人間が発言できないのであれば、選挙に行って投票した人たちは政治や社会に対して責任を取るのかと言われれば、そうではない。
もちろん、選挙権行使は大切なことです。ただ、亡くなる1か月前に、対談した西部邁先生もおっしゃっていましたが、発言するだけでも世の中は変わると思っています。
ひとつの発言が誰かに伝わることにとって、その言葉が誰かの支えになる。言葉が思考につながって、それが行動になるので、言葉を発せずに民主主義はあり得ないと思っています。
◆英語での発信の先に
――お父様には「お笑いで世界を変えたい」とおっしゃっていましたね。
村本:あのシーンは、本当は「使って欲しくない」と言ってたんですよ…。たまに帰って真面目な話をすると、いつも喧嘩になって…。敦賀駅からサンダーバードで大阪に帰る時に泣きながらお父さんに謝るといういつもの流れでした。一応ごめんなさいとは言ったんですけど。
監督は「いい親子に見えた」というので、残すことにしました。父は亡くなりましたが、今、振り返ると、2人で写真を撮るようなことも少なかったので、映像に残って良かったです。
――今、お笑いで世界を変えられるという手応えは感じていますか?
村本:日本語で漫才をしていたら、日本人にしか聞いてもらえませんが、英語でやっていれば、たくさんの人たちに聞いてもらえる。アメリカ人だけではなくて、英語がわかるアフリカやヨーロッパの人たちにもリーチできます。
そして、僕のスタンダップ・コメディを聞いた人が増えれば、おのずと思考が世界のほうに行くと思います。社会問題に無関心な人を減らせるのではないかと。その時に僕が何を言うのかですね。まだ、ヨチヨチ歩きのひな鳥の段階なので、何とも言えません。
――今後の目標についてお聞かせください。
村本:熊本に20代でアメリカに行ってそのまま過ごして、最近帰ってきた仲の良いおじいちゃんがいます。その人に最近、「そんなに頑張らなくていい」「失敗してもいい、駄目だったら帰ってきたら」と言われて。風の吹くままに生きよ、ということなのですが、今はそう思ってます。
今日笑いを取る、明日ももっと笑いを取る。大事な言葉を紡いで、自分が取ったことのない取り方でその日一番の笑いを取る。それを繰り返していたら、辿りつくべき場所に辿り着くのではないかと。
◆笑いとは「安心」
――村本さんにとって「笑い」とは何ですか?
村本:笑いは安心です。例えば、沖縄でもライブをしましたが、笑いを取ったからといって沖縄から基地がなくなるわけではないのに、笑うとみんなホッとする。基地に囲まれて常に緊張しているので、笑うと安心するのかもしれません。
ウクライナのコメディクラブも行列ができ、大盛況です。これが日本だと「兵隊さんががんばっているのに不謹慎だ」となってしまう。日本人は不謹慎が大好きですよね。
でも、笑いは不謹慎なものではありません。本当は笑うことが一番の安心なんです。子どもの頃、両親が喧嘩してるときに僕は弟たちに冗談を言って笑わせていました。これから世界中の多くの人に「安心」を届けたいです。
<取材・文/熊野雅恵 撮影/萩原美寛>
【村本大輔】
1980年、福井県生まれ。2008年9月に中川パラダイスとお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」を結成。2011年「ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞を獲得、2013年「第43回NHK上方漫才コンテスト」「THE MANZAI 2013」で優勝を果たす。2023年にアーティストビザを取得し、2024年より「世界的なコメディアンになる」と宣言し、活動の拠点をアメリカに移している。講演会やスタンダップ・コメディのライブといった活動を積極的に行っている
【熊野雅恵】
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。