平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。
今回登場するのは、90年代に雑誌『egg』の読者モデルとして活躍した塩澤麻衣さん(42歳)。当時ガングロギャルだった彼女は、自らを「原色人類」と呼び、ガングロ×原色ファッションスタイルで注目を集めていた。
それから20年以上が経ち、塩澤さんはエステティシャン兼サロンオーナーとして美容業界で活躍しているという。彼女のリピーターも多く、数々の芸能人の御用達サロンとしても知られているようだ。そんな彼女にギャル時代から現在に至るまで話を聞いた。
◆女優志望からガングロギャルへ。『egg』読者モデルになるまで
塩澤さんがギャルに目覚めたのは中学生の頃。“コギャル“が世間に注目され、渋谷では黒肌がブームの兆しを見せていた。
当初は女優を目指していたという塩澤さん。劇団に入るもなかなかオーディションに受からず苦しい日々が続いていた。そんななか何気なく渋谷の街を歩いていると、肌が焼けている女の子たちの姿が目についた。
「次はギャルがくるんだなと思いましたね。学生の頃って流行ってるものに飛びつきたくなりませんか? 彼女たちをみてたら、私もすぐに日焼けしたくなって!女優になるなら焼いてはいけなかったので、自分はギャルになるんだって覚悟を決めました」
それが転機となった。高校生となり渋谷に通う頻度が増えると、すぐに雑誌『egg』の編集部から声をかけられた。場所はもちろん、マルキュー(SHIBUYA109)前。それをきっかけに読者モデルとして活躍するようになっていく。
「他の子たちとファッションが被らないように原色の服を着るように意識しました。それで自分のことを『原色人類』と呼ぶようにしたりして。どうしたら自分の個性を出せるかなってよく考えてました」
個性的なモデルたちの中で埋もれてしまわないように、ギャルとしての自分をブランディングしていった。しかし時にはギャルコミュニティの中でこんな気を使う場面もあったという。
「当時のギャルの世界では、中途半端なギャルだといじめられることもあったし、あまり目立ちすぎると妬まれることもあったんです。そういう環境にいたので、周囲に合わせるコミュニケーション術を学びましたね。その場をうまく乗り切る能力が鍛えられました。それは社会人になってからも活かされてると思います」
そんな渋谷の女の子たちとうまく付き合いながらも、ギャルとしての自分に磨きをかけた。日焼けサロンで焼き続けた肌は、いつのまにか夜道を歩くと同化して見えなくなってしまうほどに。次第にガングロ化していく姿を横目で見ていた親からは「一緒に電車に乗りたくない……」と言われたこともあったそう。
自分流のスタイルを築いてきた塩澤さん。異性の目を気にすることはあったのだろうか。
「気にしてましたよ!ただそれで自分の見た目を変えたことはなかったかな。むしろ彼をかっこよくしたいタイプで。あの頃は派手な人が好きだったので、彼にも日サロに行かせてギャル男に変身させたりしてました(笑)」
◆エステサロンに就職した理由は「肌を白くしたかったから」
ギャル仲間との付き合い、恋人との青春、モデル活動、さらにはあらゆる業界人との出会い……渋谷はいろんな経験をさせてくれる街だった。
とはいえ、そんな輝かしい生活にも飽きがくる。遊び尽くした塩澤さんは、19歳の頃にはガングロをやめて渋谷からも徐々に離れていった。そろそろ就職して地に足をつけた生活を送ろう。漠然とそう考えていた。
そんななか、アルバイトをしていた日焼けサロンの社長から「今度エステサロンを開業するからそこで働かないか」と声をかけられる。次は美白ブームがくる!肌を白くしたいと思っていた塩澤さんは、「これはチャンス!」と店舗の立ち上げに参加することにした。
そこには渋谷とは違う刺激があった。勉強が嫌いで大学に行かなかった塩澤さんだが、エステの勉強は全く苦にならなかったという。自分の施術で喜んでくれる人がいて、売上が上がれば会社からも評価される。仕事の達成感は彼女の承認欲求を満たした。
「エステの仕事はとても頑張れましたね。元々アルバイトは真面目にやるタイプではなくてどちらかといえば“使えない”って言われる方だったんです。でもエステのことになると仕事も勉強もめちゃくちゃ楽しかったんですよね」
それからは美容の勉強に止まらず、カウンセリング心理学も学び始めたという。
「23歳の頃ですかね。うつ病をお持ちの方をはじめて担当することになったんです。今だったらゆっくり相手の話を聞くことが一番だとわかるんですけど、その頃はまだどう接するべきなのかがわからなかった。それでどうしても心理学を学びたいと思ったんです」
この出来事は、塩澤さんのエステティシャンとしての理念へと繋がっていくことになる。
◆目標は貯金1000万! エステサロンを開業するためキャバクラへ
入社5年目には店長、マネージャーとなり100人の部下ができるほどに出世を遂げた塩澤さん。エステへの探究心も仕事への情熱も冷めることはなく、「次は自分の理想のサロンを立ち上げてサービス提供をする、そしてエステティシャンを目指す女性を増やしたい」と新たな夢を抱くようになっていく。そして部下を育て上げた彼女は思いきって退職することに決めた。
まずは一刻も早く開業するため、キャバクラで働き始めた。接客が得意だった塩澤さんは夜の世界でもその能力を発揮。毎月50万円を貯金に回せるまでに稼いでいたとか。その間にはタイとインドネシアにマッサージ留学もしたという。
「機器を扱えるだけではエステシャンとしてはまだまだ。マッサージ技術があるからこそ手に職といえる……だからベッドと私の手さえあれば素敵なパフォーマンスができる、そんな人になりたかったんです。それでまずは世界で一番気持ちのよいタイ古式マッサージの留学に挑戦して、その後に日本人が大好きなバリ島の指圧と経絡をながすテクニック、それからホスピタリティを学ぶために修行しにいきました」
夜な夜な働く一方で、エステティシャンとしての技術も磨いていった。そしてなんとたった2年で貯金額1000万円を達成したそうだ。無事に開業資金を貯めた塩澤さんは、わずか27歳にして念願のエステサロン「ヒーリングオアシス」を開業した。
だが、軌道にのせるまでにはかなり時間を要した。はじめは食いつないでいくために別のエステサロンのバイトをしながら営業。すべての仕事が終わると、融資を受けるための書類の準備、経営の勉強、HPの開設、ブログの更新……とやることは次から次へと増えていく。開業から数年は寝る間を惜しんで働いた。
そんな彼女だが、サロンを立ち上げる際に心に決めていたことがあった。
「カウンセリング心理学を学んだことで、施術だけではなくて会話でも癒やせるようになりたいという思いが強くなっていったんです。ノルマや売上ではなくお客様の心と体に向き合う。それが美容家としての私の理念でもあります。そして自己顕示欲で会社を経営するのではなく自己実現のために会社を経営していきたいと意識していました」
◆経営困難で円形脱毛症になったことも。それでもエステ業界で働き続けた理由
そんな塩澤さんのサロンは徐々に賑わいを見せていく。占いにも詳しい彼女は、読者モデル時代からの知り合いである『egg』編集長に声をかけられ「モデルたちのメンタルをタロットで占う」コーナーを担当するように。モデルたちの悩みを聞いていくうち、彼女たちは塩澤さんのサロンにも通うようになっていったのだ。
ひとりひとりの悩みに合わせた接客と施術は顧客の心を掴んだ。一度行くとリピーターになる人も多く、ギャル界隈を中心に徐々に口コミで広まっていく。いつの間にか麻布セレブ御用達サロンになり平日でも予約で埋まるほどの人気サロンへと成長していった。
さらに塩澤さんはサロンが繁盛してしばらくした後、自身のポリシーに基づいた一般社団法人日本美容心理協会を設立。エステスクールを立ち上げ、エステティシャンの育成にも力を入れるようになった。
「私は元々勉強が大嫌いだったんです。でもエステの勉強だけはハマれた。だからこの楽しさをいろんな人に伝えていきたくて!」
いきいきとした表情でそう語る塩澤さんは、一見何事にも屈することなく前向きに仕事をしてきた人のようにも見える。実はそんな彼女にも、経営で悩み円形脱毛症になったり、肉体的にも辛くなり何度も入院した時期もあったそうだ。
しかしそれでもエステの仕事は続けたかったという。何かを「とにかく長く続ける」ことが好きな性分だけれど、振り返ってみればひとつの道を貫いてきた先にようやく見えてくるものがあったと語る。
「結局やり続けないと理想通りにはならないんです。お客様にあわせた施術を習得するにはどうしても数年はかかる。すぐには上手くいかないから本当にこれでいいのかな?と思うこともあったんですけど、5年やったら道が拓けてきたんですよね。特に経営には、教科書には載っていない、続けるだけでわかることがあるんです。これは長く続けることの醍醐味だと思います。これからエステ業界で働く人たちにもその楽しさを知ってもらえたら嬉しいですね」
こうして自分の道を突き進んできた塩澤さんだが、そこには必ず好奇心があった。同じことをひたすら繰り返すのではなく、やり抜くために失敗から学び、新たな挑戦と工夫を欠かさない。
それは彼女にとって大事にしていることの一つでもあるようだ。20年以上が経つ今でも、あの頃の気持ちをよく思い出しているという。
「ギャル魂には辛いときに助けてもらっています。渋谷に通っていたときのあのワクワクする気持ちをいつまでも忘れてはいけないなと思うんです。そういう心持ちでいろんなことに挑んでいきたい。エステ業界を盛り上げていきたいですね」
自分が決めた道に進むだけでなく、逃げないで最後まできっちりやりきる。言葉にすれば簡単だが、実際はそう簡単なことではない。相当の覚悟と責任感がなければできないことだ。そうした生き様は、これからエステティシャンを目指そうとする若い女性たちにも刺激を与えることだろう。塩澤さんの存在は今後のエステ業界にどう影響を与えていくのだろうか。
【塩澤麻衣】
1981年生まれ、A型、天秤座、エステシャン歴23年。高校時代に雑誌『egg』の読者モデルとして活動後、美容業界に。大手エステサロン幹部として経験を積み、タイとインドネシアにマッサージ留学後、2008年に開業。「一般社団法人美容心理協会」代表理事も務める。
Instagram:@shiozawa_mai
X(旧Twitter):@mai_shiozawa
<取材・文/奈都樹、撮影/長谷英史>
―[“ギャル”のその後]―
【奈都樹】
1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。