“レゲエ校歌”だけじゃない!高校野球ファンがざわつく「今どき校歌」の数々

 第106回全国高校野球選手権大会の和歌山県大会3回戦で、強豪・智弁和歌山に惜しくも敗れた和歌山南陵高校。印象深い「レゲエ校歌」がネット上で広まり、話題となった。

 斬新な校歌が登場するたび、やたら盛り上がってしまう高校野球クラスタ。なぜ彼らは「今どき校歌」に反応してしまうのか。大人しくスルーできなかった、校歌の歴史を振り返ってみる。

◆古参ファンを鼻白ませた「『やれば出来る』は魔法の合いことば」

 今年注目された和歌山南陵高校の校歌は、ミュージシャンの横川翔とWARSANの作詞、INFINITY16の作詞による楽曲。いわゆる「レゲエ校歌」だ。ストレートなメッセージと、ポップな曲調は多くの人が受け入れやすいものに思われる。

 にもかかわらず、ネット上は沸き立った。正直、「またか」という印象だ。高校野球の「今どき校歌」に、世間が過剰反応を示すのは今に始まったことではない。

 走りとなったのは、2004年のセンバツに登場した済美高校(愛媛)だろう。創部わずか2年で初出場初優勝を果たした済美高校校歌のタイトルは「光になろう」。「陽光の中に」の「陽光」を「ひかり」、「済美にいるから出会えたね」の「済美」を「ここ」と読ませる歌詞は、一躍「J-POP校歌」として全国に知れ渡った。特に「『やれば出来る』は魔法の合いことば」というファンタジックなフレーズは、いかめしい校歌に慣れた国民を驚かせるとともに、一部の古参ファンを鼻白ませた。

◆外国語が混じった校歌も!

 しかしやがて、同校野球部出身のお笑い芸人・高岸宏行(ティモンディ)がメディアで活躍するようになったことで、「やれば出来る!」は世間に浸透。前向きな力を与える、ポジティブなフレーズとして受け入れられている。

 以後も、2011年に創部6年で夏の甲子園に辿り着いた至学館高校(愛知)の「夢追人」、2012年に創部10年でセンバツ初出場した健大高崎高校(群馬)の「Be together」などが、「タイトルが現代的すぎる(笑)」「歌詞に外国語が混じっているんですけど!?」といった、冷やかしの俎上に載せられていった。フォークシンガーの南こうせつ氏が作曲した明豊高校(大分)の「明日への旅」や、シンガーソングライターの小椋佳氏が作詞作曲した浜松開誠館(静岡)の校歌も、しばしば好奇の目で語られる。

◆高校生の歌う校歌が、若者向けで何が悪いのか

 どうして世の高校野球クラスタは、いちいち「令和の校歌だ!」「Z世代向けだ!」と騒ぎ立てたくなってしまうのか。突き詰めれば、原因は古くさい保守志向に行き当たる。要は彼らは、高校球児に山だの川だの平野だのの名前を叫ばせたいし、学校名を連呼していてほしい、と心のどこかで願っているのだ。

 校歌で注目を集める学校は、どこも比較的に歴史が浅い。新たに躍進してきた学校の校歌が、今どきなのは当たり前だ。そもそも高校生たちが斉唱する校歌が、若者向けであることの何がおかしいのかわからない。

 高校野球の校歌に対する閉鎖性・排他性を象徴する一例に、2021年センバツの京都国際高校がある。韓国系学校を前身とする同校は、韓国語の歌詞を有している。これに違和感を唱える自称・野球ファンたちが、ネット上に出現。歌詞の一部にある「東海」が、(韓国が主張する)日本海の呼称なのか、たんに「東にある海」を指すのかといった、政治的な意図にまで言及し始めた。ソー、ナンセンスッ!!

 なぜ高校球児が、日韓の政治解釈のことまで気にしなくてはならないのか。ちなみに部員は全員が日本人だったが、出場資格があれば外国籍の選手でもまったく関係がないと思う。

 いまだ思考停止の慣習が蔓延る高校野球界だが、グラウンドに生徒(主に坊主頭)を一列に並べ、帽子を取って校歌を熱唱させるというのも、そのひとつ。他のスポーツではあまり目にしない光景だ。一歩譲って、歌うのは構わないにしても、わざわざその姿を全国中継で流す必要はないのでは……と思う昨今である。

<文/ツクイヨシヒサ>