「資産家の家に生まれたお前が、ずっと妬ましかった…」幼稚舎からの親友だった男2人の縁が切れた瞬間

前回:「元アイドルって、普通の仕事に就くのが…」美女が港区で夜な夜な飲む理由

「一番お高いシャンパーニュを頼んでジャック・セロスが出てくるなら、この店、酒の趣味だけは悪くないねえ」

そう満足げに、うん、美味い、とグラスを飲み干したのは、西麻布の女帝と呼ばれている(本人はそう呼ばれるのを嫌がっているが)光江だ。

「あの気持ち悪いバカを帰しちゃったからさ。あの残された坊やには払えそうにもないし、ここは雄大、アンタのおごりね」

ほら次注いでよ、と空になったグラスを差し出された雄大は心の中で苦笑いしながら、ワインクーラーからボトルを引き抜く。

生産本数が少なくワイン愛好家に熱狂的なファンが多い、ジャック・セロス。その2016年ビンテージなら、小売り価格で20万円程。ここで飲むなら倍…もしくは3倍か。

雄大は光江に歯向かう気は毛頭なかった。安くはない出費だが、光江への借りを返す値段とするならば高すぎるとも思わない。それに。

― 恐ろしいんだか、優しいんだか。

気持ち悪いバカとは、みっともなく逃げ帰った後藤と呼ばれていた男のこと。そして残された坊やとは、宝をこの店に連れ込んだ大輝の幼なじみ、エリックのことだ。

きっと、光江はエリックの事業が失敗し、金に困っているということまで調べてここに到着したのだろう。だから、エリックには払えそうにもない、と言ったのだ。

光江の情報網の広さと収集スピードにいつもながらに驚きつつ、金に困っているエリックには支払わせないようにすることが、光江の“若者”への配慮だとすぐに気がつくくらいには、雄大と光江の付き合いは長い。

― まあ、この人が相当なケチなことも事実なんだけど。

雄大は光江のことが得意ではない。だが雄大は、自らを“食えないババア”と名乗る光江以上にこの街を守ろうとする人を知らず、その点においては敬意を抱かざるを得なかった。

「宝ちゃんって、お2人とは全く住む世界が違うように見えるんですけど…」



宝ちゃんとはどうやってお知り合いに?と聞いてきたのは、カウンタ―席で雄大の隣に光江、光江の横に座っているともみだ。彼女はギャラ飲みという触れ込みで呼ばれ、この騒ぎに巻き込まれた被害者ともいえるが。

雄大はそもそもギャラ飲みという行為に嫌悪感があるし、この手の…自分の若さとビジュアルを利用してのし上がろうとするタイプに関わることは普段から面倒くさいと思っている。

だが、どうやら光江はともみのことが気にいったようだった。

雄大はともみに質問された宝との出会いについて、共通の知人に紹介されたからだと簡潔すぎる説明でまとめたが、ともみはそれ以上深堀りしてくることはなく、えーいいなぁ、と口を尖らせた。

「宝ちゃんって、ほんとラッキーな子ですよね。ごく普通の女の子が、この街で光江さんとか雄大さんみたいな素敵な大人と出会えて、しかも助けにきてもらえる関係になるなんて、宝くじで億が当たるレベルでレアだし、うらやましすぎます」

ともみは自己紹介をしたわけではない雄大の名前をさらりと使った。おそらく光江と雄大の会話を聞いているうちに覚えたのだろう。それに雄大があざとさを感じていると、どうだろうねぇ、と光江が言った。

「宝ちゃんの…あの子の今は、ただのラッキーじゃない。ただのラッキーは続かないからね」

「どういうことですか?」

キョトンと問いかけたともみに、光江はにやりと笑って、まあ、ババアのたわごとだと思って聞いてくれよと続けた。

「確かに、あの子が最初に雄大に…この辺りでは割とまともで実直な大人と出会えたことはラッキーだったかもしれない。

でも雄大はね、そもそも他人に興味のもてない男で、交友関係を広げる気はさらさらないし、誰かれ構わず関係を続けたりしない。だからあの子のことも、最初はたぶん、知り合いに頼まれたから仕方なしに会っただけだっただろう。

その後、関係を築くつもりなんて全くなかった。雄大、違うかい?」

目を逸らしたまま反応しない雄大に構わず、光江は続けた。

「でもねぇ。いまや、宝ちゃんを助けてくれとアタシに連絡してくるくらいなんだもの。本当は借りを作りたくないはずの私に、あの子のために頭を下げる。その価値があの子にあるってわけだよね。

その価値がいったい何なのか、アタシも興味津々だったけどさ。さっきなんとなくわかった気がするよ」

雄大が光江を見た。今度は光江がその視線を気にせず、ともみに言った。

「ともみちゃんだっけ。アンタにはなくて宝ちゃんにあるもの。アンタには手に入らないものがその価値だ」

「……私にはなくて…手に入らない?」

そうつぶやいたともみの顔に、ほんの少しだけ苦みが走ったように雄大には見えた。それはすぐにごまかされたけれど、おそらく。女性としては宝より自分の方が格上…無意識にあったともみの自尊心を光江の言葉が傷つけたのだろう。

光江はシャンパンを一口飲み、ちなみにさ、と続けた。

「ともみちゃんは宝ちゃんの最後の発言をどう思った?ともみちゃんがあの子の立場だったら、さっきどうしてた?」

問われたともみは、少しの間悩み、そして答えた。

「大輝さんとエリックさんの関係性がきちんと理解できていないので、なんとも言えないところもあるのですが…場を収めに来てくださった光江さんの指示に従うべきだと思うので、部屋を出たと思います。

それに、大輝さんとエリックさんの事情に介入するのは無粋というか、どんなに仲がよかったとしても、結局、第三者が口をはさむことではないと思うので…」

「うん、模範解答だね」

光江の笑顔にともみの表情が緩んだけれど、でもね、と言われてすぐにこわばる。

「模範解答ができないところが宝ちゃんの価値なんだろうね。ともみちゃん、アンタは賢い。場を壊さず、空気を読んで、周囲に流されることもできる。常に理性的に行動するのは美徳だし、大人としてはそれが正しい。

でも、宝ちゃんは無意識なのか…損得の計算をしない。さっきも、アタシの反感を買う可能性があったのに、残ると言った。あの子があの場に残ったからってできることがあるとは思えないのに。そうだろ?」

ともみが小さく頷く。でもたぶん宝ちゃんはさ、と光江は続けた。



「自分に何かができるという過信はしてないんだと思うよ。ただ、あの子自身が、あの友坂の息子の側にいたいと思ったから動いた。

自分もずいぶんと怖い目に遭ったはずなのにね。恨むでも責めるでもなく、ただあのお坊ちゃまのことを心配してさ。

心で動くことは大人になるとどんどん難しくなる。それをナチュラルにやってのけるところがあの子の魅力で、そのピュアさと眩しさに雄大も惹かれてるんだろうとアタシは思うけど。ね、そうだろう?」

からかうような視線を向けられても、雄大は表情を変えなかった。

「…でも…そんなお人よしじゃすぐにボロボロにされて、利用されて、負けちゃいます。私が生きている…生きてきた世界では」

微笑んではいるものの唇は震えていた。そんなともみの背中を優しく撫でながら光江は言った。

「ともみちゃん、私はアンタが間違えてるって言ってるわけじゃないんだ。欲しいものを手に入れるために騙し騙されながら闘ってきたんだろ?タフな自分を誇ればいいじゃないか。宝ちゃんがアンタの世界に入ったら一瞬で丸のみされておしまいだろうから」

ともみは納得がいかないとばかりに顔をこわばらせたままだった。気が強い女子は嫌いじゃないよと光江が笑っても、その表情が緩むことはなかった。

「さ、たわごとはここまでにして、希少なシャンパーニュに集中しようかね。せっかくのおごりなんだから」

と、光江はバンバンと雄大の肩を叩いた。その衝撃に揺らされながら雄大は、宝と大輝を置いてきた部屋の方をちらりと見た。

光江が言うような…宝の魅力など意識したことはないし、ピュアでまぶしいとも思ってなどいない。宝はいつだって危なっかしく、その行動にイライラすることも多いのだから。でも。

大輝の信じていたものが揺らぐハードな夜。そんな夜に…大輝の側に宝がいてくれる。それが雄大の気を楽にしているのも事実だった。



一方、大輝とエリック…そして宝が残った部屋では。



ぶんっと、エリックさんの体が投げられ、ドスン、とソファーに落ちた。

光江さんたちが部屋を出たあと、全てをめちゃくちゃにされたんだからもう帰る、と乱暴に歩き出したエリックさんの腕を大輝くんが掴み、ソファーに勢いよく戻したからだ。相変わらず見かけによらないバカ力だな、とエリックさんの冷めた笑いが皮肉ぎる。

「宝ちゃん、知ってる?コイツ、こう見えて一通りの武道をたしなんでいらっしゃるわけですよ。小さい頃から誘拐の危機にさらされてきたからね。中学生までSPもついてたんだから」

タバコに火をつけたエリックさんを、ここ禁煙だろ、と大輝くんの低い声がとがめた。ああ、清廉潔白なお坊ちゃまの前ですみませんねと言いながらもエリックさんは煙を吹かした。

大きなテーブルをソファーが囲む配置の部屋で、私は大輝くんの正面に座り、私からは右斜め、大輝くんからは左斜めの位置にエリックさんが座っている。煙は私の方には流れてこないが、宝ちゃんごめんね、と大輝くんが言った。

「いちいちムカつくな。その王子様きどりの紳士ぶりが」

エリックさんのからかいに、大輝くんが大きなため息をついた。

「…エリック、お前がやったことは、犯罪だぞ」

抑えようとしても語気にこぼれる激しさ、怒りに震える瞳。大輝くんのこんな姿は初めて見る。

「宝ちゃんを連れ去ったことも、女の子たちを斡旋したことも」

「じゃあ今すぐ通報すれば?」

「これ以上ふざけるな」

「早く通報しろよ」

「エリック!!」

大輝くんが声を荒らげたことによる一瞬の静寂を、すぐにエリックさんの笑い声が破った。

「お前が怒鳴ろうが、呆れようが、今更響かないんだよ。友達面されても萎えるだけだ」

「…もう、友達じゃないと?」

「助けて欲しい時に助けてくれないヤツが友達か?生前贈与されてる土地、他にも株式やらなんやら譲られてるくせに、オレには出資できないんだろ」

「違う。お前が望んだ5,000万以上を使うには父の許可が必要なんだ。だから父に確認すると言った。出資したくなかったわけじゃない」

「…で、大輝様のお父様がオレのことを調査なさって?…おっしゃったわけだろ。エリックくんに出資するのはやめなさい。理由は、オレが怪しい組織と関わりはじめてるから、だよな?」

そう言えばその話を詳しく聞いてなかったなぁ、お父様の調査の結果を教えてくれよ、とエリックさんがあおるように言った。

「……香港とフィリピンで設立された建築会社。現地での稼働はなく反社組織のフロント企業って噂もあるその会社の役員とお前が頻繁に会い、金を融通してもらってると」

大輝くんの口から苦々しく出た、反社組織のフロント企業。それらの物騒で思いもよらぬ単語は私を驚かせ、緊張感は増していく。

「でもオレは…お前がそんな…バレれば全てを失うようなリスクを冒すとは思えなかった。語学アプリを立ち上げることはお前の高校時代からの目標で、夢で。両親に反対されて、家業を継がないなら縁を切るといわれても折れずに頑張ってきてたよな?

それがやっと実現できて、お前にとって事業は何より大切なものなんだから…」

「だからだよ!」

今度はエリックさんが声を荒らげて、大輝くんの言葉が奪われる。

「オレは絶対に事業を失うわけにはいかないからだよ。お前にも…投資家にも銀行にも断られて、親にも頼れない。ならどうする?救ってくれる金に感謝こそすれ、拒む選択肢はない」

「……受け取ったんだな…危ない金だと…汚れた金だとわかっていながら」

大輝くんの言葉から力が抜け、その視線がエリックさんを捉えたまま、うつろな光を放つ。



それでも。大輝くんは私の視線に気がつくと笑顔をつくり、ごめんね、と言った。

「一番の被害者は宝ちゃんだよね。オレらの事情に巻き込んでごめん。あとでちゃんと説明するから…」

あ~あ、とその続きを遮ったのはエリックさんだった。

「オレ、お前のそういう感じ、マジでイラつくんだよね。なんでオレよりお前の方が辛そうな顔すんだよ。お前のその悲劇のヒロイン体質ってやつ、どうにかしてくれよ」

ああ、ヒロインじゃなくてヒーロー?いや、プリンスかな、と低く笑ってエリックさんは私を見た。

「オレが今から説明してあげるよ。大輝がもったいぶった、オレ達の事情ってやつを。それに…」

エリックさんの視線が大輝くんに移る。

「大輝、お前にも。お前が知らないオレのことをね」

「…オレが、知らない?」

「お前にはずっとムカついてた」

固まる大輝くんを無視して、エリックさんは、宝ちゃんさ、と再び私に視線を戻した。

「俺と大輝は幼稚舎からの付き合いだけど、日本有数の資産家の大輝の家と違って、オレの家はせいぜい祖父からの成りあがりでさ。

オレが高校を卒業する頃には既に、実家のアパレル業は傾きかけてた。だからオレは家業から逃げるために夢を作ったんだ。遅かれ早かれ潰れる実家の家業を任されるのはゴメンだったからね。

大輝、オレの夢のはじまりなんてそんなもんだよ。生きるため。知らなかったろ?」

まあオレが教えなかったんですけど、とエリックさんは笑ったが、大輝くんは何も答えない。

「親はオレに何とかして欲しいと願ってたんだろうけど…結果的に去年、両親の会社はバイアウトされた。表向きは後継者がいないため会社を売った体になってるが違う。

業績の悪化で借金が膨らんで、システムだけが欲しい会社に安く買い叩かれただけ。だから実家には今、両親と妹がなんとか暮らしていけるくらいの資産しか残ってない。

だから実家の力で無邪気に暮らしていける大輝とオレとは全く状況が違うんだよ」

エリックさんは私に説明しているというけれど、大輝くんの表情で、大輝くんもはじめて聞く話なのだとわかる。

「大学4年生の時に起業してからは必死だったよ。成金とはいえ一応金持ちの息子として育ったわけだから、同級生たちに落ちぶれたってバカにされるのはゴメンだった。

だから自分の力だけで成功する。生活のステータスを守る。とにかくがむしゃらにやってきた。でも…去年アプリの不具合が出てその補償とか返金に追われ始めてから…どんどん悪手が続いてうまくいかなくなった」

「…なんで…正直に…話してくれなかったんだ」

「みじめだったからだよ。オレが必死に何千万っていう金策に走り回ってる間もお前はバイトするだけなのに金に困らず、親に買ってもらったマンションで優雅に生活してる。

成績も俺よりずっと良かったくせに。東大にも入れた頭で脚本家になりたいなんて…そんな現実味のない夢を追いかけ続けても応援してくれる、理解に溢れた優しいお父様を持ってね」

― 脚本家…?

大輝くんの夢が脚本家だとは知らなかった…と、きっと今思うことではないのんきな疑問に私の思考が逃げたのは、エリックさんが吐き出すようにしゃべり続ける間に少しずつ…大輝くんの顔がゆがみ、ぬくもりが消え、表情がなくなっていくように見えていたからだ。

― 大輝くんが壊れてしまう…!

私は焦り、エリックさんちょっと待ってくださいと声を出した。でも間に合わなかった。

「最後だから言うけど。オレ、養子だとか、血がつながってないとか、そんなことでグジグジするお前にずっとムカついてたよ。

一生金に困らない、家の名前だけで成功できる。チートルートに入れたんだからむしろ友坂家にもらわれてラッキーだったと感謝するべきだろ」

大輝くんの心が止まった。そんな音が聞こえた気がした。

私は慌てて立ち上がり、大輝くんの隣に座りその手を握る。私の体では大輝くんをエリックさんから隠すことはできない。それでも2人の間に座ることで少しでもクッションになりたかった。

握った手が握り返され、大輝くんは私に微笑んでくれた。けれどその笑みは寂しく、悲しかった。

その時、大輝くんの携帯が震えた。画面を見た大輝くんはすぐに電話に出た。

「お父さん。ええ、着きました。はい、宝ちゃんも無事です」

大輝くんのお父さんからのようだった。そういえば私の携帯に連絡が来ると言っていたけれど。

「ありがとうございます。では、宝ちゃんの携帯ではなく僕の携帯に送ってください」

そう言って電話を切った大輝くんが私を見た。

「宝ちゃんに来るはずだったあの後藤って人の情報、オレが到着してるならオレに送るって」

その直後、大輝くんの携帯がもう一度震えた。今度はメールのようだった。エリックさんが、フッと卑屈な笑いを漏らした。

「いいね…いよいよ、オレたちの別れの時だね、大輝」

その言葉を無視して情報を読み続けていた大輝くんは、しばらくすると。ふうっと大きく息を吐きだしてから言った。

「後藤省吾。香港の方のフロント企業の役員。表向きは投資家としてベンチャーに出資…といいつつ金策に困る起業家に、マネーロンダリングに協力するようにもちかけてその対価として金を貸している。

で、相手の弱みを握って金を回収することもある。しかも高利貸し的に。あくどいね」

大輝くんが私ごしにエリックさんを見るその顔には、先程までの寂しさや悲しさはなく、冷めた刺すような笑顔だったけれど、私は気がついた。

― 手が…震えている。

その、震える指先から…大輝くんの本当の思いが伝わってくる。私は胸が痛くなり、もう一度ぎゅっとその手を強く握りなおした。

「で…なんで宝ちゃんを拉致してまで、オレを引っ張りだしたかったかっていうことだけど」

これはあんまり宝ちゃんの前で言いたくないけど…宝ちゃんごめんね、と大輝くんは眉をひそめた。



「後藤の好みは、若く美しい男性で…狙った男の子に、クスリを飲ませて眠らせて…っていう常習犯。で、動画を撮っておどして、泣き寝入りさせる。…なあ、エリック。これが、宝ちゃんを使ってまで…オレを引っ張りだしたい理由だったのか?」

― 吐き気がする…!

信じられないとか、そんなレベルを超えている。大輝くんを…自分の親友を…そんな恐ろしい人に差し出そうとするなんて。

パン、パン、パン。

ゆっくりと、大きく、エリックさんが手を叩いた。拍手のつもりだろうか。

「さすが友坂家のネットワーク。そうです、大正解」

笑みを浮かべてもう一度拍手をしたエリックさんを、大輝くんは冷ややかな目で見つめたままだ。

「後藤さんは大輝ほど美しい男は知らないってうっとりしてたよ。オレがお前と親しいって知るととたんに上機嫌でさ。お前との飲みをセッティングしてくれたら、既に出資した金は返さなくていい。その上で追加融資もしてくれるってすごい勢いで」

「……お前、心底バカになったのか?そんな取引をしたら、さらに弱みを握られて関係が切れない。一生つきまとわれることになることくらいわかるだろ」

大輝くんの低い声が、自分を売られたことを怒るのものではなく、エリックさんを心配するものだったことに驚き…切なくなる。

「…お前こそほんとバカだな」

そのつぶやきは、私と同じことに気がついたからなのか。エリックさんの表情が歪んだ気がしたけれど、それはすぐに消えた。

「お前の美しさってやつが有名すぎるのも問題なんじゃないの?相変わらず大変だね、男にまでモテて。つーか、もう帰っていい?あーくそ、オレも女の子お持ち帰りするはずだったんだけどなぁ。女帝に邪魔され、後藤さんにも逃げられてさ」

あ~あ、と大きな声を出し、ほんの少し残っていたウイスキーのような酒を飲み干すと、エリックさんは立ち上がり歩き出した。

その体が私たちの前を通りすぎようとしたとき、大輝くんの手が私から離れた。それはほんの一瞬のようでスローモーションにも見えた。気がついた時には、激しい物音と共にエリックさんの体が床に転がっていた。

大輝くんは自分が殴り飛ばしたエリックさんをただ、見下ろしている。

「…っつ…マジ詐欺だよお前。その見た目でこのバカ力は」

エリックさんは笑いながら立ち上がった。

「宝ちゃん、怖い思いさせてごめんね」

唇が切れ血のにじむ笑顔を向けられたけど言葉は出なかった。

「…大輝は任せた」

私が驚く間もなく、エリックさんは歩き出し、言った。

「大輝、お前には謝らないよ」

大輝くんは背を向けたまま、その声の方を見なかったけれど、エリックさんは出口で立ち止まりこちらを振り返った。

「じゃあな……親友だった、大輝くん」

もう二度と会わないから安心しろ、と去ったエリックさんの最後の表情を見たのは、私だけだった。

もう少しこの部屋にいてもいい?エリックさんが去った後、そう言って再びソファーに座りこんだ大輝くんを1人にはできず、私も残ることにした。

そっとしておいた方がいい気がして、私は大輝くんの隣ではなく少し離れた場所に放れ、携帯を触るふりをしながら何も話さず、ただ待つことにした。

「宝ちゃん、ほんとごめん。巻き込んじゃって」

大輝くんがようやく声を発して私を見たときには、私はある決意を固めていた。

「…もう、エリックさんのこと、許せない?」

私が聞くと、どうかな…と大輝くんは薄くわらった。

「…なんか実感がなくてさ。ほらオレ、友達少ないから。でも…たぶん、もう2度と会えないんだろうね」

その言葉に未練と後悔が滲んだ気がして、私の決意は益々強くなる。

「私、決めたんだ」

なにを?とキョトンとした大輝くんの表情に柔らかさが戻ってきたことにホッとしながら私は続けた。

「さっき、エリックさんが、じゃあな、親友だった大輝くん、っていったでしょ?」

「…言ったね」

「今日から私が、大輝くんの親友になる努力をします。親友だったエリックさんに変わって」

「……は?」

「なので、大輝くんと恋愛するかどうか考えるっていうあれは、やっぱりなしにさせてください。…大輝くんとは恋じゃなくて友情でお願いしたい…です!」

鼻息荒くそう言った私を、大輝くんはぽかんと口を開けて凝視したまま、固まってしまった。



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※公開4日後にプレミアム記事になります。

▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…

次回は、8月10日 土曜更新予定!