「私、彼女じゃないの?」恋人のつもりで1年経過。ようやく自分の立場に気づいた26歳女性は…

◆これまでのあらすじ

大手メーカー人事部の未来(26)は、元カレ・悠斗との結婚を見据えて作成した「10のウィッシュリスト」の達成に向け、破局後も動き続けている。笹崎達也(43)と恋に落ち、六本木で一人暮らしを開始。しかし、Instagramで匂わせ投稿を繰り返す「飛鳥さん」の存在が気になっていて…。

▶前回:港区女子として生きていく!六本木から徒歩15分、1Kで一人暮らしをする26歳女の実態

Vol.11 予想外の修羅場



11月最初の月曜日。

自宅マンションで目を覚ました未来は、テレビをつける。女子大生お天気キャスターが、木枯らし1号のニュースをたどたどしく報じていた。

― もう11月か…。

昨年も行ったボストン出張に、今年も行く予定になっている。出発日は2週間後だ。

― あ、達也さん、また換気扇つけっぱなし。

笹崎と出会ってもうすぐ1年。「達也」と下の名で呼ぶようになった未来は、苦笑いをする。

ベッドから出て、キッチンの換気扇をオフにした。銀色のライターが置きっぱなしになっている。昨晩、夜中に訪れた笹崎が、ここでタバコを吸っていたのだ。

― 泊まっていけば良かったのに。

笹崎は「仕事があるから」と、夜が明けないうちに慌ただしく帰ってしまった。

ダイソンの空気清浄機を起動し、クローゼットを開けると、ヴァレンティノのジャケットが目に入り、未来はため息をついた。

― 達也さんとの関係は、深まるごとに不安が増す。どうして?

昨晩の笹崎は眉間に深く皺を寄せていた。未来は「別れ話をされたらどうしよう」と涙が出そうになってしまったぐらいだ。

ブブっとスマホが着信を告げる。

『笹崎達也:朝イチの仕事、間に合った!新作のフラペチーノ買ったからこれから届けても良い?』

六本木駅近くのスターバックスと思しき場所で撮られたフラペチーノの写真とともに、嬉しいメッセージが届く。

― やっぱり、昨日は疲れていただけだったのか。

「フラペチーノなんて、可愛いの買っちゃって…」

未来は、ほっとして微笑む。

『未来:ありがとう!今日は在宅勤務の予定だから、家で待ってるね』

急いで返信するとInstagramを開き、匂わせ投稿を繰り返す謎のサロンモデル、asumaruこと飛鳥のアカウントに飛ぶ。

― 飛鳥さんの方は今日も動きなし、と。本当に仕事だったのね。

未来はほっとしてスマホをテーブルに置くと、窓を開けて、ひんやりした朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。



やってきた笹崎は、フラペチーノを届けると、忘れていたライターを手に取りすぐに帰ってしまった。

― うちでゆっくりしていくのかと思ったのに…。

勤務開始まで手持ち無沙汰になった未来は、自分のInstagramにフラペチーノの写真を載せてみる。

さっそく「いいね」をくれたのは、ウィッシュリスト作成のきっかけをくれた、カナダ留学中の先輩・亜希子だ。

― あ、亜希子さん!近々一時帰国するって言っていたから、もう日本にいるのかな?

続いて、元カレの悠斗からLINEが来た。

『悠斗:インスタ見たよ。一人暮らし、楽しんでるんだな。俺は今月から戸建の設計任せてもらえるようになった』

『未来:すごい!頑張っているんだね。私は今年もボストン出張行くよ』

― 悠斗とも、いつか友達として会える日がくるかな。

どんな心境の変化か、悠斗は数ヶ月前、『元気?』と突然LINEをくれた。ごくたまに、他愛のないやりとりをするようになり、未来にとっては癒やしの時間になっている。

― いつか悠斗に会える日が来たら、胸を張って幸せだって言える自分でいたい。

「さあ、仕事頑張ろう!」

未来はフラペチーノを飲んでカップを片付けると、ラップトップを開いた。

勤務開始直前。

プロジェクトメンバーである先輩から電話がかかってきた。

― お子さんがインフルエンザで、先週はずっと休みだったんだよね。大丈夫かな?

未来が電話をとると、先輩の申し訳なさそうな声がする。

「長田さん、ごめん!今朝、子どもが吐いちゃって、保育園に行けないの。今日も休んで良いかな?」

「もちろんです。お大事に」

― この流れだと先輩は、今週はもう勤務できないだろうな。

快諾しながらも、未来はスケジュール表と睨めっこする。

次は後輩・エミリからの着信だ。恐る恐る通話ボタンを押すと、明るい声が飛び込んできた。

「未来さーん、今やってるタスク、全然終わりません!私、今日オフィスにいるんですけど、なんか色々頼まれちゃっているんです」

― 優先順位を考えて、と言いたいけれど…オフィスでの人間関係も大事だもんね。

「そうなんだ…了解、終わらなかった分は私が引き継ぐから、午後にまた進捗を報告して」

― 日付が変わるまでに仕事、終えられるかな?

先輩とエミリ、2人のタスクの肩代わりはさすがに負担が重い。

― でも、頑張らないと。

今回のボストン出張で、今までのプロジェクトの成果が評価される。

上司からも「良い感じの成果物を」と言われているので、ここは未来がなんとかしなくてはならないのだ。

― 達也さん、仕事中かな。

笹崎のことが気になってついスマホを手に取りそうになるが、目の前には山積みになったタスクがある。

― 私にも、打ち込める仕事があって良かった。今回のプロジェクトで結果が出せれば、次の人事考査では、きっと良い評価が出るはず。

そして、『昇進する』というウィッシュリストを達成するのだ。

「あ、空気清浄機つけっぱなし!」

未来は我に返って独り言を言うと、慌てて空気清浄機の電源を切る。

― はあ、一人暮らしにこんなにお金がかかることも、プロジェクトを動かすのがこんなに大変なことも、知らなかった。でも、辛くても、両方自分で始めたこと。

「ベストを尽くせば、必ず良いことがある、うん!」

未来はもう一度ウィッシュリストを眺めて、自分に言い聞かせるように頷いた。



数週間後。

― やっと羽田に戻ってこれた!やっぱりアメリカは遠いな。

ボストンキャリアフォーラムと、プロジェクトの進行。2つの仕事を掛け持ちした出張は、あっという間に終わってしまった。

― プロジェクトの感触も上々だったし、今年も優秀な学生にたくさん出会うことができた。

未来は、羽田空港の到着ロビーで満足げに伸びをすると、スマホを取り出した。

― さあ、次は達也さんのことを考える時間よ。

未来は、笹崎からのLINE画面をスクロールし、数日前に送られてきたメッセージを開く。

『笹崎達也:車が車検から帰ってきたから、今日は会社まで迎えに行くよ』

― …ボストンに行くって、何度も言っていたのに、忘れたのね。流石に怒って良いよね。

今日、笹崎はオフだと言っていた。未来は、これから彼の家に行って事情聴取をしようと決める。

『未来:ボストン出張から帰ってきたところです。羽田に着いたから、今から家に行くね』

意外にも、LINEはすぐに既読になったので、未来は大急ぎでタクシー乗り場に向かった。

20分後。

― 夜なのに道が空いてて、すごく早く着いた!達也さん、あの既読の速さなら、今絶対に家にいるはず。

赤坂にある笹崎のマンションの前でタクシーを降りると、偶然にも、見覚えのあるメルセデス・ゲレンデが地下駐車場から出てきた。

助手席に、女性が乗っている。

― あれ、達也さんの車。助手席にいる女は…たぶん飛鳥さんよね!

笹崎自慢の車が駐車場の出口で一時停止したのを見て、未来は、たまらず駆け寄った。

「達也さん!」

運転席側の窓にバン、と手をつくと笹崎が目を大きく見開いて窓を開ける。

「み、未来ちゃん…羽田からここまで、ずいぶん早かったね」

動揺した笹崎が間違えて助手席側の窓まで開けたので、未来は回り込んで、助手席の女を覗き込んだ。

「飛鳥さ…あれ?あなたは…どちら様ですか?」

飛鳥とは似ても似つかぬ女が、フラペチーノのカップを片手に呆然とこちらを見ている。

「ちょっと達也、なんでこっち側の窓開けてんのよ!」

若い女が笹崎に向かって放った特徴ある声を聞いて、未来はぽつりとつぶやいた。

「あ、朝の女子大生お天気キャスター…」

女子大生の顔が恐怖で引き攣った。

「違う、違います…!私、ここで降りるので、ちょっとどいて…わあっ」

パニックになった女子大生が、手を滑らせてフラペチーノをダッシュボードにぶちまける。

「ああ、この前、車検から返ってきたばかりなのに…」

笹崎がトンチンカンなことを言っているが、未来は女子大生を車から引きずり出すと、交代で助手席に乗り込んだ。

「未来ちゃん、そんな怒ってどうした?…彼氏とケンカでもした?」

笹崎は、何事もなかったかのように聞いてくる。

「なっ…悠斗とは、1年も前に別れてます!」

笹崎が大きく目を見開いて、未来の顔を覗き込んだ。

「ええっ?…それは大変だったね。婚約してたんでしょ」

笹崎の表情を見て、未来は驚愕した。

― この人、私が悠斗と別れたって聞いて、今、本気で驚いてる。

自分と過ごしたこの1年間は、笹崎にとってなんだったのだろうかと思ってしまう。

「この車、洗車に持って行った後で良ければ、話聞くよ」

笹崎の笑顔に、未来の胸の奥はスッと冷えた。

― 出会ったときと同じ笑顔。私が大好きな、少年みたいな笑顔…。この人、いつでもこの顔を作れるんだ。

「あはは、あはははは!」

一人暮らしまでして、笹崎に振り回された自分の1年間がバカらしくなって、未来は大笑いした。

「と、とりあえず、うちにくる?」

笹崎が無理やりUターンをしたせいで、車が電柱に擦れてガリっと音を立てる。

「わあー」

悲鳴をあげる笹崎を尻目に、未来は笑いながら助手席の扉を開けた。

「あははは!ああ、おかしい!…私も、ここで降りるわ!」

車から降りて、道端に置きっぱなしだったスーツケースをゴロゴロと引っ張りながら、未来は自宅への道を歩き出した。

途中から、目に涙が滲んできて、ゴシゴシと目を擦る。

― 今の私、絶対に港区で一番惨めな女だ。

にぎわう夜の街では空車のタクシーも見つからない。未来は、涙を流しながら街を歩き続けた。



【未来のWISH LIST】

☑ビールのおいしさを知る

☑一人でカウンターのお寿司を食べる

☑ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)

☑一人暮らしをする

☑英会話教室に通う

☑ハワイのハレクラニに泊まる

□100万円の衝動買いをする

□海外から優秀な人材を採用する

☑プロジェクトリーダーになる

□昇進する



▶前回:港区女子として生きていく!六本木から徒歩15分、1Kで一人暮らしをする26歳女の実態

※公開4日後にプレミアム記事になります。

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修羅場を迎えた未来と達也。2人の関係に変化が…